永眠
逝去
追悼
冥福
遺作
そのどれもが「久我新悟」とは結びつかないまま、ただただ「何故」「何故」と繰り返すだけの日々が続いています。
後悔も、怒りも、慈しみも、それらを一口で飲み込もうとする喪失感も「特別」と呼ぶにはあまりに悪趣味で、いまだに何が起こったのか把握しきれていません。
信じられない・信じたくない、ではなく、分からない。
それが今の本音です。
久我さんは数年にわたり、私にこんなことを言ってくれました。
「僕らは似ている」
ファンの方からすれば盛大に「ハァ??」でしょうが、なめないでいただきたい。
その遥か上をいく「ドコガァ??」を毎度久我さんに打ち返してきたのは何を隠そうこの私。
たしかにお話のなかで共感めいたものもいくつかあったような気がしますが、せいぜい片手がギリ埋まる程度の数でしたし、なにより私の自論を耳にしては高頻度で「それは全ッ然わかんないっすね!」と笑い飛ばしてきたのも彼でしたから。
ほんと、不思議な方です。
LIPHLICHとの思い出をここで語り明かそうものなら爪が何枚あっても足りませんし、誰にでもできるような話なら私が出る幕などないので、手短にだいぶ個人的な話をさせてもらいます。
そう、手短にね(ここであなた、スクロールバーの位置を確認し、絶望)。
私がお伝えできる、近い近い出来事。
となるとまぁ、「解体新悟」の話になりますわね。
ご存知でない方もいらっしゃるでしょうから懇切丁寧に説明すると、あったんですよそういう企画が(雑)。
はじまりは私がCDショップを退職し、LIPHLICHが当時の所属事務所を離れた頃。
それまで個人的なやりとりなど一切してこなかった久我さんから、私のホームページを通して一通のメールが届きました。
2022年2月27日(日) 21:49
「ご挨拶」という堅苦しい件名で送られてきたメッセージはたったの6行。
内容は「具体的なことはまだ決まっていないが、今年LIPHLICHとして納得のいく作品ができたら是非お力添えいただきたい」というものでした。
冒頭に季節の挨拶なんかまで添えちゃったウルトラ級のビジネスメールに一時は「本物か?」と疑念を抱きながらも私は心の帯をギュッと締め、絶叫するのです。
「今こそ来たかこのタイミングが!」と。
メールの確認から20分後、「本物だろうな?本物なんだろうな?」と画面に詰め寄りながらカタカタ返信を。
これは私からのメッセージなのでプライバシーなど何のその。原文ママで直貼りします。
2022年2月28日(月) 14:06
件名:Re:ご挨拶
世界の久我新悟様
お世話になっております。
アーティストらしからぬガチガチのビジネスメールを頂戴し、若干困惑気味な渡邉なにがしでございます。
この度は私のような者にご挨拶のメッセージをくださり、誠にありがとうございます。
いただいたご連絡で恐縮ですが、実は私からも何度かオフィシャルサイトのフォームより久我さんにメッセージを送りかけたことがございました。
しかし、今が大変動きづらく、ご多忙な状況であられることも重々承知しておりますので、「どのタイミングでどうお声掛けするのが適切か」と考えあぐねている内に今日まで時間が過ぎてしまった次第です。
こうして久我さんからご連絡をいただけたことで、誠に勝手ながら気持ち的に一歩前へ進めた気がしております。
「具体的な活動は決まっていない」とおっしゃる久我さんに先制攻撃を仕掛けることとなってしまいますが、かねてより私のYouTubeチャンネルでLIPHLICHの楽曲・歌詞にまつわる音声コンテンツを制作したいという想いがあり、密かにご提案に向けて準備を進めてまいりました。
実は、企画提案用の冊子も既に刷り上がっていたりします(画像をご参照ください)。
また、さらなる畳みかけとして、企画の承諾をいただけた際に公開する告知動画も制作いたしましたので、お手隙の際にでもご覧いただけますと幸いです。
相も変わらず、なにからなにまで見切り発車で極めて不躾なお願いとなりますが、もし「聞くだけなら構わん」と思っていただける様でしたら、一度ご相談の機会をいただけないでしょうか。
お忙しいなか、ここまで目を通してくださったことに心より御礼申し上げます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
メールの送信から2週間後(おそ)、久我さんから「返事遅くなってごめーんね。あらあらなんか面白そうなことやってくれてるじゃなぁ~い♪」的なお返事をいただき、そこで初めてお会いする約束をさせていただきました。
