わたくしごと

妬み嫉み悩みは弱み

「みんながみんなそうじゃないって分かってるけど」

「別に頑張ってる(忙しい)アピールじゃないけど」

「別に否定するわけじゃないけど」

「(自虐的な物言いに対して)そんなことないよって言ってほしいわけじゃないけど」

 

いるか?と思う。その文言。
でも、いるんだと思う。言う人にとっては。
それはきっと他者への配慮なんだろう。不快にさせたくないんだろう。優しさなんだろう。思い遣りなんだろう。
でも、思っちゃうものはしょうがないから、もう一度だけ言わせてほしい。

 

いるか?その文言。

 

こんにちは。タイヤを新品に交換してからというもの、運転の楽しさが2割増しになって幸せ~と思いきや、洒落にならぬガソリンの高騰により、ドライブが一番お金のかかる趣味となってしまった私です。

いるか?この前置き。

 

さて、今回は私が常日頃感じている「いるか?」にまつわるお話。
結論としては「いらん」が私の答えです。
顔を合わせての会話の場においては別バナですが、自分が勝手に書いているものを勝手に見ている人に対しては、断固として「いらん!」の一択。
私は下の名が公平なので、それに準じて見る側に立ったときもその考えを変えません。
「この前置き、いらんなぁ~」って。いつもいっつもぼやいてしまうのです。

そう思うのには、2つの理由があります。

ひとつは「主張が濁るから」
もうひとつは「弱みを握らせてたまるか」という考えから。

ではでは、ひとつずつ見ていきましょう。
予めお伝えしておきますが、今日は例の如く、私の短所発表会でございます。
相変わらずちょっと面倒な話なので、ハッピーな気持ちのときにご覧ください~からのまくあけ~。

 

理由1.「主張が濁るから」
これは単純に「言いたいことが曖昧になる」ってことです。
冒頭の4つでいうと「別に否定するわけじゃないけど」なんて良い例ですね。
ってのもね、それにつづく言葉って9割9分9厘「否定」でしょ。
「自慢じゃないけど」から始まるのが9割9分8厘「自慢」であるのと同じでね。

「なるほど、否定するわけじゃないのね。ふむふむふむふむ。なんだ、否定じゃん」

「自慢じゃないのね。オッケーオッケー。ふむふむふむふむ。え?それ、自慢以外の何なの?」

このケース、多すぎるというか、もはやそれしかないと言っても過言じゃない。
これって、私みたいな「結局何が言いたいのか」を気にするコマケー民からすると、嘘つきのやり口なんですよね。
それだけでも眉唾なのに、加えて反撃を喰らう前の防御をしている様にも見えて「卑怯だなぁ」とまで思ってしまう。
まぁ防御といっても、それはペーパーライクフィルムばりにペラッペラな盾なので、防具としては大分頼りないハリボテなんだけれども。

つい最近も話した気がする。
「そういうつもりじゃなかった」なんて事後主張は、あなたの歴史も人柄も本名も声もイエベかブルベかも知らないネット越しピーポーにゃあ通用しない。
言葉の意味は芸術同様、発する側でなく、受ける側が決めること。どうやったって他人の脳味噌は掻き回せない。
そうなってくると、いよいよあの前置きには何の意味もなくなってしまう。

だって堂々巡りだもの。

A「○○を否定するわけじゃないけど、私は〇〇のことを好きな人の気持ちが分からないし、○○自体あまり良いとは思えないかな」

B「え?それが否定じゃなければ何なの?良くないって言ってるじゃん」

A「あくまでも”私個人はそう思う”という話をしたまでです」

B「でも否定じゃん」

A「そんなつもりはありませんので、価値観の違いということでドロンさせていただきます(ポュンッ!)」

 

どうでしょう。大分稚拙な例ですが、これに似た流れを目にされたことのある方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
この場合、口調こそ腹が立つものの、私はBの言っていることの方が正しいと思うんですね。
これは、以前にもお話した「言わない様で言っている」という駄文にも繋がるもの。
その前置きは何の意味も成さないし、なんなら逆に否定された側の神経を逆撫で兼ねないよー気を付けてーってやつ。
「逆に逆撫でる」って、なんだか逆の逆で素直に愛でてるみたいになっちゃってるけども。

 

言わない様で言っているサイトの復旧も完了し、はてさて今日は何を書こうかしらと思った折、「私がよく思うことシリーズ」のひとつとしてまだお話していないことを見つけ...

