わたくしごと

私は媒になりたい

「特異性を貫いたメディアは、何よりも魅力的だと思うんです」

これは、長年に渡り雑誌編集をされていた方に呼び出された際、私が小声で延々繰り返していたセリフです。
熱狂的で、潔いくらいに偏愛で、でも客観性を欠かず、きちんと最後まで読み手の好奇心を維持させる文章を書ける人。そんなライターが一堂に会したウェブメディア。
これこそが私の望む「理想の居場所」です。

広く浅くフラットに最新情報をバンバン提供する媒体。
そういった、いわゆる「まとめサイト」形式の音楽情報サイトが今は山ほど存在します。
でも、それはもう必要とされない様に思うのです。
これはあくまでも「今から焼き増しのメディアを立ち上げる場合」のお話ですけどね。
「先行者優位」だなんて古の木星人は上手いことを言ったもので、YouTuberも投資家もブロガーもメディアも、先に収益性を嗅ぎつけた人間が圧倒的優勢を占める。It is 世の常。
人様の情報を扱って利益を得る以上、先人の真似っ子で先駆者並みの成功を勝ち取ろうだなんて、どう考えても無謀です。

アイドルに造詣が深く、一ファンとして熱狂している人にアイドルの記事を。
邦ロックに造詣が深く、一ファンとして熱狂している人に邦ロックの記事を。
ヴィジュアル系に造詣が深く、以下ほぼ同文。

「ペン」という名のスコップを持った作業員を「ライター」としましょう。
そのスコップの鋭利さは、彼ら一人ひとりの抱える各シーンへの知識や思い入れの大きさに比例します。
そんな屈強な作業員の動きを指示するのは、「編集者」と呼ばれる現場監督。
監督は設計図を基に、そう広くはない集落へいくつもの深い穴を掘らせます。
「偏愛!熱狂!」と宗教じみた掛け声で、穴を掘り続ける作業員。
この「穴」というのがいわゆる「コンテンツ(記事)」であり、その穴だらけの集落を「メディア」と呼ぶ。
私のイメージするウェブメディアの形は、そんな感じです。
私がこの空想劇をミルクティー片手に訴えている最中、ex.編集姐さんから「煙草吸っていい?」と割り込まれたことを今でも恨んでいます。ちゃんと聞いて(‘;’)!

「CDが売れないのは何故?」と問われれば、「音楽に興味のない人が昔より遥かに多いから」と答えます。
「サブスクの台頭っしょ!」と言われれば、「そこまで使ってる人多くないっしょ」と返します。
「V系のCDショップが潰れるのは、タワレコとかでインストが出来る様になったからだよね」と結論付ける人を見掛けては、「あまり詳しくは言えぬが、専門店が全滅してインストが外資系一本になったとしたら、イベントをする(出来る)バンドの数が超超超壊滅的に減るよ」と苦笑いします。
「今はAmazonがあるから実店舗はいらないよね。イベントもアウトストアが主流になりつつあるし」と口にする人の軽い言葉に屈するのはあまりに癪ですが、悲しいかなそれも一理あります。
しかし、それはあくまでも数ある内の「一理」に過ぎないことも事実です。会場費だって馬鹿になりませんから。

「今は娯楽がたくさんあるから、若者は音楽以外のことに夢中なんだよ」
これもよく聞く意見ですが、一個人としては「正直あんまり関係ないんじゃないかな」と思います。人ひとりが嗜む趣味の数に制限なんてありませんからね。
「もしゲームが世の中から消えたら、彼らは音楽に興味を持ってはしゃいでくれるのか」を予想するに、そうだとはとても思えないのです。
だって、私が小学生の頃はみんなテレビゲームも音楽も両方大好きだったもの。