私がアーティストとの接触を拒み続けてきた人間であることを知っていた彼だからこそ、そんな奴からの「会ってはくれまいか」という相談にはさぞかし驚かれたことでしょう。
お返事のなかにあった「感無量です」という言葉に恐縮するも、「それに応えられるだけのものを提案しなければ」と、メールを開いたまま即座に企画書へ手を伸ばしたときの気持ちを今でも鮮明に覚えています。
打ち合わせ当日。
会議室までの片道70分ドライブをもってしても緊張は解れることなく、むしろ近づくにつれて心拍数は高まる一方でした。
タワーオフィスの地下駐車場に車を止め、忘れ物がないかを現場ネコばりに指さし確認したのち、いざ戦場へ。
久我さんには予約時間を30分遅めに伝えていたので、その間に収録用のマイクやらなにやらをセットセット。
事前に録音の許可はいただいておりましたが、なにぶん機器の取り扱いに慣れていないものですから、30分間ひたすらに「あーあーあー」なんつって入念にテストを繰り返していました。
そして、約束の17:00。
時間ぴったりにドアが開き、6年振りの再会です。
まぁ「再会」といっても、これまで10秒にも満たないご挨拶を3回ほど交わしたことがある程度の面識だったので、ほぼ初対面といっても過言ではありません。
お互いのことを知っているようで何も知らないという独特な関係性も相まって、交わされた初手の挨拶は実に余所余所しいものでした。
もう隠す必要などないので言ってしまうと、この日の打ち合わせも、その後の収録もすべてルノアールの会議室を利用していました。
「久我さんは珈琲好き」という情報をどこかで見たか聞いたかした覚えがありましたし、これから作ろうとしているコンテンツの雰囲気的にも静かでゆったりと会話できるところが良いと思っての選定です。
「どうせ注文は珈琲じゃろ」と決めつけながらも、念のためオーダーを尋ねます。
すると、回答はまさかまさかのアイスティー。
「珈琲は好きなんですけど歯に色がついちゃうんで、最近は控えてるんですよ」
厭味なくらいにピッカピカかつ猫バス顔負けの歯並びをチラつかせながらそう話す久我さん。
「どっちもさして変わらんのでは?」のセリフを飲み込み、私はおとなしくアイスティー2つを注文します。
なんせお相手は12年来のマイスーパースター。言えるわけもありません。
信頼こそあれど、互いに警戒心の塊。
チョコまみれのような目をした久我さんを前に、「このままなかったことにして逃げ出しちゃおうかな」と爪先で密かにウォーミングアップを始める私。
とはいえ、今日は千載一遇の大チャンス。
これを逃せば一生顔を合わせる機会なし。
意を決して鞄からA4封筒を取り出し、その中からヤツを抜き出します。
「これが、例の企画書なんですけども……」
差し出した冊子。
「おほぉーありがとうございます」と言いながら、大袈裟なまでに長い指でそれをサッとつかんだ彼はページを開くよりも先に、私に向かって質問を投げかけてきました。
「渡邉さんがこうやって直接バンドマンに声をかけたのって、僕が初めてですか?」
唐突なクエスチョンに出鼻をくじかれながらも正直に「はい」と答えると、彼は椅子から腰を浮かせながら旗揚げゲームの要領で企画書をバッと掲げ、「ィやったぁぁあ!」と声をあげました。
呆気にとられるこちらのことなど完全スルーし、「イャッタァ~イヤッタネェ~♪」と、コロ助も好んで歌わないような不気味メロディーにのせて歌っては、ページを勢いよくバッバッバッバと開くのでした。
その笑顔たるや「少年」そのもの。
脱チョコまみれ化したキラキラの瞳を見て、私は確信したのです。
「この人は、贔屓されるのがめちゃくちゃ好きなんだな……」と。
とにもかくにも純粋。
出逢いから今日にいたるまで、久我さんの印象はその一言に尽きます。
きっと、これからもずっと変わることはないでしょう。
一瞬なごみはしたが忘れるな、ここは戦場。
執念のプレゼン、スタートでございます。
企画の概要を伝える前に、私にはあらかじめ確認しておきたいことがありました。
「これを聞いておかなければ先に進めない」ってくらいに大切な確認事項だったので、新曲『ィヤッタネェ~ン』のサビが止むのを合図に、まずはそいつから片付けにかかります。
「久我さんはお一人でご自身のことを話すのがあまり得意ではない印象があるのと、さらに言うと歌詞を自ら解説するだなんて無粋だと思われる方なんじゃないかと思っているんですが、そのあたりいかがですか?」
