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LIPHLICH『時に人生は映画のように』寄稿後記

いやはや、ここ数日皆様には長い長い文章を押し付けてきてしまいました。
もし仮に「更新されてる度に見てるよ」という方がおられましたら、あなた様は私の書いた文章を毎日5000字以上読まれていることになります。
普段、目にする文章の文字数を意識する機会などそうそうないかと存じますが、この5000という数字はなかなかに凄い。
比較対象として、Webメディアに掲載されるしっかり目のライヴレポはおおよそ2000字、般若心経が約270字です。
先にお伝えしておきますが、本記事もまた3500字の長編でございます。覚悟の上、お付き合いください。

ちなみに一昨日公開されたこちらのライヴレポは5804字でした。
思うがままにガガガガと書き上げた初期の原稿は8500字でしたので、そこから灰汁という灰汁、脂という脂を根こそぎ落とし、あのサイズに落ち着かせたという塩梅。
と、そんなことを口にすれば、なかには「全部読んでみたかったな」という物好きさんが一人くらいはおられるかもしれません。
しかし、初期状態は客観性に著しく欠けている上、文章の流れもめちゃくちゃで目も当てられない醜態です。
どこに載るものにしても、最終的に公開された記事が文句なしに一番読みやすいので、そこに妙な価値を感じるのはグレイトナンセンスアンアーよ。

で、です。
毎度恒例の「唐突」ではございますが、ちょっとここで画面越しに質問させていただいても宜しいでしょうか。主にウェンディの皆々様に。

あのー…

掲載された記事を読まれている途中で…

「あれ?これ書いてるの、あいつじゃね?」

と勘付かれた方…いらっしゃる?

というのも、「KING OF F」ことフジプロダクションの長 佐藤社長とのこんなやりとりがありまして…

 

私
しゃしゃしゃちょう!原稿出来ました!
KING
KING
ほう、それはご苦労さん。どれどれ…(熟読)。
おー良いんじゃないかね。感動したよ。
私
ありがとうございます。
公開初日は皆様に前知識なしで御覧いただきたいので、私は翌日にRTします!
KING
KING
それは構わないけど、多分最初の数行で君が書いたってバレると思うよ。
私
いや、一応あれでもかなり「わたし感」を消したつもりなので、多分大丈夫です。
KING
KING
うーん…すぐバレると思うけどなぁ…
でも、いろんな意味で公開が楽しみだね。
久我さん
久我さん
おーっとそこの御両人!
話を勝手に進められちゃあ困りますぜ。
私
ひぃっ!
久我さん
久我さん
ちょっと原稿を拝借するよ。
私
・・・(震)
久我さん
久我さん
あー…歌いながら「なんっかおかしいなぁ~」と思ってたら、マニックの2A(2回目のAメロ)2回歌ってたのか~。あんれま~。
KING
KING
今気付いたのかよ…
久我さん
久我さん
ふむふむ。ライヴレポ感はきっちり踏襲しながら、遊び心と愛があって嬉しいねぇ。でも、マニックのくだりはちょっとなぁ~。
まぁ修正に関しては社長にお任せするよ。それじゃsee you~♪
KING
KING
・・・
私
…とのことですが…
あのくだりの修正は…
KING
KING
なしで!!!
私
く、狂ってる!!!

※これは、あくまでもテキストによるやりとりをラフに演出した寸劇であり、
久我さんの発言は社長づてにお聞きしたものである。無論、御二人の口調はもっと紳士的。

 

と、そんな会話を経ての公開となりました。
もしKINGの予想通り、読んでいる途中で「なんだこの文章。様子がおかしいぞ…(スクローーール)…やっぱりお前か!」と見事的中させた方がいたなら、そりゃもう「さすがは猫目の伯爵を堕とした麗しき乙女。御目が高い…」と、その素晴らしい洞察力に感服致します。と同時に、好みかそうでないかは別として、それは私が過去に書いたものを読んでくださった証拠でもありますので、その点に関しましても大変嬉しく思います。

