わたくしごと

今じゃない子

悪い人じゃないんだけど、どういうわけか多くの人から煙たがられてしまう人。
私が今までの人生で目にしてきたその手のヒトの共通点は「壊滅的に想像力がないこと」でした。

ヘイ、そこの紳士淑女。発する前に一度お考えよ。
その一言を「このタイミング」で言ったら、相手がこういう気持ちになることくらい分かるでしょ。
「あの子」に内緒話をしたら、こう広がって、あの人の耳に届いて、結果こうなるって予想できるでしょうに。
そこで終わりにしておけばいいのに、なんで最後に「その一言」を付け足しちゃったのよ。といったもの。
カッコ内がシオです。いや、ミソでした。

付け加えて、行動編でいうと、「君がそこをサボることによって、後に続く人が余計な手間を取らなければならなくなるよ」ってのもあるね。
些細なことでも、というより些細なことほどイラっとくるもんで、例えば、トイレットペーパーが自分のとこで切れたのに替えないとか、そういうの。数秒で出来るじゃん!って類のやつね。
で、なにがイヤかってそれを私が替えたところで、奴はなんとも思っちゃいないことなのよ。
これ以上の「誠に遺憾でございます案件」って、生きててそうそうないことだと思うんだ。

規模の大小はあれど、人に迷惑を掛けつづけるタイプの人間っていうのは往々にして無自覚で、注意したところで直りゃしない。
私も含め、25を過ぎたら性格や行動なんて余程のことがない限り変わらない。
今日ここで迷惑を掛ける奴は、明日もどこかで誰かに迷惑を掛けるし、今日道やライヴハウスの床に座り込んだ奴は、明日も同じ様に同じ顔して同じ様な場所で座り込む。
そして、今日トイレットペーパーを替えない奴は、10年後の今日も絶対トイレットペーパーを替えないんだ!ああ゛!!
迷惑を掛けるだけなら五兆歩譲って目をつむるけど、そういう人ほど真っ当な注意をしたら反省するどころか激昂したり、被害者っぽい振る舞いを始めたり、なんだかイロイロでヘトヘトです。

私は、TwitterやブログなどのSNSを「独り言」や「自己満足」の場ではなく、「聞いてほしいから書いているよ。ときどきは褒められたいわ。何故なら、嬉しいから」という気持ちで使っています。精神的には5才児です。
なもので、あまり愚痴っぽいことや批判めいたこと、後ろ向きなことは書かない様にしているのですが、せっかくの機会ですし、今日はその「想像力」についてちょっとかじってみたいなぁ、と。
あんまり長くなるとあれなんで、ひとつだけ身近な例をあげるとですね、私はあれなんですよ。「ライヴ中に私語をする人」が物凄く苦手なんです。
「隣の人が大声で歌ってて不快だった」みたいな話をいろんなところで耳にしますが、私はそれ以上に嫌かもしれない。というか、幸いどのジャンルのライヴに行っても「大声で歌う人」が近くにいたことがなかったから、こんなことを言ってられるのかもしれないんですけどね。

誰のどのどんなライヴであろうと、指定席でない限りはフロアのいっちばん後ろで電柱の様にステージを眺めている私。
壁と見事に同化しているせいで、壁と間違われて寄り掛かられた経験も何度かあるくらいです。
人間とは愚かなもので、寄り掛かられると徐々に「壁」としての責任感が芽生えてしまい、「終演まで彼女を支えていなくては」という壁本来の使命感に追いやられ、結果ライヴどころではなくなってしまいます。
そんな壁…じゃなくて私なので、フロア前方で天真爛漫にピョンピョンブンブンしている方々を見ていると、同じ会場にいながら「別世界の人たち」を目撃している気分になるのです。そして、純粋に羨ましいなぁーとも思います。
それは、「彼女たちは確実に私よりも”今”を楽しんでいる!」という嫉妬でもあるのですが、それ以上に「”私語族”に巻き込まれない」という点での羨まし具合がなかなかのものでして。
というのも、その民族は大体がフロア後方を植民地としているんですね。
この主張に関しては、いつも前方にいる方でも「まぁそうだろうね」と頷いてくれることでしょう。

しかし、負けてばかりではいられません。人間というのは進化する生き物。
20年に渡って常にそこらへんに居続けた壁こと私には、ある特別な能力がついていました。
というのも、開演前からなんとなく予想がつくんです。