表紙の質感を確かめるように指で企画書をスリスリしていた彼はその手をピタッと止め、少し上を向きながら、「そうなんですよねぇ、喋りはちょっとねぇ……あと、歌詞解説か。無粋……うん、無粋。そうだなぁ、たしかにそう思いますね」と正直に話してくださいました。
認識が一致したところで、「でも、今回やりたいのはそういった歌詞の答え合わせではなくて~」と、埼玉県民特有の鬱陶しいセールストークが始まります。
ページをめくりながら企画意図をひとつひとつ説明していくと、久我さんは「渡邉さんの感想を聞くのはめっちゃ好きなので、このかたちなら是非やりたいですね」と身に余るお言葉をくださいました。
「最初の3回ぐらいは私がひたすら感想を伝えるので、それに応えていただければ大丈夫です」
そう言ってお別れした日から1週間もしない内に告知動画を公開。
その後、初回の打ち合わせ模様をかいつまんだ音声動画と、久我さんの提案によって本来表に出す予定のなかった前後の長い長いやりとりを記事化し、このサイトへアップ。
そしてそして、その一ヶ月後に「解体新悟」初回収録とトントン拍子でコトは進んでいきました。
すでに一度ロングトークタイムを分かち合った仲。収録は終始和やかなムードで進行していきました。
一人のリスナーが延々とアーティスト本人に感想と質問を投げつけまくるヘンピコンテンツなど他にありはしませんから、その目新しさもあってか公開後の評判は思っていたよりも良いものでした。
リスナーからの反応が大好物な久我さんにとっても、それは良い時間だったのかもしれません。
「これ、面白いなぁ。次はいつやれますか?」と足早に次回の約束をとりつけようとしてくださったことは、私にとっても大変喜ばしいことでした。
しかし、あんな形式のコンテンツですから、当然ながら否の意見もあがります。
現に序盤の数回には「お前の感想なんてどうでもいい。久我さんの話をもっと聞かせろ」というメッセージが5件ほど届いていました。
「良いと思っても何も言わない」「悪いと思っても何も言わない」そんな人間が世の大半ですから、この5件の背後にはそれより多くの批判組が列を成していたことでしょう。
ただ、それを隠して肯定的な感想だけを共有するのは個人的になしだったので、久我さんには毎収録前に前回の動画宛に届いたメッセージやデータ上の成果を包み隠さず伝えていました(もちろん匿名よ)。
否定的な意見を目にするなり久我さんは、「渡邉さんはこういうの大丈夫なんですか?」と心配そうに尋ねてくださいましたが、私は夢見る夢男思考ではないので、「こんなのは全部想定していたことです。それにご覧になる方の意見で右往左往するようでは直に私の思う有象無象のコンテンツに成り下がるので、意見は意見としてきちんと聞き入れますが反映する気はありません。これからどんどん良くなっていくので、このままやっていきます」と返しました。
「ほぇ~~」と顎を指でこすりながらニヤニヤする久我さんを横目に、次も、その次も、と収録は続いていきます。
ファンの方であればなんとなくお分かりいただけるかと思いますが、久我さんは楽曲の件に限らず、あまりご自身のことをベラベラと話すタイプの方ではありません。
照れ屋故、芸術表現以外で我を出すことに苦手意識があったのでしょう。
タ・ダ!
ご本人の耳には届かなくなった今だからこそ言っちまいますが、他人がする自分の話を聞くのはモンンンンンンンンノすっっっっっごく好きな方なんですね。
いや、本人に直接聞いたわけじゃないんでアレですけど、こればっかりはもう確実に!絶対ニダ!
褒め言葉はもちろんのこと、気の知れた間柄であれば本人を茶化すような話であっても超ウェルカム。
現にその手のことで隠し切れない喜びを漂わせまくっている彼の顔を何度も何度も目にしてきましたから。
例えば、アンケート形式で構成した動画内のコーナーなんかもそうでしたね。
みなさんからいただいたご意見をまとめた資料を手にしては、収録後に「これ、持って帰っていいですか?」と毎度持ち帰られていましたし、回を重ねるごとに増えていく感想ひとつひとつにもトッッッテモ嬉しそうに目を通されていましたよ。
そんな彼の「オレノ ハナシ キク ウレシイ」の念を一番に感じたのは、初めて新井さんを収録にお招きした日のこと。
自身の巻き起こした過去の奇想天外うっかりエピソードを相方から次々暴露されているときの彼の嬉しそうな様子ときたら!