さて、話を戻しましょう。
今回の公演は、1部・2部共にインターネットで生中継されており、会員であればタイムシフトで録画可能なライヴだったため、レポ要員である私にはいつも以上に「文字に起こす意味」を考える必要がございました。
正直、ライヴレポにおける「文章」ってやつは、「映像」と「写真」の力に太刀打ち出来ません。
現に私も写真だけさらーっと見てページを閉じることの方が遥かに多いです。
ただ、それがお仕事である以上、そんななかでも自分なりに「任されたことは何なのか」その正解を見付けなければなりませんでした。
MCやセットリストに関しては終演後にファンの方が超絶的即レポをTwitterにあげてくださいますし、それと共にあらゆる角度から撮影されたトークイベント時の写真もアップされます。
LIPHLICHのファンの方は特に事細かなレポを多数あげられる印象がございますし、それより何より前述の通り、ライヴをそのまま収めた映像がネット上に残っているのです。
「一通り情報の熱が冷めた頃にポンッと公開される”文章”なんてのは、その時点で軽く賞味期限切れだ」と思っている私にとって、「書く意味」に悩むことは極自然な流れでした。

そして、足らぬ頭をフル回転させた結果、「”空気感”ならぬ”空間感”を文字にする」という結論に行き付きました。
場内に渦巻いた瞬間瞬間の感情をフラッシュバックさせる様な、平たく言うところの「臨場感」に近いものです。
聴的な記憶力には自信がありますが、視的な記憶には若干の危うさを感じていたので、小さなノートとペンを膝上にのせながら、数々の「外せないシーン」を目で追いつづけました。

そうそう。文脈的にあのレポからは外すことになった秘密の一段落についてお話させてください。
それは、あの日の公演に私が感じた「LIPHLICHの起承転結」についてです。

2010年 LIPHLICHという「起」の旗を立てた久我新悟と、
2012年 その世界に熱い「承」を施した新井崇之が、
2016年 小林孝聡の加入によって明白な「転」を迎え、
2019年 劇的な出逢いによって竹田和彦という名の「結」を得る

と、初期の原稿には、こんな文章を入れ込んでいました。
ここでいう「結」とは、LIPHLICHが流れ流れ辿り着いたひとつの美しい「結論」であり、レポの最後にも書いた「悲しみの終わり」に繋がる言葉でもあります。
今日に至るまで、ファンが知り得る情報だけでも数多く存在した「LIPHLICHの危機」。
その苦悩が終息を迎えた様に感じられるあの公演が奇しくも「ロックの日」に開催されたことによって、本来眉唾な「運命」という概念がただならぬ信憑性を帯びてしまったなぁと、そんなことを思ったのです。

そして、私はその美しくも盛大に乱れた光景を眺めながら、「ここは絶対に文字にして残す」と強く誓ったことをノートに殴り書いていました。
その強烈な想いは、開いたページの最終行へ。

「くが マニック ど頭 ぶっとばす」

…どうしてもAメロ飛ばしちゃった件を書きたかったの(ここまでの流れ台無し)。

ただ、あの一節で私が一番に伝えたかったのは、乱痴気騒ぎ屋と踊り子ちゃんの誘いを2度も「結構です」の一言で振り払った久我さんの冷徹さではなく、その後に続いた竹田さんのくだりなのです。そこのところ!どうかご理解を!
なんて騒いではいますが、個人的には「大分流れるような書き方でそれを表現出来たのではないかな」とも思っています。

というわけで、寄稿後記『時に人生は映画のように』編はこれにて終了。
書きたいことは全てあの記事に収めましたので、もし宜しければ忘れた頃にでもまた読んでいただけるととても嬉しいです。
他にお伝えしたいことなんて「1部と2部の間に設けられた2時間の雨降り放牧タイムが暇すぎて参った」ということと、「2階席のアングルから見るドラマーはめちゃくちゃ格好良い」という気付きと、「業務上仕方ないとはいえ、メンバーさんの名前を呼び捨てするのは精神衛生上良くない」ってことくらいなものです(結構あった)。

ここまでお付き合いいただき、有難うございました。
LIPHLICHの輝く今と未来にcheers!

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