わたくしごと

ノイジー・マイノリティの掟

午前4時にもなると星がキラキラ瞬いてしょうがない。
そんなすっかり秋めいた10月25日。皆様いかがお過ごしでしょうか?
私はというと、この2ヶ月でいろんなことがあり過ぎたせいで、「ここまでくるともう何もなかったことにしたいな」と記憶の抹消作業に勤しむ日々でございます。
そんなバタついた生活のなかで、日頃思っていながらもあまり文章にはしてこなかったことを今日はお話ししようかなと。

約3ヶ月振りの更新にして相変わらずの「唐突」ではございますが、先月私は脳の状態を確認すべくMRI検査を受けてきました。

私が入った機器は、チェキ本体の様な形をしていた

お若い方にはあまり縁がない用語だと思うので簡単に説明をすると「MRI」というのは、上の画像の様な検査着を纏い、上の画像の様な体勢で、上の画像の様な機械のなかにズイズイ進入していくという、なんともアミューズメント感溢れる検査のことです。

3時間にもわたる待ち時間を越え、ちょっとワクワクしながら検査室入場。
装着させられるヘッドフォンから延々流れる不規則な異音に狂いそうになったものの、なんとか20分に及ぶ検査は終了。着替えを済ませ、再び待合室で待機します。
その後、先生に呼ばれ、とても丁寧な説明を受けました。結果は全く異常なし。
画像とはいえ、生まれて初めて目にしたマイ脳との対面に感動を覚えた私は、思わず先生に「人間の脳って、エイの裏側みたいですね」と呟くのでした。

さて、この日の経験を経て、私が何を書こうとしているかというと、なにもそれは僅か20分程の検査に8,000円もかかったことへの怒りでもなく、「エイの裏側みたいですね」という無垢な感想を「そうですかね」とヒラリかわした医師の無情さでもなく、こちらから申し出なければストローをくれなくなったすかいらーくグループへの嘆きでもなく、以下の再認識についてです。

「口コミって、マジであてにならないな」

この日に限らず、昔からずっと思っていたことが小爆発を起こしたよ。というお話。
特に最近はGoogleの進化によって、お店や病院の名前を検索しただけで地図と共に該当施設の口コミが表示される様になり、悪戯に覗いてみようものならショッピングセンターに貼り出されている「お客様の声」よりも辛辣な意見が雁首を揃えてこちらを睨みつけてくるようになりました。
そして、そこにある誹謗中傷の域にも達した言葉を目にする度、「どれだけ文明が進歩しても、インターネットは所詮インターネットだなぁ~」とぼんやり思うのです。

有難いことにこれまでまるで縁がなかった「脳神経外科」というスポット。
当然、どこにどんな病院があるかなど知らないものですから、私は受診を決めた前日にGoogleで「脳神経外科  埼玉」と検索しました。
そうしたらば、案の定どこの口コミ欄にも否定的な意見が列を成していたのです。
「埼玉の脳神経外科はこぞってヤブの巣窟じゃい」という偏りまくった主張を叩きつけられた私は、試しに千葉と東京の病院についても調べてみました。結果、「だろうね」な惨状にうんざり。アンチ病院口コミ団でもあるのかと。
ついでのついでに私が過去に通院したことのある「超信頼のおける内科・皮膚科・歯科医院」の口コミも確認してみましたが、これまた良い意見なんてほとんどありませんでした。

欅坂の台頭により世間に広まった「サイレント・マジョリティ(物言わぬ大衆)」という言葉(私にとっては、DIAURA色の方が強め)があります。
思えば、この時もこれまでにも、その真逆の事態をまざまざと見せつけられてきたものです。
言わば、「ノイジー・マイノリティ(いちいちうるせぇ少数派)」ってやつ。

温かな目で見守っている人はその想いをわざわざ口や文字にせず、怒りに身を任せることでもはや自分の感情からも離れてしまっている様な暴言を吐く人ほど律儀に声をあげる。
もちろん、相当頭にくることがその場所で起こったのかもしれませんが、私が見るに彼らの証言はあまりに一方的で信憑性が低く、その横暴な口振りが災いして余計に「あなたの態度が問題だったんじゃない?」と訝しんでしまうのです。
私は他人に求めるサービスのハードルが低すぎるせいなのか、これまで生きてきた34年間の人生において、接してきた医師や店員に怒りの感情を持ったことなど一度もありません。
そんな性分ですから、ただただ「短気だなぁ」と話半分に聞き入れるくらいのことしか出来ないのです。

それとは別にこの手の批判を見るときにひとつの疑問が浮かびます。
例えば、それがとあるコンビニについて寄せられた口コミであった場合、「投稿者は、頭に来たコンビニの店名をわざわざ検索してまで文句を書きたかったのか」ということ。

嫌な思いをする→ムカッ→スマホを手に取る→該当店舗を検索する→口コミ投稿欄を開く→憤怒憤怒で書き殴る

腹が立った瞬間にスマホを開いているとは考えにくいので、実際スマホを手に取るまでにもそれなりの時間が経過していることでしょう。
ロスにロスを重ねた経緯を追っても尚、冷めてしまわない怒りの熱。その感情保温機能の優秀さったらなかなかのものです。前世は魔法瓶だったのかい。

なんて、「インターネットにはうんざりだ音頭」を歌い踊る今日の私ではございますが、目に見えない場所から吹きつけられる言葉は何も人や場所を汚すばかりでなく、使い様によっては誰か・何かをより美しく見せるものにも成り得ることを知っています。
むしろ、物騒な少数派が喚けば喚くほど、優しい人のたった一言に信じられないレベルの癒やしを見るのです。