ああいうときの彼は少年を通り越してもはや幼児。さながら年少さんです。
そんな新井さんとの初収録を終えた夜、お店を出るなり久我さんは小さな声で私にこう尋ねてきました。
「次回から解体新悟もタッキーに出てもらった方が良いですか?」
祭りのあと。
それは、一抹の不安が滲んだ表情でした。
きっと「自分一人よりもタッキーがいた方が盛り上がるのでは」という気遣いからの提案でしょう。
私の答えはもちろんNoです。0.5秒でNoooooo!!
「解体新悟は久我さん一人のための企画です。あの形でないと駄目なんです」と、偉そうにのたまう雑魚の言葉に彼はニッコリと笑い、「承知しましたぁ~♪」と、ちょいメジャーコード寄りな未発表曲『ショウチシマシタ』を披露してくれたのでした。
しかし、そうは言いながらも私には新井さんを一度限りのゲストで終わらせる気などさらさらありませんでした。
「もっとお話を伺いたいから」という単純な気持ちももちろんありましたが、それ以外にも新井さんにいてほしい大きな理由があったのです。
それは、企画提案時に久我さんがこぼしたこの発言に起因するものでした。
「渡邉さんにはタッキーを引き出してほしいんですよ。彼はガードが固いというか、“自分はこう思っている”っていう部分で模範解答の様な答えを出そうとするときがあるから」
この言葉を聞いたとき、はじめこそ「ガードが固い?新井さんは大分感情に素直な方では?」と思ったのですが、実際にお話を伺っていくうちに「なるほどなぁ。久我さんが言ってたのはこういうことか」と妙に腑に落ちる部分もあったりして。
あれはきっと、新井さんの驚異的な「客観性」に向けられた言葉だったのでしょう。
思い返せば、新井さんはインストアイベントでも、ラジオ出演時でも、雑誌のインタビューにおいても、話の軸が「自分以外の誰か」に向いていることがほとんど。
抜群に頭のキレる方ですから、その気になればいつだって場の主役になれるはずなのに、彼はいつだってアシスト役に徹するのです。
話している人の目をしっかりと見て、どんな些細なことにもきちんとリアクションをする。
話の流れで誰かが損をしそうな流れになると、すかさずその人をフォローする。
あの瞬発力は、まじ異次元です。
でもって、驚くべきはそれらを超自然体でこなしていること。
あまりに自然すぎて、自身を犠牲にしている部分があるのかないのか、素人目には分からないんですね。
そんな新井さんの人柄に助けられながらも、ずっとそばにいる久我さんはその在り方をどこか気掛かりに思っていたのかもしれません。
でも、客観性云々を差し置いても、新井さんは久我さんの話をするのが本当に好きなんですよ。
2億あると言われている秀逸なエピソードを100点満点の笑顔で語っては、「うちの久我くん、めっちゃ面白くないですか(笑)?」と久我親善大使のような振る舞いで嬉々としてPRしつづけてくるんですもの。
で、何度もしつこいようですが久我さんも久我さんで自分の話されんの大好き!な方ですから、それはそれは相乗効果でフルパワーのキャッキャッキャッキャが繰り広げられるわけです。
いやはや稀代の名コンビだ。
テンションは食堂のJKそのものよ。
「新井さんを引き出す」
ただそれだけを目的にしてしまうと会話が途端に嘘っぽく窮屈になりますから、私も私で最初から最後まで思ったことしか言わないスタンスを貫きました。
そうして回し役は完全にお任せいただいて、お二人の出逢い、それぞれの作曲方法、衣装やメイク、大切なバンドとの別れ、ワンマンライヴの全曲網羅レポなどなど、ありとあらゆるテーマを掲げながら、ヘンテコな質問を次々と。
普段は客観に重心を置いている新井さんから主観的でパーソナルな感情が出れば出るほど、久我さんが前のめりでとても興味深そうに、そしてなにより嬉しそーーに聞いていたのが印象的でした。
発する一言一言に「そうそうそう!」と頷いたり、「イェッハッハッハ!」と爆笑したり、新たな気付きに「へぇ~~~」とびっくりしてみせたり、しまいには「え、ちょっと待って!じゃあさ~」と、私を置き去りにして2人でガチミーティングモードに入ったり。