 

どうせ伝わらない人には伝わらないなら、いっそ数子細木にでもなりきってズバッと言い切ってしまえばいいのに。
配慮が配慮として機能せず、それどころか逆効果になる恐れもあって、更にそこから続く主張が濁って、曖昧になって、結局何が言いたいんだか分からない。こんなにも何か言っているのに!コスパよ!Apple Pencilのペン先レベルの!コスパの悪さよ!バカバカしいったらないわ。

大体ね、人はそんなに頭を使いながら文章を読んだり、話を聞いたりしちゃいないんですよ。
あなたの実体験でも、他人の持ち場で巻き起こった議論上でも、「そんなこと一言も言ってなくない?」とか、「なんでそんなひねくれた解釈するんだ?」ってな発言に遭遇することございますでしょ?

その他大勢が理解している言葉の意図をまったく理解できていない人。
まぁその内の半分くらいは「理解しようとしない人」だったりするんですが、そういう方と律儀に戦おうとする人の膝に私はネザーランドドワーフ(オレンジ)をのせてあげたい。

「よしな。それは無駄な戦だ。得るものなんてなにもない。撫でよ」と一言添えてね。

ネザーランドドワーフのコブちゃん

理解しない人の中にもきっと色々いるのでしょう。
単純に理解力のない人。
絶対に曲げることのできないその人なりの正解がある人。
途中で自分が間違っていることに気付いたものの、後には引けずに駄々をこねている人。

いずれにしても、相容れない意見を持つ者同士の抗争は、大体が相手との揚げ足取り相撲か謝罪要求合戦に発展して、最後は誤っているであろう側が泣き言みたいな捨て台詞を吐き、その場から消えて終戦。
敗者は自身のスペースへ帰っては、議論から逸脱した感情任せな厭味と愚痴の不発弾を処理しながら、憎き勝者をチラ見する。
この認識がまぁまぁ正解であるならば、そんな相手に配慮を尽くす必要なんてないだろうと、私は心底そう思うのです。

好きな人の言うことはなんでも輝いて聞こえる。
嫌いな奴の言うことはなんでも癪に障る。

見ず知らず、ネット越しの人間同士がやりあう評価のし合いなんて茶番に過ぎません。
何かをきっかけにしてあなたを嫌う様になった人、誰かが嫌いと言っていたから自分も嫌いってな自分ナシ子ちゃん、変に神経過敏で自分とは異なる考えの人間を目にするとすぐにキレて突進してくるサイみたいな人もいたりして(サイは目が悪いせいで、動いているものをなんでも敵だと思って突っ込む習性があるのよ)。

好きも嫌いも、あらゆる判断を鈍らせる麻酔みたいなもの。
分からせてやろうとするだけ無駄なので、争いの場がTwitterならすぐにブロックしたらよろしい。
なんたってそれは、ユーザーに許された公式の機能なんですから。
それについて何か言われようものなら、「文句は私でなく、その様な機能を実装したTwitter社に言ってください」の精神でゲームセット。

なんでもなかには「なんで私をブロックしたんですか?」なんてことをわざわざ他のアカウントからDMで尋ねてくる奇人もいる様で、その話を聞いたときに「そんな質問をしている自分が虚しくならないのかな…」と不思議に思ったものです。

ブロックした理由なんて「嫌いだから」「目障りだから」「関わりたくないから」「自分の人生から出禁にしたいから」以外にそうあるものじゃないですし、「ごめんなさい。間違えてブロックしちゃったみたいです!」なんて言ったところで、余程相手が騙されやすい人間でない限り通用しないでしょう。
だって、ブロックまでの流れってワンタッチじゃないんだもの。
百歩譲ってタップミスのせいにしても、「ブロック」の上は「ミュート」、下は「報告(通報)」ですぜ。
どれにしても「嫌いじゃない人」に施すもんじゃないわ。
まぁ「ごめんなさい。あなたをミュートしようとしたら間違えてブロックしてました」って物言いも皮肉が効いていて、私は嫌いじゃないけどね(・x・)オッホ

あれ、なんか大分脱線しちゃったな。
戦いの話なんてする予定じゃなかったのに。まぁいいか。
それじゃあ二つ目の理由へ参りましょう。

 

理由2.「弱みを握らせてたまるか」
もうこれに関しては私くらいしか思ってなさそうなので話半分に聞いてください。

ここで言う「弱み」というのは、自分が言われて腹が立つこと(嫌なこと)を指します。
言わば弱点ですね。「これを言われたら、本当に不愉快だ」というハラワタニエクリカエリワードを変に突っかかってくる恐れのある画面越しモンスターにわざわざ教えちゃうのかい君は!という注意喚起です。
これは何を言っているかというと、例の前置きが防御どころか逆に「急所への道しるべ」になっちゃってるよってこと。

