わたくしごと

その名は呪い

常日頃から私と接している、もしくは接したことのある方なら誰もが承知のことで、SNSを通じて話を聞いてくださっている方にはあまり伝わっていないであろうこと。
それは、私がすごく、ものすごく、それはもう日本人男性史上最もと言っていいくらいに「恋の話」が好きなこと!
今日は、そんな恋のお話の中から、私がずっと胸に抱えつづけているoneについてお話ししましょう。
テーマはこれです。

「好きな人の名前って、強いよね」

気付けば私もあと5ヶ月程で35歳になる、亜樹さん風に言うところの立派な「初老」ですので、これまでの人生で人並みに恋をしてきました。
別れたばかりの頃がどうだったかは別として、今思い返して未練や後悔があったかと言われればなし寄りのなし(ナウい)なのですが、それでも別れて何年も経った恋人のことを今でも時々思い出すことがあります。

以前の記事内でも触れましたが、私は総合的に馬鹿なくせして記憶力だけは妙に長けている人間です。大切だった恋人との思い出ともあらば、そりゃあもう「いつどこに行ってその道中でどんな会話をしてどういう空気感の中でどういうことを思ったか」なんてことを思い出すことなどちょちょいのちょい。
意識的にそれらの回想を泳ごうものなら一年は退屈せず、それはもはや「立派な趣味」にも成り得るものでしょう(溺れ死ぬからしないけど)。

過去を思い出すきっかけは、日常のなかに意外と多くあります。
というのも、私。自身は何も成していないのにも関わらず、何故か昔から恋愛相談や人生相談を受けることが多く、その度にこれまでの恋愛や今の状況、そこで知ったこと・感じたことなどを実体験として相手に伝えるのです。
それにより、かさぶたになりかけていた古傷が何度も再生して、なかなかに痛々しい状態を保ち続けている。そんな状態です。助けてください。

自身の体験を人に話すとき。
一緒に行った場所へ再度やってきたとき。
送り迎えをした道のりを偶然車で通ったとき。
処分し忘れていた手紙やプレゼントを目にしたとき。などなど。
いろいろなタイミングで彼女たち(っていうとちょっと変だけど)のことを思い出しては、「元気にしてるかなぁ」とぼんやり考えてしまいます。

そんななかでも、心の奥底にしまい込んだ「記憶箱」を悪戯に開けまくる厭味な鍵がこの世には存在します。それこそが、今回のテーマにあげている「名前」なのです。
しかし、その名が世の中に溢れかえった「よくある名前」であれば、もしかしたら話は別だったのかもしれません。
というのも、私の恋仲 or お付き合いしてきた女性の多くは、苗字か名のどちらかが割と珍しい子だったので、その物珍しさこそが余計に偶然出会ったときのインパクトを大きくさせてしまっている様に思えるのです。
ちょっとここに一例をあげてみようかとも思ったのですが、それだけで本人のSNSなんかが見付かってしまう可能性もなきにしもアラブ首長国連邦なので、そこはシークレットでご容赦願います。


とはいえ、普通に生活しているなかで、知らない人の名前に触れる機会というのは、多い様で実際はそうでもなかったりします。
思いつくあたりでいうと、新しく出逢った人と挨拶をするときやレストランのウェイティングリストを書き込むときくらいでしょうか。
そんな数少ない機会だからこそ、余計に!そう余計にインパクトが!ああ!!

前述の通り、私の心を痛めるのはただでさえ珍しい苗字ズですから、自己紹介のときに「はじめまして。○○(ex.彼女ネーム)と申します」なんて言われようものなら、一瞬で脳が「わっ!」となって、その先の会話がうわのそらになることもしばしばです。

そんななかでも、私にとって特に厄介だったのが「出口」という苗字。
地方によっては、あまり珍しくないことを最近知ったので泣きながら例にあげます。
「出口」の字面を見て、なんとなくお察しいただけることでしょう。
そう、この文字列は、もはや「名前」の領域を超え、ありとあらゆる場面で私の網膜に襲い掛かる悪魔のワードなのです。
町中のそこかしこに点在する出口出口出口。ハートブレイクしてから半年程は、この単語に酷く悩まされました。
私がもし暴君体質な国のお偉いさんだったとしたら、世の中にある全建造物から「出口」を消滅させたことでしょう。
一歩踏み入れたが最後。めくるめく「入口だけの世界」に庶民を閉じ込めては、涙を浮かべながら高笑いする哀しき支配者。
何千万人もが訴える「家に帰れない悲しみ」と「私の恋の終わりに宿りし哀しみ」は同等なはずだ!我慢しろ!と、当時の私だったらそんな暴論も口走っていたでしょうし。
つくづく自分が権威ある家系に生まれた三男でなくて良かったと思います。ビバ彩の国!

なんて具合に騒ぎ立ててはみましたが、それに頭を抱えていたのはあくまでも過去の私。
「LIPHLICH TIMES 8」の制作により、記憶を曖昧にする術を手にした今の私は別人よ。
というわけで、今宵は中島みゆきの『あの娘』と加藤ミリヤの『ディア ロンリーガール』で大量の女性名を浴びながら、記憶を曖昧にする旅へと出掛けます。もしよければ、みなさんもご一緒にいかが?
って、ここを見ている方の多くは女性か。
男の名前がたくさん出てくる歌ってなさそうだし、やっぱり「名前」に寄り掛かってしまうのは女性特有の思考なのかもしれませんね。私、男だけどね。おやすみね。良い夜をねー。