わたくしごと

インタビューがつまらない

私は「自分宛ての言葉」に目を通すのが超苦手だ。
それが好意的なものでも否定的なものでも、ダメージの大きさはまったくといっていいほど変わらない。
ん、ダメージっていうのもちょっと違う気がするな。
なんたって、私のメンタルは外部からの攻撃にゃピクリともしない超常型鈍感性。
便利は便利だけど、それによって見過ごしてきてしまったこともきっと多いだろう。

いつだって自身を落ち込ませ、酷く疲弊させる犯人は「自分に失望した自分」に他ならない。
私が死ぬときは、自尊心が死んだときだ。
心臓が動いているかどうかなんて、さして問題じゃない。

「好意的な言葉の何が気に障るんだ」と疑問に思う方もいるかもしれない。
理由は単純に「文字を読むのが面倒」というのもあるが、なによりもわざわざいただいたメッセージに対して「読むの面倒だな」と思ってしまう自分が酷く醜くて、それを実感することが辛い。
例え顔も声も名前も存じ上げない方であれ、いや、むしろそうだからこそ、個人宛てにメッセージを送るのは多少なりの覚悟や推敲があってのことだと思う。
私が何にも考えず、チョコパイを無心で頬張っている時間に、手の届かない場所にいる誰かが私に向けて文字をひとつひとつ打ってくださっている。
その時間の尊さには心から感動するし、「優しい人だな」とも思うし、嘘偽りなく「気持ち」としてはハイパーありがたい。
でも、届いたときには「あぁ…」となってしまう最低な自分に直面する。
外に向かった私、及び私の作ったものへの言葉(引用RT等)は最高に嬉しいが、私だけに向けた言葉(DM・リプライ)に関してはいつまで経っても苦手だ。
心底ダメ人間だと思っている。反省もしている。でも、どうしようもない。

そんな性格のせいで、つい2ケ月前までずーーーっとTwitterのDMを受信不可の設定にしていたが、お仕事の依頼メールをいただく際、冒頭に必ずといっていいほど「どこから連絡をすればいいのか分からなかったのですが、こちらからで大丈夫でしょうか?」という一文があった。
それを目にする度、「あぁ、悪いことをしてしまった」と申し訳なく思い、相手の煩わしさを少しは解消できるかもしれないと、この2ヶ月間はDMを開放してみた。
有難いことに「どこで私なんかのことを知ったんだ?」と不安になるほど、たくさんの依頼をいただいた。そして、その一通一通に心から感謝した。

ただ、その内の8割はお断りした。

 

「何故断るのか」
もちろんその理由はきちんと相手にお伝えしたが、自身のわがままさに呆れかえり、またしてもそんな己に失望し、「もう耐えられん」と嘆いた折、再び「すべてのアカウントからのメッセージリクエストを許可する」のチェックを外した。
心底ダメ人間だと思っている。反省もしている。でも、どうしようもない。そういうことにしたい。

現状、私に届く依頼を割合でお話すると、ライヴレポが3割、デザイン・動画編集が2割、そして、残りの5割が「インタビュー」だ。
先月、とある雑誌(しかも音楽とは無関係)の編集部の方々と超スペシャル大富豪御用達高級カッフェ「ルノアール」でお話をした際、「渡辺さん(私)には絶対インタビューの才能がある」と言われた。
肩で風を切りながら、人に褒められることのない人生を堂々と歩んできた私にとって、その言葉はあまりに「!!」だった。いや、厳密に言うと「!!!!!」だ。

恐縮という恐縮を露わにしたが、「いや、でも、そういえばたしか…」と、以前勤めていた職場でディレクター職をしていたときにも、社内の人間やクライアントからその手のことをよく言われていたのを思い出した。
自分は人の話を聞くのが誰よりも苦手な人間だとずっと思っていたが、ことその相手が「この人のことを知りたい、伝えたい」と思った人である場合に限っては、他の人よりも多くのことを引き出すことができている気がしていた。

そんな過去のイロイロを思い出しながら、氷がまったくと言っていいほど溶けていない状態のミルクティーを15秒で飲み干し、「ここの紅茶美味しいですね。おかわりしてもよろしいですか?」と尋ねた。
彼女たちは「人の話、聞いてますか?」と笑った。
やっぱり人の話を聞くのは苦手だった。

 

「これは私の意見であって、そういうことをしている人たちを否定しているわけではないけど~」という前置き。みなさんも誰かしらの口から何度となく聞いてきたことだろう。
それはきっと日本人特有の気遣いからなるもので、奥ゆかしくて素敵ネとも思うが、同時に「それってちょっと卑怯だな」とも思う。
何故かというと、その一言で守れるのは自分自身だけだからだ。
実際、そこに続く言葉を聞いて、「いや、それってつまりは否定じゃん!」と思わされた人も多いに違いない。

