わたくしごと

分~ゼイタク~断

ここ最近、ちょっとした映画ブームが到来しており、『アラジン』『トイ・ストーリー4』『天気の子』『ペット2』を立て続けに鑑賞しました。
「作品を観に行く」という目的は確かなものですが、私はそれ以上に「映画館に行く」という行為そのものを楽しんでいたりします。むしろメインはそこです。
これは、車で遠出をするときなんかも同様なのですが、私は「着いてからの事々」よりも「どこどこまで行く」という過程にこそ大きな魅力を感じてしまいます。
「着いてからのことほど、思い出にはなりにくい」という本末転倒を幾度も繰り返すのです。

映画館でいうとそうね、ショッピングモールの中にあるところなんかだと特に心がざわめいちゃうな。
モール内を歩きながら、徐々に見えてくる映画館のスペースを確認し、「明らかにあの辺だけ暗い!」と、ただそれだけで大分楽しい。
「まだ何も起きちゃいないのに居るだけで楽しい」というこの感覚は、ホール公演の会場に着いたときのそれとも似ています。
普段、ライヴハウスにばかり行っているせいで余計にそう思うのかもしれませんが、どんなに小規模な会場であったとしても、ホールに入った瞬間のあの匂いと椅子が綺麗に並んでいる様を前にすると「うわあああ」と唸るものです。
これに関しては、ヴィジュアル系を好むあなた様もきっと同じだと思っています。そうじゃないと困る。信じてる。そうじゃないなら、罰としてこの日記を最後まで読まねばならぬの刑に処す。それくらい、共感してほしいのです。

さてさて、最近の私はというと、前述の映画鑑賞と並んで「分断」という言葉がちょっとしたブームになっています。
「分かれ分かれに切り離すこと」という、まぁ読んで字の如くな意味なのですが、ふとしたときに「分断って良いな」と思うのです。
私が個人的に思う「分断」の様。それは、「アナログとデジタル」。
括弧付きでカッコツケれば、「アナログ(選択不可)とデジタル(選択可)」といった塩梅。
「人間は時代遅れなものにほど、贅沢を覚えるのかもしれないなぁ」なんてぼんやり考えたり。
そんな「取捨選択が容易で手軽なもの」にあまり感動を覚えなくなっている人間様に愛らしささえ覚えるのです。

言ってみれば映画なんて数ヶ月もすればBlu-rayやDVDで発売され、なんならNetflixなんかでちょちょいと配信されちゃう時世。
それなのに、何故わざわざ足を運んでまで顔見知りでもない人々と同じ作品を楽しもうとするのか。
その答えはきっと、映画館という「環境」に価値を感じているせいなのでしょう。

大画面で、迫力の音響で、作品を浴びるあの感覚。
半年前までは映画なんて全く観に行かない私でしたが、いざその空間で作品を観ていると「はぁ~なるほどですね~なるほどですね~」と、腹立つ営業マンみたいな相槌を脳内でトントン打つのです。
一歩外に出れば現実感増し増しのショッピングモール。
そこから隔離されたこの異空間感に高揚しているんだなと。

この「分断という贅沢」はライヴもそうですし、もしかしたら読書家の方にとっての書籍も同じなのかもしれません。
スマホの情報から隔離された「本」という存在。
私は読書が超苦手な人間なのであくまでも憶測でしかありませんが、なんとなく本というものを好き好んで手にする人からは「今からこれを読むぞ」という意気込みというか、どっぷり集中の海に潜っていく覚悟を感じるのです。
「何かをしながら」「誰かと話しながら」ではなく、深い没入感を得るための「本」という「環境」にお金を出しているのかもしれないなぁと。

ZEAL LINKでフリーペーパーを作った理由のひとつに「分断されないことで得られる宣伝効果への期待」というものがありました。
日々、アーティストやプロダクションから大量にいただくバンドの最新フライヤー。
しかし、時代が時代ということもあってか、店頭に設置されたフライヤーラックを意識的に見に来られるお客様は極極極めて少ないというのが実態です。
しかし、どのお店にも「バンドが費用を捻出して作った宣伝物だから、一人でも多くの方の目に触れさせてあげたい」という想いがあります。
ただ、いくら工夫を凝らしてショッパーに折り込めど、フライヤーの告知期間中に配り切れないということが多々あるのです。
もちろん、「そのバンドが好きな人は、既にライヴ会場でフライヤーを貰っているから、わざわざ店からは持ち帰らない」ということも考えられます。

フライヤー・CD・音楽誌。
今の時代では「コア」と呼ばれる様になった方々にとって、それらは変わらず必要なものです。
しかし、現実問題として「昔に比べて不必要とする方が大変多い」という事実は捻じ曲げられません。
「今までがこうだったから、これからもこうでいけるだろう」という考えを持ち続けていたら、今後もあらゆるものが壊れていくことでしょう。
それに代わる新たな価値を生み出すことが業界を取り巻く大人たちにとって一番の課題なのだと思います。私は個人的に試してみたいことがたくさんあるのですが(‘;’)

「分断」は優れものです。
「好きなものを好きな分だけ手に出来る」という便利さからは抜け出せません。
しかし、「好きなものだけ」を摘み取ることで損失する機会も確実にあります。
そういった憂いじみた考えから、「フライヤー情報も一冊のなかに掲載することで、目当てだったバンドの記事以外も見ていただこう」という発想が生まれ、あの様な形を作ったわけでございます。
ペラペラッと捲るたった一瞬であっても、一切見られないまま終わるよりは余程価値がある。
そんな「僅かな可能性にすら賭けたい」という気持ちが作り手のなかにはあったりします。
会場外における、いわゆる「ビラ配り」と呼ばれる行為に励むバンドマンなんて、その最たるものです。
「この1枚を渡すことによって得られる成果」に賭ける。
その時間と労力を惜しまない姿勢の尊いことよ!
時代遅れの贅沢。その恩恵を受けるバンドやお客様が一人でも増えることを願ってやみません。
「偶然の出会い」がもっと精度高く生まれるシーンになってくれたら最高ですね。

あれあれ。なんだか真面目な話になっちゃったわ。
元は何の話だったっけ。あ、映画か。
これから『天気の子』をご覧になる方がいらっしゃるなら、老婆心ながら忠告させてもらうわ。
とにもかくにも空いている時間帯を狙い、更に周りと席を空けて観ることをオススメる!
あの作品は、スクリーン内の登場人物を突き動かす感情と音楽との一体感が凄まじく、そのなかでも特に「休符」の魅力が濃いので!
何度かやってくる珠玉の静寂によって、魂が映像へ吸い込まれていくあの感覚を堪能しないと損だわ。
というわけで、半径1m以内に飲み物ズズズマン・袋シャカシャカマン・スーパー私語スチャンが居た場合は「あぁ…なんてこった…」と天を仰いで、また明日に観ましょう。

最後になりますが、川越の氷川神社にも行ってきました。

「縁むすび風鈴」なる催しがあってね。
パンフレットや告知サイトでの美麗フォトに誘われて行ってみたら、全然大したことなくてちょいガッカリだったけど、長野の「サマーキャンドルナイト」で同等のガッカリを経験した私にとっちゃ大した傷にならなかったわ。罪なフォトグラファーにグッドラック。

縁むすび風鈴は、9月8日(日)までやっているので、「川越駅なら片道500円で行けるよ!」なんちゅう方は是非行ってみてくださいね。駅から全ッ然近くないけどね。ヘッヘ。
長々と失礼致しました。それでは皆様良い水曜をー。

川越氷川神社の「恋みくじ」は釣るタイプ