例えば私がめちゃくちゃ強い格闘家でバッキバキな腹筋の持ち主だったとしたら、ネット弁慶の口だけひょろひょろ兄ちゃんとバトルをする際、腹の前に盾を構えないと思うんですね。
だって、殴られても全然効かないことが予想出来るから。
なんなら盾自体が邪魔だから放り投げてしまうかもしれない。

人が盾を構えるのは、突かれたら痛い場所。
こいつがつまるところ、弱みを相手に知らせる行為になるわけです。

 

ここでもう一度、冒頭の例を持ってきます。

 

「みんながみんなそうじゃないって分かってるけど」

「別に頑張ってる(忙しい)アピールじゃないけど」

「別に否定するわけじゃないけど」

「そんなことないよって言ってほしいわけじゃないけど」

 

これらすべてが「そう言われることを恐れている証」だと私は考えています。
「みんながみんなそうじゃないって分かってるけど」という前置きを添えるタイプの人に向かって、「は?私は違いますけど?決めつけないでもらえますか?主語デカすぎでうざ」と言ったら。

「頑張ってるアピールじゃない」という枕から忙しエピソードを話し始めるタイプの人に向かって、「はいはい頑張ってるアピールね。えらいえらい」と言ったらば。
どうでしょう。確実に相手は脳内大出血です。画面が光る。クリティカルヒット。

「そう思われるのが嫌で嫌で仕方ない」という思いから、一歩先の攻撃を予想して「誤解されたくないから先に言っておこう」と、あの手の前置きを立てているんじゃないかと。
「それこそひねくれすぎだろ」と言われそうなもんですが、私はついついそう勘ぐっちゃうのです。

でも、先程も言った通り、どんな盾を装備したところで理解したがらない人もいる。
更に言えば、「そうじゃない人がいるのも分かってるよ」の一言で丸くなる牙など否定派は持ち合わせちゃいないんですよね。
つまりはつまり、またしても無意味なone。
無駄な労力を使った上に弱点まで教えちまった。最悪。ってな具合。
賛でも否でもどっちでもいいけど、考え方のニュアンスだけでもあなたに伝わっていたらいいなぁ。

 

そんな私は、今も昔も、他人に悩みごとを相談しません。
例えそれが旧知の仲であっても、尊敬できる上司であっても、親であっても恋人であっても。

悩みは弱みです。
そりゃあもうさっきの前置きたちとは比にならないレベルのね。
突かれたら一瞬で死ぬくらいの急所なので、口外されて困るような話は誰にもしないと決めています。

「”誰にも言わないでね”とやたら口外されることを恐れながら噂話や他人の粗相を話してくる人間は、6000%口が軽い」という私の自論があります。
これも言ってみたら弱点ですね。
当人からすれば「誰にも言わないでね」という言葉は盾なんでしょうが、こちらから見ればそれは「恐れ」と太字で書かれた標識。ご丁寧に矢印まで伸びてやがる。

つまり、「その話を他人に漏らした」というそやつの弱みを私は握ったわけです。
とはいえ、余計な問題に口出しして面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめんなので、私が面白がって人に話すことはないんですけどね。
良く言えば「口が堅い」ってことになるんでしょうが、実際のところは「巻き込まれたくネェ~」というモノグサ根性からなるだんまりに過ぎません。
TwitterでもブログでもYouTubeでも、時事ネタやニュース、バンドでいう解散・脱退報告などに対して何も言わないのもそういった考えからです。
「みんなよくもまぁ火の中に飛び込んでいくもんだなぁ」と、火元から大分離れた位置で傍観することはもちろんありますけどね。
安全と引き換えに、一番面白くないインターネットの使い方をしている感は拭えませんが、とりあえず今世はこのスタンスのまま逃げ切るつもりです。
火のないところで、ネザーランドドワーフを撫でたいのでね。

 

というわけで、今日は「いいよいいよわざわざそんなこと言わなくて。分かる人は分かるし、分かろうとしない人はそんな一言で許しちゃくれないから意味ないよ。お好きに言いたいことを仰いよ」といったお話をしてみました。
ここまで付き合ってくれたあなたは終日大吉なので、ひきつづき素敵なサンデーをお過ごしください。
サンデーといえば、森永のサンデーカップおいしいよねーではではー。

 

るりん
るりん
「言ってないけど言っている論」の動画バージョンもあるよ~すぐ下よ~