わたくしごと

底辺の意識所有者、わたし

突然ではござるが、私は今WEBデザインのスクールにちょこちょこ通っている。
とはいっても、特別デザイナーになりたいわけでもなければ、何かの高みを目指しているわけでもない。
ただ単純に、これまでそれとなく弄ってきたデザインソフトを使って出来ることが増えたらいいな程度の気持ちで、買ったばかりのMacBookをああでもねぇこうでもねぇとカチカチする日々が続いている。

「前置きは良い。今日は一体何をぼやくつもりだ三十路!」と仰る方がいたとしたら、実に勘がよろしくて。
あっさり端的に言うと、私は「意識高い系」と呼ばれる人たちが苦手だという話をしたいのであります。
誤解しないでいただきたいのは、「意識が高い人」は素晴らしいと思う。ただ黙々と成果に向かう様は実に格好良い。
私が言うのは「高い系!」。「高い風(ふう)」の方がニュアンス的には正しいのかもしれない。
言うまでもなく、これはあくまでも「私が思っているソレ」に関するお話です。

デザインの学習を進めていると、同じ時期に始めた人の中でも意識が大きく分かれてくる。
これに関しては、まぁ至って普通のことだ。
同じ時給でもめちゃくちゃ丁寧に仕事をする人もいれば、びっくりするほど怠ける人もいる。それと同じ様なものだから。

先にお話しした通り、私には「何が何でもこれをモノにして将来IT業界で活躍するぞい!」という意気込みがなく、むしろ高みを目指している人とは出来るだけ交流を避けたい。
何故なら、「意識高い風(こっちの方がいいや)」の人は、その風をこちらに送り込んでこようとするから。それもそこそこ強風で。
彼らはあらゆるサイトや技術書から学んだ最先端の知識を私に披露してくる。
そして、「君、そんなんじゃなかったじゃん…」と喉元まで出かかる程、決まって!もう超決まって!「日本人か貴様は!大和魂どこやった!」と叫びたくなるほど、横文字を乱用するのだ。

ブラッシュアップ!
ウィンウィン!
スキル!
キャッチアップ!
アサイン!
コミット!
ジョイン!
フィードバック!
アウトプット!

サラッと言っているつもりなんだろうけど、どうにも違和感が拭えず喉の奥がかゆくなる。
そして、それらの単語を聞くたびに「で、その呪文はMPいくつ消費するの?」と私の胸中に住むネズミちゃん(4才)が喚くのだ。

私がスクールに通って学んだ一番大きなこと。
それは、デザインの手法や様式ではない。
じゃあ何なのよと問われれば、こうお答えするわ。

“出来る人が出来ない人に合わせて世の中は回っている”ということ

これ!
実例をあげると、例えば私たちが日々息をする様に利用しているYouTubeやTwitter。
これらは、プログラミング技術と先見の明を兼ね備えたプログラマーが「そうでない人」に合わせて作った、極めて直感性に優れたアプリです。
もし、これが玄人にしか理解できない様なシステムで、何かひとつを呟くにもいくつかのコードを掻い潜り、一文字でも入力ミスをおかそうものならすぐエラー!という仕様であったら、きっと利用者のほとんどは脱落、というか始めから使おうともしなかったことでしょう。
でも、彼らは弱者に優しい。「そうしなければお金にならない」というのももちろんあるでしょうが、私の様なメカ音痴にでも簡単に利用出来るくらい、仕様を分かりやすくしてくれているのですから。
私にとっては、彼らの様な人こそ本物の「意識高い系」。
ある程度プログラミングを学んだ人からすると、Twitterの様なアプリを開発するのは全く難しくないみたいですが、私からすれば即白旗案件なのでお許しを。

一方で、私の思う「意識高い風」の人たちは今日も歓喜する。
「あの海外のサイトのあの動きが格好良くて、これはjQueryをこうしてああすれば実装が出来る」と。
でも、私からするとそれらほぼすべてが「必要あるの?それ」と思うことばかり。
彼らからすると私は「意識低すぎ系」なんだろうけど、その技術が果たして見る人に求められているかどうかは甚だ疑問なのでございます。
現に私はサイトを閲覧するときにメニューバーがどういう動きをしているかや、モニター上で画像がどの向きにどんな速度でスライドしていくのかなんて気にしたことがありません。
「勉強を進めていく内にウェブサイトを注意深く見る様になった。あのサイトの仕様はまじでイケてる!」なんて息巻かれても、「そんなに注意深く見るのは、作っている人間だけだよ。使う人はもっとシンプルで機能的なものを望んでいるんじゃないかな」と、そう思ってしまうのです。

というのも、私はウェブサイトにおいて「最先端こそ時代遅れ」という認識がとても強く、開いた途端、勝手に大画面で動画が再生されたり(決まってSKIPボタンが見付かりにくい)、ボタンの表示が凝り過ぎていてどこを押したら何のページに飛ぶのか分かりづらかったり、詳細情報を知るために何度もクリックを求められたりすると、とてもストレスを感じてしまいます。
情報を得るために開いたサイトなのに、求めていた情報に辿り着くまでに疲れてしまっちゃ本末転倒じゃないか。よし、びじゅなびに逃げろ!

※その手のサイトを開いたときの私の様子

しかし、私と同じ学習途上な人たちの一部はそういったサイトを見て興奮するみたい。
「これ、どうやってるんだろう?早速調べて形にしてやる。インプット&アウトプットだ。そして、先生からのフィードバックを待つ!」なんて具合に。
その学習意欲は素晴らしく、多くを知っているからこそ選択肢が増えていくのは重々承知だし、学びを得る者として彼らが私より遥かに優れていることも理解している。
ただ、どうしても私は「必要ある?」と思ってしまうのです。これ、また短所を露呈しているなぁ。

「そんなところ、誰も見てないし、気付かないよ」というセリフ。
これは、私がこれまで作ってきた色々なものに対して散々言われてきた言葉だったりします。
でも、それでも構わないと思っているから、わざわざそれを「こういう意図です。こうなってます。気付いてよばか!!」なんて言うことはありません。
ただ、私が「意識高い風」と呼ぶ人たちは、それをやけに憂い、がんがん押し付けてくる。
その割に大した「アウトプット!」なんてしていない(なんでも、知識だけを蓄えてそれを形にしない人のことを「ノウハウコレクター」というらしいよ)。
「こうしたことを知ってほしい!気付いて欲しい!どうしてこうしたんだと思う?」って。ちょっと面倒だよ。

流れ弾的にこれを業界チックな話にすりかえれば、関係者あたりの「私はシーンのために頑張っている!衰退しているシーンをこんなにも憂いでいる!だからこんなことをしている!カモンRT!」といった思惑を感じる発言に出くわすたび「いいから黙ってやれよ。アーティストか君は」と思ってしまう。
そのバンドの「宣伝」の域を超えて、自己アピールにまで発展するとちょっといやしく感じてしまうのだ。
ただ、その判断基準はあくまでも見る方によるものなので、人によっては私もまたそう見られているんだろうなとも思います。
自分のことをいくら客観視しようとしても、自分の思った通りに伝わらないことは数多くありますからね。あーあ、仙人の様に生きていきたいなぁ。

というわけで、結果的に「意識高い風はお前じゃないのか」という着地にて、本日の日記は幕を閉じます。
ここまでお付き合いいただいた心優しいあなたには、明日隣のデスクの人からお菓子を貰えるおまじないをかけておきます。おやすみなさい。良い夜を。