わたくしごと

ライターになりました

どうもこんばんは。唐突ではございますが、タイトルにもあります通り、私「ap.kani」こと渡辺公平(大抵出席番号逆最前)は6月9日よりライターとしての活動をスタート致しました。
実は昨夜、そんな私のライターデビューを飾る記事がディスクガレージ様の情報サイト「DI:GA ONLINE」にて公開されました(リンクは最後に貼るからちょっと話聞いて!)。

そして、更なる唐突ではございますが、記念すべき初仕事の原稿を書き終えたとき、私はこんなことを思ったのです。

「どうやらこのままでいくしかなさそうだ」

「このまま」というのは、ここに至るまでの十数年で思いのままに文章を書いていく内、知らず知らずに身についてしまったヘンテコな言葉選びであり、真面目な顔をしながらちょっと読み手の足を挫きたくなる陽気さであり、伝える為であれば既定文字数を余裕でオーバーしちゃう駄目駄目さであり、と言った私の手癖みたいなもののことです。

媒体によりけりとはいえ、その多くが「フラットでそつ無く、主観を一切排除したプロらしい文章」を求めていることは、普段それとなくご自身の好きなアーティストの記事をお読みになっている方にもおそらく伝わっているのではないかと思います。
しかし、そこに意識を置いてみたところ、これまで鬱陶しい程の長文を書き続けてきた手がものの100文字程度で止まってしまい、一向に原稿が進まなくなってしまったのです。
「ここでも待っていたのかい?挫折ちゃん」そう呟きながら、私にとってはとても難しい「プロの文章作り」に苦しむ日々が続きました。
「見たことをそのままフラットに!フラットに!」と自らを鼓舞してはみましたが、それをしようとすればするほど「私がこれを読んでくださる方に向けて努力すべき点はそこじゃない」という想いもどんどん膨らんでしまい、結果「ええい!もう振り切ってしまえ!」とズババババ書き上げたものが1文字の修正もなくそのまま記事となって世に飛び出していきました。まじ、戦慄。

「文章を書く→推敲する」
幾重にも及ぶそのループを抜けたとき、緊張の糸が切れた私はベッドに仰向けで横たわります。今回に限らず、長文を書き終えたあとはいつもそうです。
原稿を完成させた6月12日の明け方。私は天井を見上げながら、なんとなく過去のことを思い返していました。
それは、周りから再三にわたる注意を受けていながら、自己の体調管理を怠り続けた愚かな自分自身のこと。

私は元来不器用で、それらしい能も学もないくせに自分の作るものにだけは異常なこだわりを持ってしまう人間です。
そんな身の程知らずであるが故、連日にわたる長時間の作業とそれによる慢性的な睡眠不足がたたって目を患ってしまい、数年前に前職を一度退職することになりました。
元々スマホ依存の対極にある人間な上、テレビも見ない、更に本も映画も大ッ嫌い!な私にとって、医師から命じられた「目を休めなさい」という指示は痛くも痒くもないものでした。
しかし、「ベッドで寝転がる」「ときどき散歩に出掛ける」という退屈な日々を繰り返していく内に「働いていない自分に価値はない。どうして皆はあんなに立派なのだろう。このままじゃ誰にも合わせる顔がない」といった自責の念に襲われ始め、軽度だったかとは思いますが半年ほど鬱の様な状態に陥ってしまいました。

失業に加え、同時期にお付き合いしていた恋人との別れも重なり、絵にかいた様な廃人生活。
別れの原因が仲違いであれば、きっとあそこまで塞ぎ込むこともなかったでしょう。しかし、この件に関しては私が完全なる加害者でした。
何年も時を共にしながら「結婚」の二文字を相手が意識するたびに「今の自分に出来るのだろうか」と考え込んでしまい、何の選択にも及ばないまま過ぎていく長い時間に耐えかねた相手から手を切らせてしまったのです。それも、こういった別れはその彼女で二度目でした。
心底申し訳なく恥ずかしく情けない話で、様々な感情が解けた今ですら、ときどき別れの日のことを思い出したりします。

自業自得の傷がすぐに癒えるはずもありませんでしたが、眼の方はおよそ3ヶ月程で完治し、「さてこれからどうしようか」と再度苦悩期へ潜りこんだとき、友人をはじめとする多くの仲間が連絡をくれました。
「もう何もない」と軽く自暴自棄になっていた私にとって、「自分を構ってくれる人がいる」という事実は何にも代え難い薬でした。
更に有難いこととして、そんな私に「一度会ってお話しませんか?」「うちで働いてみませんか?」と何度も声を掛けてくださる企業様もいらっしゃったのです。
大昔に辞めた会社の社長や同僚、知り合いづてで紹介された他業種の役員の方、そして私がこれまでに作ってきた文章や物をこちらが恥ずかしくなるくらい評価してくださったデザイン事務所の方。
その内の数社が地方の企業様だったこともあり、DEZERTの『楽しい食卓ツアー』を車で回りながら、東海・関西地方の企業様を訪問した日々のことが、まるで昨日のことの様に思い出されます。

