わたくしごと

DEZERT『black hole』を予約する

昨夜、およそ15年振りにCDの予約をしました。
備え付けのボールペンを手に取り、アーティスト名の欄へ「DEZERT」、タイトル欄には「black hole」と記入したとき、「あぁ十数年のブランクがあっても、この作業は割と濃いめなデジャブを見せてくれるなぁ…」と思わず黄昏れ。
今や絶滅危惧種の「街のCD屋さん」で予約を済ませ、帰路につくのでした。

埼玉県与野市(現さいたま市)で生活をしてきた私の最寄りCDショップは「埼玉のラスベガス」こと「大宮」の西口にあるHMV。
私の音楽的青春時代を語る上で、欠かすことの出来ない場所です。
が!厳密に言うと「HMV大宮」にはこれっぽっちの思い入れもなく、私にとっての青春はHMVが出来る前、同じ場所にあった「THE NACK5 TOWN」というCDショップで花開いていました。
そんなこんなで、失礼ながら「HMV大宮」は「大好きなCDショップの跡地」という認識でしかなかったりします。
渋谷公会堂が何度その名を変えても「渋公」と呼ばれつづける様に、赤坂BLITZにわざわざ「マイナビ」を付けずに呼ぶのと同じように、私にとってその場所の名は今でも「THE NACK5 TOWN」なのです。

ときは1997年8月10日。
忘れもしない。私が「はじめてのシーディーよやく」を執行した日。
アーティスト欄に「ピエロ」と書き、タイトル欄は空白のままにして、ゴリゴリロックな井出達のレジ姐さんに予約用紙を提出しました。
なんせ当時小学生だった私が書くには、あまりに難解なタイトルでして。
だって『CELLULOID』よ。今だって調べてコピペするくらいの難易度だもの。L多すぎだろ。

さて、今となっては、猫カフェ・WEGO・眼鏡屋さん、そしてHMVが展開されている大宮アルシェ5階ですが、当時はCDが売れに売れていた時代だったせいか、ワンフロアが丸々CDショップでした。
あの頃のNACK5 TOWNは、今思い返しても不思議なくらいにインディーズバンドのデモテープやCDが大展開されており、ヴィジュアル系も流行っていたので、V系コーナーが異様な賑わいを見せていました。
あちこちに設置された14型の分厚いブラウン管からは、キレッキレなポーズを決めたバンドたちのPVが延々と流れていたものです(大音量デ音割レ激シ)。

V系コーナーの隅っこには、ファン同士が交流する「ファンノート」なるものが積みあがっており、お店を訪れたVなお客が「公開式ファンレター」ともいえよう熱烈なるバンド愛を最強の筆圧で綴っていました。
あれから20年が経った今でも鮮明に覚えているのが、ある日を境にファンノートが表情を変えたときのことです。
いつもの調子で様々なバンドへの想いが認められたページをペラペラと捲っていたらば、左ページの上部に突如として現れた「こっち側はピエロのこと以外書き込み禁止×」の赤文字。
そして、それに対抗してか、右ページには「Dir専用スペース」の殴り書きが。
こうして、両党による紙上の熱き冷戦が幕を開けるのでした。

左ページにピエラーが「朱い月のキリトが色っぽ過ぎる」と書こうものなら、右ページには「京君のシャウトは世界一!」などと綴られており、その横には超上手な京さんのイラストまで添えられていました。
「おい!誰か絵描けるピエラーはいないのか!?」という声なき左陣営の焦りを嘲笑うかの如く、その後も虜サイドのページには綺麗な絵がドコドコ登場。
多感な思春期に刻まれた「ディルのファンは絵が上手い」という認識は、未だに抜けていなかったりします。
ページの境界線を飛び越えた喧嘩こそ起きないものの、見開きで何十ページにも渡って繰り広げられる左翼と右翼の溺愛一揆に一触即発の緊張感を覚えては、その感覚が癖になり、お店を訪れる度に恐る恐るページを開くのが習慣に。
両者の隙間を縫って控えめに綴られた「MALICEのことも書かせてください」の丸文字に胸を痛めたのが20年も前のことだとはとても思えません。傷が深すぎる。