「なんで売れないの?」という真っすぐな質問。見解も真っすぐにお返ししましょう。
私個人の感覚に過ぎませんが、単純に「音楽にお金を払う」という選択肢を持つ人自体が超少ないのです。
私は初対面の方(美容師・マッサージ師・知人の知人等)と話す際、「音楽って聴きますか?」と尋ねる様にしています。相手はみんな「若者」です。
これまで100名以上に同じ質問をしてきましたが、「何か仕組まれてる?」と疑ってしまうほどに「聴かないですねぇ…」という言葉が返ってきます。
ex.編集姐さんもこれには凄まじい勢いで同意の念をぶつけてきました。
ちなみに彼女の煙草の銘柄はLARK。女性で吸ってる人を初めて見たわ。

御託を並べても埒が明かない。
はてさて、それなら現代における「メディアの使命と役割」って何なのでしょう。
私の意見は唯一つ。「アーティストのファンを増やすこと」です。
これは、amebaでブログを毎日更新していた時代も、CDショップでスーパーかさばる長文デザインPOPたちを命絶え絶え制作しつづけてきたときも、各メディアに記事を寄稿させていただいている今も変わらない考えです。

「でも、肝心な”母数”が少ないんじゃ意味ないでしょ。どうやったら音楽を聴く人が増えると思うかを聞いてるの!」と、サンマルクカフェでex.編集姐さんからズイッと入り込まれたとき、私はこう即答しました。

「今いるファンをもっと熱狂させればいいんじゃないですか?」

そもそものそもそも論ですが、今現在「音楽にお金を出す程の興味を持てない人」は、音楽をメインに扱ったウェブメディアなんてまず閲覧しません。
そんな状況下において、音楽に興味のない人へ宛てた熱い記事を掲載したところで、それは単なるライターの自己満足に過ぎないのです(ちょっと前にもこんな話しましたね)。
メディアが全力で対象にすべきは「今いるファン」それに尽きます。

そういった意味でいうと、ヴィジュアル系専門店でのPOP・グッズ・レビュー記事の作成という販促手法は実に理にかなっていました。
何故なら、お店に来るお客様の9割9分が「既にヴィジュアル系を愛している人」だったからです。
現に、店頭展示のPOPを見て、よく知らないバンドのCDを購入してくださる方が、引いちゃうくらい多くいらっしゃいました(言葉が悪いけどそのくらいってこと!)。
アーティストから「この店からだけ異常に注文が入る」「ここだけやたらインストの発券数が多い」と驚かれたことも数知れず。
「やれば変わる」という法則がそこには確かに存在していたのです。

「ここでしか見られないもの」という付加価値は、そんなに小さなものではなかったと、今でも私はそう信じて止みません。
相変わらず自分のことには一切自信を持てませんが、目の前であげた成果とこれまでに手掛けてきたデザイン・文章には、とても大きな愛を持ちつづけています。
もちろん、その対象となる多くのアーティストや、あらゆる制作物を楽しんでくださっていたお客様への想いも並々ならぬものです。

しかし、私の力ではどうにもなりませんでした。
一個人には何かを支え続けるだけの力なんてなかったことを知ったとき、本物の挫折感を味わったのです。
職場ですら一言も口にしたことはありませんでしたが、本当に悔しかった。
あれだけの年月、継続して一切の妥協なくやってもやってもやっても、結局こんなもんかと。私はきっと、自惚れていたのでしょう。情けない話です。

CDショップでは駄目だった。次はどうしよう。
毎月似通ったラインナップで構成され、もはや「大遅刻」とも呼べるくらいの時差で情報が掲載される高値の雑誌媒体には夢が持てない。
「自身でメディアを立ち上げよう」と思い、研究をしてみたところ、それには莫大なコストが掛かることを知った。
なんでいなんでいてやんでい!と右往左往する私が次に見つけたのは、既存のウェブメディアでした。調べると、そこには様々な表情を持ったサイトがズラズラリ。
即効性と拡散力に長け、そこに発信者の想いが直に伝わる文章を載せられる。
デジタルな媒体であれ、例えそれが偶像的なものであれ、雑誌に触れたときと同じ様な「手触りを感じるコンテンツ」さえ作れれば、紙媒体やPOPに近しい価値を生むことも可能かもしれない。
文字数も紙媒体程気にする必要がなく、手軽に音楽誌やフリーペーパーを入手できる地域にお住まいでない方にも一瞬で平等に情報を届けられる。
不確かな売上に怯えながら、大量の在庫(借金)を抱える必要もない。
ページの検索も参照も容易。出先でも読める。内容が良ければ、指一本でシェアしてもらえる。
なんだこれは。最高じゃないか、と。

