わたくしごと

ガトーショコラとレアチーズ

「今までで、一番我儘にやらせてもらいます」

そう叫ぶ彼に笑顔はなく、その眼差しは人を裂く程に鋭利なものでした。

2015年3月13日。
それは、LIPHLICHがamber grisと最期の共演を果たした高田馬場AREAでの2MAN LIVE『写実的な夢想主義者』でのこと。
先手のLIPHLICHが1曲目に演奏したのは、amber grisの『不浄の樹の下で-Under an impure tree-』。
歌から始まるこの楽曲のド頭の詩が場内に響いた瞬間、客席の頭上には「!?」の文字がゴシック体でデカデカと浮かぶ。「初っ端からカバーか!」と。
これまで幾度も彼らの行動に度肝を抜かれ、その都度「奴らは策士だ。気を付けろ」と悔しがるも哀れ。
次に罠を仕掛けられる頃には、ついついその性質を忘れてしまい、そりゃもう見事に腰を抜かすのですから。そろそろ学習したいものだ。

アレンジ魔人であるLIPHLICH版の「不浄」に浄化されつつも高揚を露わにするフロアへ送り出された次なる刺客は『美醜』でした。これもまた、amber grisの楽曲です。
勘の良いウェンディ(LIPHLICHファンの異名)はもしかしたらこの時点で「LIPHLICHがやろうとしていること」に気付いていたのかもしれません。
しかし、埼玉一鈍感な私はまだ気付いていませんでした。

冒頭に記した久我さんの叫びが3曲目『hazy moon luv gaze.』のイントロを突き破った瞬間、今まで誰のどんなライヴでも聞いたことのない、驚きと喜びをないまぜにした妙な妙な妙な歓声が場内に響き渡ったことを昨日のことの様に覚えています。
そう、LIPHLICHはこの日、50分の持ち時間すべてをamber grisの楽曲で敷き詰めてみせたのです。

amber grisが解散を前にして、戦友4組と企てた2MAN LIVE。
LIPHLICH、Femme Fatale、HOLLOWGRAM、Moranとの共演。
欲張りにも全公演拝見しましたが、どのライヴも壮絶な愛と敬意の与え合いでした。
そこには涙を誘う演出なんて一つもないのに、両バンドの気高さ、共にある時間の尊さで飽和された空間には、言葉では到底計り得ない感情が漂っていました。

そんな中で、唯一人だけ公演中に涙を見せたアーティストがいました。久我さんです。
彼が初めてステージで涙を流したその日、言葉に詰まり黙り込む彼を包んだ重たい沈黙に私たちは何の声も掛けられず、ただ見守ることしか出来ませんでした。
永遠にも感じられたその時間を振り切り、「泣いちゃったけど、これは汚い涙じゃないから良いよね。」と少し笑ってみせた彼が最後に手向けた『feel me』は、自身の楽曲に並々ならぬ拘りと誇りを持つamber grisにさえ「もう(その曲)あげるよ!」と言わしめる程の愛と哀に溢れていました。

後日、この日のLIPHLICHのセットリストが、以前amber grisと2MANをした際のamber grisのセットリストと同じであったことを知り、そりゃもう驚いたものです。
まだLIPHLICHがその名を知られていなかったあの頃に「格好良いバンドがいる」と引っ張り上げてくれたamber grisへの深い感謝がそうさせたのでしょう。
後にも先にも、あそこまで涙と笑顔が近しいものであることを感じさせられたライヴは観たことがありません。本当に素敵な夜でした。

さて、私事ではございますが、amber gris、LIPHLICH、Femme Fatale、HOLLOWGRAM、Moranの5組は、私がZEAL LINKで展示物諸々を担当していたバンドでした。
そして、私が在籍していた7年において、最も多く制作をさせていただいたのが、amber grisとLIPHLICHだったのです。

解散前には、「最後の一瞬まで推し尽くしたい」という想いから、常時展開していたamber grisコーナーを拡張しました。
どのバンドのコーナーもそうですが、「足元からこだわりたいの!」という私の妙な信念により、『from mouth』のPV撮影地である埼玉県入間市の「旧石川組製糸西洋館」へ出向いては、床の撮影を試みるなぞしておりました。

右下で床を接写しているのが私です
印刷して貼り合わせればこの通り

そして、ラストリリースを祝うべく、高さ1mを優に超えるサイズのPOPを作りました。
過去に制作した展示物・配布物も可能な限り設置し、そのときに出来得る全てを尽くします。