私の経験上、目に見えない相手の感情を回せるのは言葉だけです。
ただ、問題なのはそのときに受けた感動や感謝の念をあまり口にしない「シャイ故のサイレントちゃん」も多く存在すること。
そして、その問題に更なる拍車をかけるのは、優しい言葉を与える側も総じてシャイであるということです。
「褒め讃える」という行為そのものに恥じらいを覚える人のマァ多いことよ。
とやかく言う私も大分そっち寄りの人間だけどもよ。

対アーティストでいえば、文章やデザインを通して才人を賛美することは出来ても、目の前に本人がいる状態下において、これまで記事で書いてきた様なことを話せと言われたら、それはもう拷問以外の何物でもありません。
Twitterで想いのまま綴っている言葉をインストアイベントの場で面と向かって伝えられる子なんて、それこそ少数派でしょう。

「人の言葉が感情を動かし、誰かの意識や行動を変える」

私生活においても、そういった経験をすることがままありますが、何年も前にその最たるものを体験しました。
その事件は、私が当時かなりお熱だったバンドの「とあるシングル曲」についてブログでワワワワワッと好き勝手に書いたことが発端でした。
バンドは後に解散をしてしまったのですが、解散ライヴから長い月日が経った頃、私宛にその楽曲の作詞作曲者であるメンバーさんから一通のメッセージが届いたのです。
メッセージの内容は、彼らが最後にリリースしたオリジナルアルバムの収録曲についてでした。
かいつまんで言うと、「本当はあのシングルをアルバムに入れる予定はなかったんだけど、君がとても褒めてくれて嬉しかったから収録することにしたんだよ」という内容が書かれていました。

当時は今程心が疲れていなかったので、感動を覚えながらも「ハァーこんなこともあるんだねぇ」とどこか他人事の様に思っていましたが、今思えばこれって凄いことだと思うのです。
といっても、その「凄い」は「収録内容を変えたこと」ではなく、絶対的に褒められることに対してシャイであろう彼が私に対して「その経緯を伝えてくれたこと」にです。
そして、あの日から時効級に時が経ったとはいえ、当時と変わらずまぁまぁシャイな私がこうしてそれについて話す気になったこともまた、個人的にはちょっとした奇跡にも思えるくらいの心変わりだったりします。
どちらかが伝えることを欠いていれば、一生外には伝わることのない話でしたからね。

ここまで具体的な例をあげると「異例」とも捉えられてしまいそうですが、実際のところこういった事例はきっと無数に存在します。
それは、ファンレターでもTwitterでも宛名有りのリプライであってもエゴサーチによって拾った言葉であっても、あなたの書いた何気ない一言が憧れのアーティストのなかでいつまでも生き続けていることなんて珍しいことじゃありません。
現に私もZEAL LINK時代にそういった話をよく耳にしましたし、本人に伝えたくても他のファンの気持ちを考えると口にするのは困難で歯がゆいといったケースもあるでしょう。
彼らは私たちと変わらない人間ですし、温かい言葉というのは例えありがちなものであったとしても受け取れば受け取るほどに熱を増していくものです。
「十分褒められたから、もう温かい言葉なんてイラネ」なんてスタンスの表現者が大勢いるとは、どうしても思えないんですよね。

言葉は偉大です。
とはいえ、「好きなら好きって伝えなよ!」「推せる内に推しとけ!」みたいな威勢の良いセリフは私自身が心底鬱陶しく思っている関係上、それが例え今日の話を綺麗に締めるためであったとしても言いませんが。
「好きに好きでいさせてくれよ。たまらなくなったら伝えるよ」というスタンスは、今後も譲れそうにありません。

先程のアルバム収録曲事件に関しては敢えて名を伏せますが、最近は思いっ切り名指しをして、アーティストにまつわる「ちょっと良い話」を書かせていただいております。
例えば、Develop One's Faculties ruiさんの「深るい話」だったり、amber gris ラミさんとの「レアチーズな話」だったり。
数年前の私であれば、いつまでも胸の内に秘め続けていたであろう体験談ではありましたが、もうそういうのは辞めました。
留めておきながらも、嫌ってくらいに分かってしまうのです。
「きっとこういう話って、そのアーティストのファンだけではなく、シーンを好きでいる方に喜んでもらえるんだろうな」と。
あの頃にはなかった「自分が言わないと誰にも伝わらないじゃないか」というエゴっちゃエゴな気持ちが今は結構大きいのです。

私自身が経験したことだけでなく、ヴィジュアル系シーンには「なんでそんなに良い話が公になっていないんだろう」と思う様な逸話が山の様に存在します。
それを公にすることで傷付く誰かがいるのであれば当然黙っておくべきですが、それを伝えることによって、アーティストや周囲の人たちの優しさや強さが伝えられるのであれば、それは「麗しき口外」として許されるべきです。
もちろんネット上で公開する以上、「誰かがどうしたこうした」という話はデリケートに扱わなければなりません。
「他人から聞いた話」を自分事の様に話すのはあまりに無責任ですので、今後も断固としてその様な真似はしませんが、私は私自身が目にした「誰かの美しい話」に関しては、躊躇わずにお伝えしていきたいと考えております。
ここ数年でより強く感じていることなんですけど、人って結構優しいんですよ。こっちが苦しくなるくらいにね。

ということで、長々と失礼致しました。
しばらく休んでおりましたが、今後はブログ・Twitter・Instagramの三方から攻撃再開致します。
どなた様も「時間がない」という割にはまぁまぁ暇かと存じますので、隙間時間などを使ってどうぞお付き合いくださいませ。

いつも感謝しています。
おやすみなさい。