わたくしごと

いつかはいつか

唯一の強みとして肌荒れとは縁のない人生を歩んできた私ですが、つい先日急に顔が荒れだして「これはいよいよ死の宣告かしら」と怯えながらイオンモール浦和美園(ローカル)へ向かいました。
「なんで肌荒れでイオン?」と疑問に思われている方もいらっしゃるでしょうから、ここでちょいと美園のマメ知識。
なんと、美園イオンには14の診療科が一堂に会した「ドクターランド」という、ちょっぴり鳥山明テイストなネーミングの医療施設があるのです。しかも、年中無休。そして、朝から夜までやっています。
と、まぁそれだけ便利なわけですから当然混雑は必至で、この日も診察までに60分待ちの状態でした。

受付でこそ「長いなぁ」と思ったものの、YouTubeでカップルの浮気ドッキリを夢中になって見ていたら、あっという間にミーの番。
診察自体は5分程であっさり済んだのですが、モール内にある薬局へ処方箋を持っていったところ、こちらも薬の準備が出来るまでに60分必要とのこと。
これといって急いでもいなかったので番号の書かれた紙を貰い、モール内をふらふらすることにしました。

UFOキャッチャーにハマっている私は迷うことなくゲームコーナーへ。
すると、そこには世にも珍しいすみっコぐらしオンリーのゲーム機が。


狙うはもちろんアルフォートを崩せばゲットできる、とかげのぬいぐるみと時計。
見た感じ、私の前にもプレイされていた形跡があり、「ちょっと押せばなんとかなるんじゃなかろうか」な構図。
今にも壊れそうなほど、狂いそうなほど、切ないその箱入りチョコを崩すために、まずは自身の千円札をくずします。

はい。もったいぶっても仕方ないので、先に結論を申し上げました。
「もうちょっとだ。もうちょっと…」という気持ちにけしかけられるまま、気付けば一葉様が機械に丸飲みされてしまいましたとさ。
「この両替タイムの間に他の人にゲットされたらたまらん!」と、両替機へ毎度小走りしていたというのにこの有り様です。

※大量の緑と小さいとかげ

あまりに悲しく、次に誰かがプレイするのを見たくないがために、この日一時間振り二度目の小走りで薬局へと戻る私なのでした。
新たに患った憂鬱にはまったく効かない弱めのステロイドを処方してもらい、私は帰りの運転中にこんなことを考えるのです。

「もう少し、あと少し…っていう考えは、やっぱり危険だな」

これまでも、そんなことを思う機会が何度もありました。
私は人様に迷惑を掛けない範囲で、人知れず同じ失敗を何度も繰り返す人間です。
今回感じたこの「もう少しは危険」という経験など、言わばデジャブの極みみたいなものでした。

さて、毎度恒例の「突然なんだ」って話ですが、私は「たむらぱん」という女性アーティストが昔から大好きです。
彼女の作品のなかに『ファイト』という唄があり、そこで彼女はこう歌っていました。

楽しくなるさ  だからあきらめないで
楽しくやれば  のちのち良いことあるよ
楽しくなるさ  信じてるのさ
あきらめないで  そして今出来ること  ファイト

歌詞こそとてもシンプルで、まごうことなきTHE応援歌ですが、それを装飾する浮遊感たっぷりにして空想美きらきらなメロディーに体ごと押し上げられる、実に不思議な御唄です。
これまでいくつもの「出来るかもしれない」をことごとく「挫折」に変えてきた私がこの唄を聴くと、「本当に楽しくなるのかな?良いことって一体いつ訪れるんだろう」と、ちょっとだけ卑屈になってしまう。
つまり、「それが実際いつなのかを知りたい」という甘えた催促の心が出てきてしまうのです。「人間は、ゴールが見えないと走り続けることが困難な生き物だ」と思わざるを得ない経験をしてきたことによる弱弱弱トラウマみたいなものも手伝って。
若き二十代の頃の私は、そういった事態に直面するたび、決まってこの言葉に逃げてきました。