常に聴いている方のことを意識しなければならない立場にありながら、私も私でこのキラキラとした時間を遮る気にはなれず、そこに居合わせられる幸せを噛みしめてしまっていたので同罪です。
そして、嬉しい変化を見せてくださったのは新井さんだけではなく、久我さんもまた同じでした。
「解体新悟」の収録を重ねるたび、私の感想や質問に対する答え以上のことをたくさん話してくださるようになったのです。
歌詞を書いたときの気持ち、当時のバンドの状況、物事の捉え方や感情の機微、自身が何を喜び何を忌むのか、どんな歌を歌いたいのか、喜び、嫉妬、苦悩、生とは、死とは。
特に後半の回ではマイクがあるのを忘れているかのような話が飛び出してくることも多く(結果NGになることも多く)、「詩を材料に久我さんの人格を解剖する」という当初の企画意図が徐々に形になっていくのを感じていました。
あ、誤解なきように伝えておきますが、決して誰かを傷つけるような発言によるNGではないですからね。
カットしたのは、唐突な私への質問や相談事、ちょっとばかし話がディープなところまで行き過ぎてしまったところ、あとはまるで話の本筋とは関係のない部分くらいなもんです。
というのも、久我さんはAB型特有のアレなのか、いつも急なんですよ。話のハンドリングが。
楽曲について話している最中に「あのライヴどうでした?」「あそこもう行きました?」などと唐突に尋ねてくるものですから、まだ免疫のない頃は「へ?どこから繋がった何の話?」と軽く混乱したものです。
久我さんは話がめっちゃ飛ぶか大幅に乗り遅れるかの2択なんですよね。
「今そんな話してないぞ……」と「まだその話してるの!?」のラッシュが凄まじいことすさまじいこと。
あとは深く考えながら一人で語っているうちにだんだん自分でも何を言っているのか分からなくなってきて、「ほれ、上手いこと汲み取って繋いどくれ」と微笑みの目線で合図してくるパターンも多かったぁ。それは結構動画にも残ってるはずぅ。
もちろん迷惑なことなんてひとつもなくて、それらも全部全部楽しかったんですけどね。
あぁ、でも困ったことは多々あったかな。
「使えない話はなしにしましょう。聴いてくれている方に伝わらないと意味ないですから」という私の忠告を幾度も裏切った「これは使えない話ですけど~」から始まるキリキリトーク。
あれに関しては、「いや、使えない話はいいですって!収録収録!」とぶった切るこちらの反応を楽しんでいるだけにも見えましたが。
どうやら久我さんって自身の格好悪い部分を見せるのは嫌だけど、人が慌てたり恥をかいたりしているところを見るのは結構好きっぽいんですよね……
あと、そう!音声まわりにもとっても苦労させられた!!
というのも、収録は胸元につけるピンマイクではなく、コンデンサーマイクというものをテーブルに置いて、それを間に挟むかたちで向かい合って収録していたものですから、マイクから話者が離れると録音される声も当然小さくなっちゃうんですね。
でも、人と座りで向かい合って話すときなんて、距離が大きく離れたり近づいたりしないじゃないですか。
しかし、ここの奇才は訳が違うんです。
大笑いするとソファの背もたれにバーンッと倒れたり、机に突っ伏したりと感情まかせなアクションを爆発させる癖があるうえ、その位置から一生戻ってこないこともあるもんですから、後日音声を確認すると笑い声だけ盛大に音割れしていて、我にかえってからの声がちっさいことちっさいこと。
編集時の音量調整にはマァーーー頭を抱えたものです。
ごめんまだあった。音声がらみの苦。
チョコレートアルミクシュクシュ罪。
収録の場にお土産でチョコレートを持っていったときに、食べ終わってからもその包み紙を手元でずっとクシュクシュクシュクシュするもんだから、そのノイズが延々声に重なっちまって、これまた非常に除去しづらくてね。
それにひとつ食べたら止まらなくなる方なので、4時間丸々クシュられちゃってまぁ悲惨。
「これはもう無理!」と、次の回では音の出ないカステラをお持ちしたよ。文明堂の小さい2個入りのやつ。10秒で食べ終わってたわ。
おいおいまだまだあるぞ、グラスをテーブルに置くときのカンッッ罪!