「否定じゃないから言わせろ。例えそれがお前にとっての否定であったとしてもだ!」

あぁこわいこわい(極端)。

私くらい偏屈な人間からすると、相手からの「あなたは本当に○○で良いと思うんだけど、」という話の切り出しはジャブだ。
よって、「あ、このあと否定されるぞ」と、きたる強烈なアッパーに備えてグッと身構えてしまう。
あなたもそういう人間かもしれないから「偏屈」という無礼な表現はよしておこう。「思考先走り自意識過剰系ダメ人間」だ。もっとひどい。

なもんで、今からする話はきっと「既存のもの・ひと」を否定することになると、予め伝えておきたい。
私にその気がなくとも、受け取る相手がそう感じたならそうなのだから、前もって「そう」であることを伝えておく方が余程潔い。では、まいろうぞ。

 

私がインタビューの依頼をお断りしてきた理由。
それは、タイトルにもある通り「つまらないと思うから」だ。
紙媒体でもwebメディアでも、読者が手にする「モノ」が違うだけで、その成りは全く同じ。

「原稿は何文字でお願いします」

このルールが死ぬほど記事を退屈にしていると、私はずっと思い続けている。
もし、ライターや編集者が「ここは削っても良いな」と思ってDeleteした一行が、ある読者にとって驚嘆を生むものだったら。
音声から文字になるタイミングで思いっ切りカットされてしまう会話の抑揚、思考を巡らせながらゆったりと返答をしているアーティストの声色、無言の時間。
そこに真摯さ・人間らしさを感じ、その「現場の生感」にワクワクする人が多かったとしたら。
そう考えると、旧来の媒体の在り方は本当にもったいないと思う。
排除した部分に宿る「味」と「個性」。
蟹は身ばかりでなく、内臓を好む人間も多くいることを忘れてはならない。

 

「数十年前に比べて、原稿料がダダダダダダ下がりだ」と、ベテランのライターさんたちが口を揃えて言う。
実際、フリーペーパーを作っていたときもキャリア20年・30年のライターさんに対して「こんな料金で書いてくれるの?」と、その価格設定に驚かされたものだ。
その結果、若きライターに大きな仕事が回らず、どこのメディアも同じ様なベテランライターさんが記事を手掛けていることが非常に多い。
どんな仕事でもそうだが、信頼と実績に勝るものはない。
それをクリアした上で安く書いてもらえるのなら、ここぞという記事でわざわざ経験の浅いライターに仕事を振る理由なんてないだろう。

私個人の考えでしかないが、そもそも「音楽ライター」なんて職種はもう存在しないと思っている。
その昔は人気の学科であったESPの「音楽ライター科」があっけなく消滅したことも、音楽誌の廃刊ラッシュも、悲しいけれどなるべくしてなったとしか言えない。そして、この状態はまだまだ続くだろう。

音楽系の媒体、ヴィジュアル系は特にだが、メディアお抱えのライターというものが皆無に等しいため、どの場においても決まった顔ぶれが決まったタイミングで決まった内容の取材をしているケースがほとんどだ。結果、媒体ごとにまるで差が生まれない。

そんななかでも「ROCK AND READ」が根強い人気を誇っている理由は、「文字数が多いから」だと私は思っている。
もちろんその形を毎号きっちりと成立させている編集者・ライター双方の愛と技量あってこその賜物であることは大前提として、なによりも「文字数が多い」、つまりは「好きなアーティストの言葉をどこよりも多く聞けること」が最大の特異点であり、やたらと締め切りがキッチキチで文字数もキッチキチな媒体では成し得ない情報たちがびっしりと詰まっている点がとても素敵だと思う。

普段は立ち読み派な人にさえも「時間をつくって家でじっくり読みたい」と思わせる造り。
「よーし読むぞ」という眼差しで触れられる媒体とそうでないものとの間には、天と地どころじゃない差が存在すること。
それを理解している作り手が熱狂的な想いを胸にアーティストとじっくり向き合っているのだから、彼らを愛するファンに求められるのは当然だ。
くわえて写真もみんな大好き「撮りおろし」だしね。いよいよ勝ち目がないぞ。

 

私たちは至極単純だ。
好きな人の話は少しでも長く聞いていたい。
何故なら「ファン」だから。

 

これまで、私がお仕事関連で打ち合わせをさせていただいた方々は、とても寛容な方ばかりだった。
今年から始めたYouTubeでのアーティスト・楽曲紹介動画に対しても温かい言葉を掛けてくださり、シーンのファンの方のなかにも「面白かった」「気になった」「曲聴いてみた」と言ってくださる方が徐々にではあるが増えてきた。
メディア運営のプロ(編集者)、そして、それを見定めるプロ(ファン)は、例え相手が私のようなダメ人間であっても、とりあえずは耳を傾けてくださる方が多く、前者においては、こちらからの提案に真摯に耳を傾けてくださった。
でも、実現はしなかった。

 