「自分のやりたいことを!」なんていう(私にとっての)お門違いな願望に溺れることは非常に危険でした。
現実問題として私ももう若くないですし、「いくらその瞬間が幸せであっても、遣り甲斐に殺される人生だけは辿っちゃならない」という経験に基づいた強い想いもあったので、そういった企業様が提案される堅実で先の明るいお話に心が大きく揺れたことも事実です。
しかし、そんな状況にあっても尚、どうしても晴れない靄が胸の内に滞留していることを感じ続けていました。
そして、その靄の正体が「出来ることをやらずに生きてきた己の燻り」であることも分かっていたのです。

休職前の私は、「こういうこと出来たら面白いですよね」と無限に湧き上がるヘンテコな企画を鬼の様に提案するくせして、相手から「いいね。じゃあやってみる?」と好感触を示された途端、「いやぁ自分にはちょっと…あっはっは」といった具合に怖気づくしょうもない奴でした。
なにをするにも「先立つ不安」に押し潰されてしまう臆病な性格には自分でも辟易します。
しかも、そう在りながら「なんでも挑戦するべきだよ!明日からじゃない!今日からやれ!」という成功者の熱弁を心から鬱陶しく思う人種でもあったりするので、まぁ手に負えません。

しかし、どうしたことか今はあらゆるモノゴトにそこまで不安を覚えなくなってきている自分がいます。
この数年で何か自信を持つ様なきっかけがあったかというと特に思い当たる節がないので、これに関しては私自身も謎ですが、「別にお前なんて何も失うものないじゃん」という気持ちが日に日に大きくなっていることがその理由である様にも思えます。
幸か不幸か微妙なところ。「後ろ歩きで前に進んでいる」そんな感じです。

なんて、だらだらと綴られた「テメェの事情」など、聞くだけあなたにとっては時間の無駄でしかないことを知りながら、ここまで読んでくださった方にだけお話すると、「任せてもらえた仕事を一定期間本気でやってみて、それで生活が出来るまでになれたらこれでいこう!」というルールのもと、今はフリーライターという道を歩むことにしました。
組織で使っていただくことも考えましたが、「どこにも属さないからこそ形に出来るもの」というのが確実にあり、実際このサイトにもそういった記事が多数存在しています。
更に言うと、この環境にいることによって以前にお声掛けいただいた他業種の方々と仕事をすることも出来ているので、恩返しが一通り済むまでは一人でいたいのです。
ただ!本心を言えば、その「一定期間」を抜けた暁には手の届く範囲に多くの仲間がいる場所で働きたいです。だって、死ぬほど寂しいんだもの(‘;’)

「モノを書くこと」について、ド素人ながら私個人が思うこと、考えていること、懸念していることは数多くありますが、「”自分の好きなバンドについてこの人に書いて欲しい” “よく知らないバンドの記事だけど、こいつが書いたなら読んでやってもいいかな”と思ってもらえる人間になりたい」という願いの大きさにはどれも及びません。
読み手の心に残らず、依頼主に何も与えられない「ただあるだけの文章」を書いてお金を得る罪悪感に臆病な私が勝てるわけありませんからね。
この気持ちは変わらぬ自戒として、私の中にいつまでも留めておく所存です。
そして、スタンスとして「行儀良くありたいものだ」と思いながらも、どこかで何かをぶっ壊してやりたいという気持ちがメラメラ燃えていることは内緒の話。
私自身の人生も、シーンを彩る情報においても、もう退屈は御免なのです。

これまでは、音楽とは全く関係のない媒体からのお仕事もお受けしておりましたが、今後は私が主とすべし!な音楽関連のライティングにも着手していきたいです。
「すべての方に御覧いただけるもの」「自分の名義が出ているもの」に関してはブログやTwitterで告知させていただきますので、「時間が有り余ってしゃーなし!」なときにでも御覧いただけるととても嬉しいです。
記事の公開URLと共に、編集後記ならぬ「寄稿後記」みたいなものをその都度ブログに書いていきたいとも思っております。

というわけで、全ジャンル・全方位のプロダクション様、及び編集部の皆様、なにかお仕事がございましたらTwitterのDMか「ap.kani.23ji@gmail.com」までご連絡をお願い致します。
可能であれば、アーティストと直では接さないお仕事が望ましいです(もうわがまま)。

以上、カテゴリー通り&文字通りの「わたくしごと」でした。
ここまで長々とお付き合いいただき、有難うございました。
明日は、第一回「寄稿後記」をお送りします。非ご期待!

うさぎ
うさぎ
公開されたライヴレポは下のツイートから飛べるよ。
いやはや、人生ってやつはつくづく、映画のようだねぇ。