あれって振動も相まって結構な爆音ノイズになるんですね。
なもんで、それ対策で何度目かの収録時にフワフワ素材のコースターを買って持って行ったんです。
久我さんには事前にそれを見せて、「グラスはこれに置いてくださいね」と散々念押し。したにも関わらず!2分後にはそれをよけてカンッ!3分後にもカンッ!!
無言でコースターを指さす私を見て「あっ!」という顔を見せるも30秒後にはカンッ!!45秒後にもカァンッッ!!アァァアンもうッッッ!!!なんてのも日常茶飯事でした。
だいたいどんだけ水飲むのよ。ラクダか。
彼を知る多くの方々が口にされます。
「久我新悟は紳士だ」と。
それは間違いありません。とてもスマートな方です。
しかし、少なくとも私があの空間で見てきた彼は「紳士」というにはあまりにも幼児成分高めな方だったことをここに記しておきます。カンッ!(幻聴)
とかなんとか言ってたら、収録に2時間20分遅刻されたことまで思い出してしまった。
この企画の収録には毎回4時間いただいていて、最初の2時間を久我さんとの「解体新悟」に、後半2時間を新井さんを招いた「休廷談話」にあてていたんですね。
2時間20分の遅刻ということはつまり、久我さんとの前半2時間分を丸々待ちぼうけタイムにさせられたわけでございまして。
「あれ?もしかして約束忘れてる?」と思いながらも、「まぁそんなこともあるわな、久我さんだし」と、ミルクティー片手にひとり優雅なティータイムを過ごしたのも良い思い出です。
そのとき急に思い立って、「なにかに使えるかもしれないから普段の収録現場を久我さん視点から撮影しとこ」と撮った一枚も載せておこう。
そして、ピッタリ2時間後に何も知らない新井さんが到着。
会議室へ入ってくるなり異変を察知したキレ者タッキーは、「え!?久我くん来てないんですか!!」と大慌て。からの音速コール。
プルルルルプルルルル……
「今どこ?」
「……待ってくれてるよ」
「……俺はもう着いたよ!」
久我さんの鈍い反応が伺える妙な間合い。
電話を切るなり「すぐ来ます!」となったのですが、私はその状況が面白くなってしまってつい「そこのハンガーラックにカメラを固定して、私がめちゃくちゃキレてるドッキリとか撮ったら面白そうじゃないですか?」と提案。
ポカンとするどころか、前のめりで「いいですねぇ~やっちゃいますかぁ~」と悪い顔で笑うギターヒーローとひとしきり盛り上がったり。
そうして待つこと20分。
到着した久我さんは寝坊して朝礼に遅れた新卒社員みたいな縮こまり方でソソソソソッと摺り足で入室してきては、空気の抜けたような声で「スミマスェェェン……」
やっぱり、撮っておけばよかったな。
そんな思い出まみれの楽しい時間から一旦離れ、その後の私は長きにわたる近親者の介護を終えたタイミングで4年間のフリーランス生活にもピリオドを。
転職に向けて動き出すも身内の死というのは当たり前に胸を締め付けるもので、何をするにも力が入らず、「無」にもほどがある時間をぼーっと眺めているだけの日々が続きました。
そうしている間にLIPHLICHは活動休止を発表。
最高の4人がラストツアーを駆け回っているなか私はうずくまるばかりで、結果的に久我さんのいるLIPHLICHの最終公演となった神田スクエアホールにも足を運べませんでした。
振り返ると、「何故あそこまで落ちていたんだろう」と謎に思うのですが、その頃の自分にしか分からない苦悩がきっとあったのでしょう。
そうでも思っていないと悔やんでも悔やみ切れないですから。
神田公演、行きたかったな。
グズついた私からの連絡はずっと途絶えていたにも関わらず、久我さんは度々メールをくださいました。
「次はこういうことをします」
「曲を作ってます。良い感じです。早く聴いてほしいです!」
「できました!聴いてください!(渾身のリンクミス)」
ほんの少しだけフライングで届いた素晴らしい新曲たちを糧に、なんとか虚無期間を抜け出した私は本気の転職活動を再開しました。