いち店舗の片隅でそんなこんながあるくらいに世間は音楽で賑わっていました。
NACK5 TOWNに限らず、街のCDショップはどこもかしこも広々としており、なかにはSEIYUの上階を占拠した店舗があったりして。
そういえば、北与野駅のすぐ傍にある関東最大の書店「書楽」にも「アミューズメントパークかい?」ってくらいに広大な音楽ソフト売場があったなぁ(後に壊滅)。

こんな話をしていると、「あの頃の熱気を取り戻してほしい」とか「昔は今と違って音楽が盛んで楽しかった」なんて感傷駅を経由しそうにもなりますが、残念ながらまったくもってそういう話にはなりません。
むしろ、今の音楽市場に慣れれば慣れるほど、「あの頃が異常だったんだ」という想いが大きくなるばかりです。

もちろんCDは好きです。
そうでなければ、7年もCDショップ勤めなんて出来なかったことでしょう。
ただ、応援しているバンドや彼らの音楽を好きでいる理由こそ数あれど、「CDが好きなこと」にとりわけ理由なんてねぇ!というのが本音。
それでも敢えて好きな理由をあげるならば、「再生すれば、好きな曲が流れるから」ってところでしょうか。

定期的に開催される「CD VS サブスク」みたいな論争に私がこれっぽっちも乗り気になれないのは、どちらもそんなに変わらないと思っているからです。
「これまで何故CDを買っていたの?」と問われれば、「そういうものだと思っていたからじゃない?」と答えます。
そして、「ジャケットや歌詞カードも込みで世界観が云々」といった強い意見を耳にすると、どうしてもこんな風に思ってしまうのです。

 

「それ、後付けの理由じゃなくて?」

 

「共感の順序」という記事で書いた持論を持ち出すと、「CDが好きな理由を考え始めたのって、それが主流じゃなくなった今になってからじゃないの?」ってやつ。
「ソンナ順序ナドDoデモイイ!ヒネクレモノはシネ!」と液晶越しに罵声が聞こえてきますが、「そこまで考えてCD買ってなかった族」の私からすると、結局そこに落ち着いてしまうのです。
「YouTubeや違法サイトでの再生では、アーティストにお金が入らないからCDを~」なんてのも、全く考えたことがない。
ただ欲しいから買っていただけで、好きな音楽を好きなだけ聴く方法を「CDの再生」しか知らなかったから、そうしてきただけのことです。
極論ですが、例え歌詞カードやジャケットがなかったとしても、好きな曲が聴けるのであればCDを買っていたし、サブスクの到来が仮にCDより先だったとしたら、一枚もCDを所持していなかったかもしれません。
その証拠に「サブスクってなに?」な頭でつい半年前まで過ごしてきた私は、今現在Spotifyを「とんだお宝ツールだ!」と崇めまくっています。
そして、あの頃と変わらず、どのメディア・どのツールを使っても、好きな音楽を聴くことは楽しいのです。

ちょっとばかし寂しい気もしますが、余程の拘りがない限り、環境が品質を凌駕することなんて十分有り得ることで、こと娯楽に関して言えば、「モノ」への執着が薄れてしまうのも仕方ないと思います。
その事実に虚しさを感じるより、「あんなにも不便で楽しかった青春時代」と「スマートにも程がある現代」の両方を楽しめる私はなかなかにラッキーだなと。
現状しか知らなければ、今が便利であることにも気付けなかったわけですからね。
とはいえ、いつの未来にも「今の不便」が活きていくものなので、そもそも生まれた時代なんて関係ないのかもしれませんが。
「Spotifyとか、今思えばマジ不便!」そんな言葉を口にする頃には、一体何が生まれているのかねぇ。

さてさて、そんな「スポティファイさいこー!」な私ではございますが、冒頭でお話しした通り、予約してまで欲しているCDがあります。
迫る11月27日(良い鮒の日)にリリースされるDEZERTのフルアルバム『black hole』。
発売に先立って配信された『バケモノ』は、YouTubeで観ラレル聴ケルの大盤振る舞いっぷりなので、寒さに震える指でド真ん中の右向き矢印を押してみてください。もじゃもじゃの可愛い化け物が元気に歌い踊っておりますのでね。

くー楽しみぃー。
おやすみぃー。

あざちゃん
あざちゃん
DEZERTにまつわる記事は他にも色々あるよ。
でも、リンクは貼らないよ。
なぜなら、面倒だからだよ。