制作

DAMY『調教』

その「調教」ということばは、聴き手に施すべきものなのか、はたまた陰鬱な詩に監禁された人物への御仕置きなのか。
この一枚は言ってみたら誰もいないリビングのテーブルにぽつんと置き去りにされた処方薬みたいなものだ。クスリの効能はおろか、副作用も用法も記されていない。
フツウの人間であればすすんで口に含もうとはしないが、なんせそこでぼんやり文字を追っておられるあなた様は俗世間から遠く離れた世界にあるヴィジュアル系とやらを愛すあまり、遠渡はるばるシーディーショップなぞに足を運ぶような奇人ちゃんだ。
「好奇心にやられて、うっかり飲んじゃってくれないかな…」
なんてことを切に願ってしまう私が善か悪かは服用後にご判断いただくとしよう。

歪みきったギタァの轟音はぐるぐるとその身を掠めながら旋回する縄となり、ボトボトと低く零れるベェスの響きは喉元におとされるロウとなり、理性を失ったドラムの打音は異常なしなりを見せながらその鼓膜をしばきあげる鞭となり、加害者よりも遥かに被害者寄りな感情吐露に喘ぎつづけるウタイテはもはや、喜んでいるのか悲しんでいるのかもよく分からない御唄をうたう。轟音のなかに潜むDAMYの表情。
その喜怒哀楽は、あなた自身の目で耳で、なんなら心までをも駆使して、ご確認あれ。

感情のままに生まれ、悪戯に育ち、結果、ここに置かれることとなった『調教』と呼ばれる商品をあなたが手に取るか取らないか。
取るのならば、あとは耳に入れて、気持ち良いとか気色悪いとか、すきとかきらいとか。ただそれだけのお話。かんたんでしょ。
でも、音楽ってきっとそういうものなのですよ。

嗚呼ぜんぶがぜんぶ自己責任。がぶがぶ飲めば天国か地獄。
それでも、敢えて言うならば、私はDAMYが大好きだ。
という、とっておきの内緒話。
良いお薬。置いておきますね。