辿り着いた現職は未経験の業種&職種。さらに自分の意志と責任で何もかもを進められたフリーランス時代とのギャップが大きすぎて、どうにも上手く回らない。
業務外の時間も仕事の勉強ばかりしていたせいで、音楽に触れる時間もほとんどなくなっていました。
「もう今の自分には新しいものを作る余力はない」と疲弊しながら、いつまでも曖昧にしていた久我さんとの「次の約束」に終止符をうつため、現在の状況をきちんとご本人に伝えることにしました。
あまりの不義理に自分自身が耐えられなくなっていたのです。
久我さんはそんな私の身勝手な都合を優しく受け入れてくださいました。
そこから更に日は進むも人生はなかなか好転せず、業務でしょうもない凡ミスまでおかしてしまい、「あぁぁもうやってらんねーーー」と叫んだ帰り道。
23時の京浜東北線が赤羽駅に差し掛かった頃、久我さんからの新着メールに気付きます。
そこには、今後の活動スケジュールがダラララッ。
続けて、制作欲に満ち満ちた力強い言葉がダババババッ。
メッセージから差し込む生命力があまりに眩しくて、「ちくしょ~かっこいいなぁ~」とドアに額をガンッと打ち付けたものです。
情けなき戦意喪失の果て。
決意表明のような文章の終わりには、こんな言葉が並んでいました。
「ペースはどれだけ落ちてもいいから、僕は解体新悟を続けたい」
「どうしてもソロワンマンのレポを書いてほしい」
本当に本当にありがたいな、と思いました。
それは仕事の依頼を超えた、私への労いに感じられたからです。
しかし、急な出張もある関係で、その日の自分がどこで何をしているのかさえままならない状態だったので、その心遣いに応えることすらできませんでした。
「申し訳ない申し訳ない」と思い続ける生活のなかに、またしても久我さんからNew Mailの通知。
そこには、後の超超超名盤『PUBLISH DEMO』のデータが添付されていました。
いつもの陽気な文章に添えられたそれをタップし、思わず真夜中列車で超開眼!!
「なんじゃこの名曲行列は……!!」
6月11日(火) 23:46
件名:Re:久我新悟 ソロ音源データ
くがさま
挨拶さえ省きたく
こりゃ〜〜〜ちょっとよすぎではなかろうかと!!
ドしびれました
気付けばそんな、推敲なし礼節なしの理性レスメールを打ち込んでいました。
久我さんからの返信もマッハ。伸ばし棒連発のお礼の言葉がポンッ!
画面越しにいつもの「してやったり」な笑顔が透けて見えてくるような。
これが久我さんと私の最後のやりとりでした。
ワンマンライヴも仕事で参加することができず、かと言って「レポの話どうですか?」と催促されることもなく。
久我さんのことですから、どうしようもない私を最後まで気遣ってくださったのでしょう。
言葉の限りを尽くさない、無言の、無限の優しさを持った人ですから。
そうして荒波に揉まれること数ヶ月。
徐々に業務にも慣れ、仕事にも面白味を感じるようになったタイミングで、「今なら久我さんとの企画も再開できるかも!」と思えるまでに心は回復していました。
思い立ったが吉日。
珍しく早めに帰れた日に私はまっすぐ電気街へと向かい、ずっと狙っていた念願のピンマイクを購入しました。
無論、久我さんとの収録用にです。
どんなに頭をぐらんぐらんされても、爆笑にスパークされても、グラスをカーンッッ!と置かれてもチョコアルミクシュクシュをお見舞いされても問題なしのmy new gear...
そして、そんな私の背中を押すよう、7月22日に会社から通達が。
「今年のお盆は9連休です。どうぞ楽しい予定を立ててください!」
願ってもみない好都合。
この期間に「解体新悟」を収録しよう。
LIPHLICHが活動を止めている間に残りの作品分をガンガン進めちゃおう。
今ならもっといいものができる。あんな企画もこんな企画もある。
これは久我さんも喜んでくれそうだ。
でも、ファンの方はどうだろう。
リフリッチを知らない人からしたら?
他のメンバーさんから見たら?