上手側にチラっとリフリッチ

真っ白な照明をPOPに強く当てたかったので、熱に強いインクを使用し、真っ白な花をあしらえば完成です。

数時間に渡るもはや「工事」とも言える拡張劇を終え、少し離れた場所からコーナーを見つめている私に「アンバーグリス屋じゃないっすか!」と笑う同僚眼鏡君。
かと思えば、続々来店されたフラニー(amber grisファンの異名)の皆様からは「なんかアンバーのお葬式って感じが良い」と、喜んでいいのか実にアイマイなお言葉をいただいたり。

5年以上に渡って店頭角の特別スペース(と私は呼んでいた)を彩り続けてくれていたamber grisコーナーでしたが、解散を機に泣く泣く撤去する運びとなりました。
解散ライヴの翌週、名残惜しさこそ致死量程あれど、「amber grisコーナーの跡地は、LIPHLICHコーナーにしよう」という案が自然と湧いていました。
あの公演を観たことで、その想いはより強くなっていたのでしょう。

そうして、急ピッチで移転&拡大したLIPHLICHコーナーはその後4年に渡り、ずっとこのスペースを占拠しつづけたのです。

新たなコーナーを設置し終え、告知も済ませた日の夜。
渋谷から彩の国へと帰るメルヘン列車埼京線で、私の携帯がビビッと震えました。
画面にはTwitterの鳥ちゃんマークが何かを伝えたそうに光ります。おもむろにタッチ。
「あぁDMか。そういえば、最近全然チェックしてなかったな…」とメッセージ通知を追ってみると、今さっき届いたDMの「送信者」に見覚えのある文字列を確認します。

「ラミ」

…え。うそでしょ?
少々怯えながらメッセージを開くと、そこにはえらく見覚えのあるおそ松タッチなラミさんのアイコンが表示されました。
ゆっくりと本文に目を移すと、そこにはamber grisを応援しつづけたことへの丁寧なお礼の言葉に続き、「跡地のLIPHLICHコーナーは素敵なものになると思いますし、楽しみにしています。amber grisを愛してくれたLIPHLICHが跡地に来るのは幸せです。めっちゃ売ってください。よろしくお願い致します。」と綴られていました。
「間もなく戸田公園~とだこうえん~」という平坦な車掌の声をBGMに、私はただただ「なんて素敵な関係性なんだ。バンドってやっぱりすごいなぁ」と感動しながら、何度もメッセージを読み返すのでした。

それから一年半が経った頃、「ラミさん大阪のライカで店長やるみたいっすよ!」とビックリな報せを受け、「えええええ!でも、ラミさんだったら絶対お客さんにもバンドにも愛される店長になるよね」と返し、何事もなくその日の仕事が始まりました。

それから一年、二年、三年。

私がいなくなってからも、渋谷店が閉店を迎えた6月の最終日も変わることなく、LIPHLICHコーナーはあの場所に在り続けてくれました。
アウトオブジールマンとなった私にとっても、それはとても嬉しく誇らしいことです。
なんとなく「守り抜いたな」と。約束は守りたいですからね。

ご存知の方も多いことでしょう。来月8月6日に大阪ZEAL LINKは閉店します。
これによって、ZEAL LINKは全店閉店というかたちになりました。
皆様が私のことをどう思われているかは知る由もありませんが、私はZEAL LINKが今でも大好きです。
あの場所で我儘に身勝手に培ってきた様々な技術や仲間との思い出は掛け替えのないもので、不器用な私の非効率な制作により毎日寝不足でフラッフラになりながらハチ公改札を抜け、血眼でお店までの道を歩いた日々のことなど忘れようにも忘れられるわけがありません。本当に楽しかった。

さて、びっくりすることなかれよ乙女。今日の本題はここからです。
大阪店の閉店日、その3日後にあたる8月9日。その跡地に何が出来るかをご存知でしょうか?もう、ご存知かもしれませんね。

そう、浪速のエジソンがやってくるのです。
あの素敵な立地、略してステリッチなBIGSTEPに。

渋谷では、amber grisコーナーの跡地にLIPHLICHコーナーが。
大阪では、ZEAL LINKの跡地にライカエジソンが。
なんだか、ちょっとだけ運命めいたものを感じてしまいますね。主に私がネ。

というわけで、僭越ながら「公DM」という新しい試みで、私からライカエジソン大阪店の江守ラミ店長にメッセージを。

「跡地のライカエジソンは素敵なお店になると思いますし、楽しみにしています。amber grisとLIPHLICHを愛してくれたラミさんが跡地を手掛けてくださるのは幸せです。めっちゃCD売ってください。よろしくお願い致します。」

代入で上出来。世の中上手く出来ているものです。
私が言うようなことでもありませんが、ここまで文字を追ってくださったあなた様にもついでに言わせていただくわ。
これからもヴィジュアル系を、そして今も絶えず在り続ける専門店をどうぞ宜しくお願い致します。ね。