「そうやって言えるのはさ、あなたが成功したからじゃん!」

なんて言うくせして、「人生お金じゃないよ」「学歴なんて大した問題じゃないよ」と口にする低所得・低学歴の人を見ては「それは実際お金持ちだったり、立派な学歴をもつ人間が言って初めて格好のつく理論だよ」と、「逆転の卑屈」を都合よく見せてしまう人間だったので、更にタチが悪い!
でも、今は「確かにそうだね」と思えるようになりました。成長か諦めかは定かじゃないんですけどね。

成功者が大舞台でオーディエンスに夢を語る。
「俺に出来たんだから、お前らにも絶対出来る」
「夢は諦めなければ、必ず叶う」

その言葉は眩しいくらいにキラキラしていて「そう言われてみると!そうかもしれない!」と、その瞬間は気持ちが昂るけれど、その夜お風呂に入って眠りにつき、翌朝目覚めたら「なんつって~」な気分に。
現に私は夢を追い求め、自分を追い詰めて努力して努力して、だけどその結果、望んだ成果を得られずにそこから退いた人間を何人も見てきました。
彼らもまた「もう少しもう少し」という希望を胸に、自らを鼓舞して日々精進してきたことに変わりありません。
やりきったからこそ「後悔はない」と言ったのでしょう。
しかし、そうは理解しても「叶えられるならば叶えたかった」という気持ちは拭えないものです。
そうして遺った夢の跡を目にする度に「彼の”もう少し”って、一体いつだったんだろう」と深く考え込んでしまうのです。
「努力して夢が叶った一握り」は多くの目に触れますが、「努力しても実らなかったその他大勢」はほぼその存在を知られないまま、あらゆる舞台から姿を消します。
「努力すればいいってもんじゃない」ということなど百も承知で、それは仕方ないことだと思いつつも、そのやるせなさにはいつまで経っても慣れないものです。

これは失恋においても似たものがあります(また恋の話)。
彼氏に振られて「もう立ち直れない」と心の底から苦しんでいる人に言う「もっと良い人が絶対見つかるよ」という言葉。これまた、実に危険です。
多くの人が身をもってそれを実感し、今を幸せに生きているのでしょうが、その子に「その日」がやってくる保証などどこにもありません。
ずっとその彼を思い続けながら、新たな恋に出会えず、無意識に拒み続け、永遠に一人で生きなければならない未来が待っているのかもしれないのですから。
なもので、私はそういった相談を受けるたびに「もっと良い人が~」というセリフを迂闊に口に出来ずにいます。
そもそも、その境遇にいる彼女は「もっと良い人」なんて求めていないわけですし、「じゃあその人に出逢えるのっていつ?」と尋ねられても、返す言葉など見つからないですしね。
先程もお話しましたが、「ゴールが見えない」ってやっぱりきついんです。

などと、メソメソ話をしてみたわけですが、これはあくまでも「悩んでいる人」に対して思うことであって、「今の私の考え」ではございません。
「こんなに可愛くて性格も素敵な子が今後自分のことを好きになってくれることなんてないだろう」と別れのたびに思いながらも、それからいくらか時が経てば、あの日と同じ様なことを思える人に巡り合ってきたものですから、過去の私が思っていたほど「いつか」の確率は低くないのかもしれません。

ただ、そこから抜け出した今でも尚「その日が”いつ来るか”じゃなくて、”いつまでも来ない恐れがある”ということも覚悟しないといけないな」と思っています。
早い話が「慎重の皮を被った臆病者」ってことです。
つくづく思う。短所って尽きない。ああやんなっちゃうやんなっちゃう。

そんなサマザマを経ながら、年齢を重ねれば重ねる程に「余裕」なんてないながらも「人の幸せ」を真剣に願える人間になれて良かったとホッとしている今があります。
それと同時に私も同じ様なことを願われる人になりたいなぁとも思うわけです。ので!いろいろ頑張ります。

はてさて、本日もまた長々と失礼致しました。
ここまでの3402文字をスクロールスクロールで追いつづけてくださった皆様に幸あれ。
おやすみなさい。良い夜を。明日もファイト!