久々の自問自答に胸を躍らせたものの、久我さんからのお願いに応えられなかった過去への罪悪感もあり、「自分から連絡するのはちょっと……それに今はソロの活動が始まって忙しそうだし……」と毎夜の躊躇。
ちょっと気色悪いけど、久々にやんわりポストでもしてみよう。
7月27日
3ヶ月近くノー更新なのにも関わらず、再生も登録も増え、おかげさまでWESTソールドの動員600を達成しました。
小さな成功を大きく喜ぶことが人生を楽しむ秘訣だと気付いた今日、念願のピンマイクを購入。
2024の後半は個人の制作にも力を入れますので、今後とも何卒〜🍭→ https://t.co/i26sMuOMLz pic.twitter.com/mimsvpOQcq
— ap.kani (@ap_kani) July 27, 2024
この女々しさよ。自分史上ベスト5に入る恥だ。
この文字を打ち込みながら、心のド真ん中で「これを見て、久我さんから連絡くれんかしら」なんて期待していた自分をどっかしらに沈めてやりたい。
39の男が39の男に宛ててコレとは、聞いてあきれる。
ポストをした翌日、ライカエジソンで開催された初のソロインストアイベントで久我さんが若干体調を崩されていたというお話を耳にしたので、よりこちらからの依頼は困難に。
そして、気付けば悪夢のような静けさに飲み込まれ、今に至ります。
これまで、いくらでもお会いできるタイミングはあったはず。
もしかしたら、ほんの少しのことで何かの風向きが変わって、何事もない今日を迎えられていたかもしれない。
そうでなかったとしても、残せるものは確実に増やせただろう。
あのとき、ああ言っていれば。
あのとき、こうしていれば。
自分のくだらない都合など投げ捨て、一日も早く答えを出していれば。
もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら
8月10日から、ずっとずっと、そう思っています。
誰に慰められようと、一生揺らぐことのない後悔です。
「悔やんでも悔やみきれない」なんて大袈裟な言葉。
この人生で使うのは、これが最初で最後でしょう。
こうなると知らなかったとはいえ、「ありがとう」のメールで綺麗に締まったやりとりに「ごめんなさい」を返すなんて、それこそ野暮で無粋なこと。
悲しいけど、でも、それだけではない。
そう思っていたい。
もしも、あの頃久我さんが言っていた「僕らは似ている」という言葉が本心からくるものだったとしたなら。
そして、私がそれを本気で信じる人間であったなら。
思い当たる共通点なんて、絞り出してもせいぜい3つ。
ひとつは、まっさらな思春期に得た音楽への感動、あの胸のざわめきを40近くになった今でもずっと探し求めていること。
ふたつめは、生きることにどうしようもない虚しさを感じていること。
そして最後は、ここ一番のときに人を頼れないこと。
ここにもしひとつだけ、ズルでおまけを付け足せるのであれば。
皮肉を持ち寄り、笑い合い、ときに考えを巡らせながら、互いが一番好きなバンドについて語り合ったあの時間を大切に思っていたこと。
それもお揃いだったら本当にうれしいです。
答えは一生分からないままですが、そんなのは彼の書く詩で慣れっこ。
ただ、そんな勘違いも今くらいは許してほしいのです。
久我新悟は、声の人。
だからこそ私は文字でなく、伝えるための手段にそれを選びました。
生前も今も、それは変わらず特別なものです。
声も顔も音も、文字でさえも、今はまだ触れるのが辛いという方もおられることでしょう。
周りは前を向き始めているのに自分だけは何故、と足元を見続けている人もきっといるはずです。
ただ、そうと知りながらも私には彼と作り出したものを消し去る気がこれっぽっちもありません。
それどころか、この膨大で切れ間のない悲しみさえ糧にして、現実と向き合えそうになったときのあなたがまた遊びにきてくれる日を心から待ち望んでいるくらいです。
この悪趣味は、いったい誰の芸術から伝染したんでしょうね。
消えないって、強いな。
後悔はまだしばらく続くけど、でもきっと、小指で軽くひっかけられるくらいの小さなお土産は渡せただろう。
そして、年一ペースの私なんかよりも多くのステージを見てきたあなたにおいては、その何万倍もの喜びを彼にプレゼントできていたに違いありません。
上向けど、俯けど、どの道ウェンディ。
今は辛くとも、LIPHLICHとの日々を誇って誇って誇って、明日からも共に無理して生きていきましょう。
2024年8月4日
久我さんは、いなくなりました。
もう二度と会えません。
願う人、信じる人には、専用の道があるのかもしれない。
でも、私はその先の未来なんて信じていないから、ここでお別れです。
「ご冥福をお祈りいたします」
そんな、嘘でも言えそうにない言葉はよして、私からはこれだけ。
久我さん、14年間本当にお世話になりました。
新しい現実で、良い夢を見てください。
さようなら。