「(前後左右のお客さんを見て)あぁこの人たちはきっとライヴが始まってもこんなテンションで喋り続けるんだろうなぁ」と。

熟年の仕分け技も段々巧みになってきて、その精度が上がってきた頃から「きっとそうだろう」と思った段階で、私はそこから離れた場所へ移動する様になりました。

ふぅ、これにて安心。
さて、開演時間だ。
わぁ、暗転した。
はい、SE流れた。
さぁ、メンバーが出てきた。
ほぉ、一曲目はバラードか。
せい、すぐ目の前の子たちが大声で話しはじめた。
え?まさかの君たち、隠れ私語スチャン!?なんてこった。

がっくりしながら横目でチラッとさっきまで自分がいた「私語族だろうゾーン」を見ると、なんと彼女たちはめちゃくちゃステージに集中して熱い眼差しを送っている!
ぎゃん!精度なんて!全ッ然上がってなかった!一曲目から最後の曲までずっとこの調子だ!
バラードが何なのかなんてこの子らにはもはや関係がない!あぁ今日の公演全滅だ!ぜんめつだーー!!ぜーんーめーつーーー!!!ってなこともしばしばです。
自分の能力を過信するのはよくないね。

はてさて。こんなとき、私が私語さんにムムッとなる感情。
彼女らに対する嫌悪感というのももちろんありますが、その怒りを覆い隠すほど大きく浮かび上がってくるひとつの疑問符があるのです。

「それって、今じゃなきゃダメなの?」
これです。

冒頭の「それを今言うかね、君!」っていうのと同じで、「それ、イマ?ナゼ?」の念が止まらない。
とはいえ、同じチケット代を払っているということと二足歩行であること以外、そこに集まった人たちに共通点などないから仕方がない。
たまたま私にはないっていうだけで、人によってはどうしようもなくテンションが上がって「(演奏中であれ)どうしても今隣の友達に話したいこと」が出てくることもあるのでしょう。
耳打ちでこそこそっと話す程度なら同じお客の立場であるその方に腹を立てる様なことはないですし、その日の公演がイベントライヴであれば「このバンドにはあまり興味がないんだな」くらいでおしまいなお話です。
ただね!すぐ終わるからちょっとだけ言わせて!そのバンドを観に来た人だけ!の!ワンマンで!大声!の!私語は!どうか!ご勘弁を!!と、どうしてもそれだけは思わずにいられないのでございますです。

「そういう楽しみ方をするものだ」という前提があったとしても、私がニコニコ動画を昔からあまり好きじゃない理由もきっと同じ。
自分の観ているもののなかに人様の私語がテキスト化して流れていくという地獄絵図。
それは、「見る。打つ。共有する」を同時にこなす若者の器用さについていけない愚かな自分に気付かされる瞬間でもあります。だから余計にイヤ。

好きなバンドの歌を遮ってまで話したいことがあり、演奏の音に負けない様大きく口を開いてお喋りをする人。
当たり前に「?」といった表情で聞き返す隣の人。
相手に聞こえるまで何度でも懸命にトライする人。
その後ろで「あとにしてよ」と思う人(わたし)。
きっとこれは、一生解決することがない戦なのだろうなぁと思います。
「君みたいな女子は精米所で彼氏にプロポーズされて何度も聞き返して呆れられて振られちまえ!」とまで思ってしまう私は本当に小さい男です。
あぁ世知辛え。激辛え。

というわけで、「長くならないためにひとつだけ例を出す」という対応策がまったく功を奏さなかった本日の日記。
「もう音声配信でもなんでも個人的にやって喋っちゃった方が楽だ」と思ったりもしますが、それこそ本物の独り言になっちゃうのでね。自重します。

それにしても、想っていることを文字にするのって体力がいるなぁ。
キーボードぺちぺち時代な今ならなんとかって感じだけど、実際に紙に書くとなったら余計に大変ですよね。
普段好きなアーティストにファンレターを書かれている御嬢様よ。その愛情表現がいかに素晴らしいことかを今一度再認識して、その苦労をいとわないご自身を超褒めてあげてくださいましまし。その行い、心意気、まじ、素敵よ。

長々と失礼致しました。
この文章で一日の眼精疲労にとどめをさされた皆様に、このあと心地良い睡眠が待っていることを願うばかりです。
それではそれでは、おやすみなさいませ。
起きているのなら、引き続き良い夜を。