そう思ったときに、ウェブの勉強をしようと決意したのです。
あまり深い知識はありませんが、それでも全体の構造を理解し、簡単なコーディングであればスイスイ出来る様になりました。
次なるステップは「熱狂的な文章を書ける舞台探し」です。
実は、今まさにその真っ只中だったりします。

「ウェブやウェブや!」と騒いではおりますが、人や作品の価値を広げる一番のツールはそれではありません。
時代がいくら移ろえど、変わることのない最強の宣伝方法。それは「口コミ」です。これに勝るものなどありはしません。
話題の芸人がテレビで話す珠玉のエピソードよりも、同僚がする上司のモノマネの方が笑えたりするでしょ。それと同じ。
私たちはいつだって、「遠くのプロ」より「近くのファン」を信用する。
あらゆる技術の進歩によって、あまり問題視されないようになりつつある「距離」ですが、情報を伝える上で、こいつは本当に重要だと思うのです。

届くわけのない相手に向かって、「このバンドは!これだけ凄くて!!」と叫ぶよりも、その記事を見て「これは他の人にも読んでもらいたい」と現存のファンの方に思ってもらうことの方が大事。
その子はきっとSNSでRTしてくれるでしょうし、もしかしたら記事に対する感想なんかも書いてくれるかもしれません。
不思議なもので、全然興味のないアーティストであっても、仲の良い友人が頻繁にその話をSNS上で書き続けていると、無意識に「あの子が好きなアーティスト」という認識が定着していくものです。
メディアの勝負は、きっとそこから始まります。
大好きなアーティストに出逢うきっかけは様々ですが、他を趣味とする人に音楽の素晴らしさを伝えるきっかけの多くはTV・ネットをはじめとするメディアですからね。
この場合でいうと、「友人」こそが最強のメディアとも言えるでしょう。

諸行無常がなんとやら。
多くから「不必要」とされるものは、容赦なく淘汰されていきます。
実は、先日「フライヤーとCDの必要性」をテーマにした記事をポチポチ書いていたのですが、読み返してみたときに我ながら「あまりに寂しいな」とグズってしまい、ベシッと削除してしまいました。

私はCDが好きです。
音楽誌だって、いつまでも残っていてほしいと思っています。
本は読むことこそ大の苦手ですが、読み物として印刷物を作ることは好きですしね。
形あるものの愛らしさ、温かさを知らない人なんて、現代においてもそう多くはないことでしょう。
あとは、今の自分が欲しいかどうかは別として、フライヤーだって立派な宣伝ツールです。
会場外でのビラ配りの文化を否定することなんて出来るわけがありません。
何故なら「僅かな可能性に賭ける」という気概を、僭越ながら私も抱えているからです。

でも、どれだけ愛着を持っていたとしても、思い入れだけでは守れないものが多くあります。
身をもってそれを知った私は、ギリギリ腐らずにいた信念を胸に「この気持ちを次はどこへぶつけようか」と考えていました。
そして、辿り着いた先がウェブメディアであり、記事執筆だったのです。
超キザな物言いでやんなっちゃいますが、まだ諦めたくないんです。
「例え細やかであったとしても、自分にもまだ何か出来る」と、心のどこかどころじゃなく、ド真ん中でそう思っていたりします。

あーあーなんだか仰々しい記事になってしまったなぁ。消しちゃおうかなぁ。
…というわけで、4645字に及ぶ「メディアよ~私を愛せよ~」というお話でした。
いやはや、こういう話はやっぱり苦手だわ。でも、頑張りますね。おやすみなさい。

アリオ川口のスタンプラリーでペタリ