「レジェンド級に尊ばれている方々ならまだしも、今までの形式のインタビューで読者の方に喜んでいただくのは難しいと思います。成功するかどうかは分かりませんが、私はこういうことをしてみたいです。そうでなければこういうのはどうですか?それが駄目ならコレで!ミルクティーおかわり!」

このループだ。

自身の至らなさ、キャリアの浅さ、発想の愚かさから「面白いとは思いますが、うちではちょっと出来ないですね」とNGを喰らう。

そのループだ。

つまり、お断りしているとは言ったものの、その実、結果的に私はバッチリ断られている!格好つけて申し訳ない。

 

「もうこうなったら自分でやって、ある程度実績を作るしかない」
そう思って続けているのが「じーるりん子ちゃんねる」であり、そのなかのバンドにまつわる長い長い話の数々だ。
今はまだ直接的な「こういうインタビューがしたい」というところにまでたどり着いてはいないけれど、作れば作るほどに一歩ずつそれを形にする準備が整ってきている。
こうまで上手くいかなかった時間の積み重ねを超えてのあれそれだ。
実現した暁には、一本当たり企画・構成・取材・編集費として、ルノアールのミルクティー70杯分の報酬を得るつもりよ。つまりあんまり期待しないでねってこと。はぁ。

 

姿が見えるのが一番だけど、ない方が人はきっとラフに話せる。
答えに詰まるとき、考えを巡らせているとき、過去を回想しているときの「うーん」「そうですねぇ…」といった言葉言葉の隙間に流れる時間もファンからは愛されるべきもの。
カットカットカットなチャキチャキ編集に慣れ切った多忙な視聴者への配慮があっても良いのと同じように、ほぼカットなしの長回しインタビューもそれはそれで素敵だと思うんだ。少数派であっても、私はそっちの方が面白い。

そもそもがこれ以上ないくらい「せっかちな人向け」ではない私のコンテンツだ。
まずは楽しめる人だけが楽しんでくれればいいし、その人数が増えるように工夫を重ねればいつか少しくらいは何かの足しになるだろう。
ここまで聞いていただければ「もしや?」と思われる方もいるかもしれないが、動画の公開は私のチャンネルでしかしたくない。
一番の理由は、私も同じくらいアーティストと喋るだろうからだ。

「いつから制作を開始されたんですか?」「どういう思いで作られたんですか?」「ツアー中ですけど手応えはどうですか?」「では最後にファンの方へメッセージを」2000字きっちり。
そんな一問一答のインタビューにお金を出す読者はもういないし、心の動き(成果)をまったく生まない仕事に大金を注ぎ続けれられるプロダクションもこのシーンにはほぼ存在しない。
「今までがこうだったから、これからもこれで」は遥か昔から通用しなくなったのに何故それを続けようと思うのか、高卒の私にはよく分からない。

個性がすべてとは言わない。
ただ、他と同じならそれである必要はない。
私は、その作品に触れた人間(インタビュアー)が「どう思ったか」、それによって「どういう疑問が生まれたか」をアーティストに丁寧に伝えることが何よりも大切だと思っている。
各所同時期に同記者から同作品(それもまだ世に出ていないもの)に向けて同質問を投げかけられたところで、返答はどこでも大体同じだろう。
なかには「他では話していないことをお願いします」なんて怠惰の極みの様な前置きをする人もいるくらいだ。
それを引き出すのがあなたに任された仕事だろうに。何で金銭を得ているんだい!

 

私が拙い文章や動画を通して実現したいことはたったの3つ。
それは、「アーティストをもっと好きになってもらうこと」「過去の作品の魅力を知ってもらうこと」「1再生を伸ばすこと」。

「どうにかして新規客を!」と、そればかりに欲を向けると、結果的に誰も楽しめない薄ーいものが出来上がってしまう。まんべんなさなんてこれっぽっちも求められない時代・シーンだ。
だから、まずは「今好きでいる人」「昔好きだった人」に向けて、「そんな話するかね」ってな内容をグサグサと画面に突き立てていくようなものを作りたい。
巡り巡って、それが結果的に新しいお客さんを生むことを実務を通して痛感させてもらえた過去を無駄にはしたくない。
場所の制限がある上でのPRもリアルでとても楽しかったが、今度はそれをもっともっと気軽に、出先でも、枕元でも、好きなときに好きな部分を好きなだけ見返してもらえる場で、私はああいうことがしたい。

そういうことがしたい!!!

 

というわけで、唐突に「そういうことがしたい音頭」を舞ってみました。
「そんなもん興味ない」って人が当然。
「ちょっと見てみたいかも」って人は心配。
でも、来年あたりにひとつでも実現したら、冒頭の2分くらいは覗きにきてもらえると嬉しいです。
賛でも否でも何かしらを感じながら、こんな長文を最後まで追いかけてくださったあなたには楽しんでもらえるものが出来るんじゃないかなぁと、勝手にそう思っているから。勝手にね。

よーしちょいと企画書作ってみるかー。