わたくしごと

柑くへばマジが鳴るなりimaginary

私、活字、苦手。
故、本屋、無縁。
が、久々、入店。
そ、れ、も。6店舗も!探すために!そうこれを!

2021年12月8日発売『imaginary』

私の記憶が確かなら、書籍の購入は実に5年ぶり。
でもって、本を手に入れるためにあちこちの書店をぐるぐる回った経験に関して言えば、確実にこれが人生初よ!

法定速度でぶっとばせー

あまりに珍しい出来事なので、その珍道中を動画でお届けしようと思ったのですが、なにぶんヴィジュアル系とはまったくもって無関係なブックのため、ひっそりとこちらでお喋りすることにしました。

 

きっと表紙を見た方の多くは、「なんかただならぬ感じは伝わってくるけど、いったい何の雑誌?」と思われることでしょう。
現に私も書店で探すときに「なんのコーナーに並んでるんだろう…」と各店のフロアを2・3周しましたから。

「どういう雑誌?」と聞かれても非常に困るのですが、幸い『imaginary』には確固たるコンセプトが存在していたことを思い出しましたので、そのまま引用します。

あたまにご注目

 

「どれもこれも気に入らなかった人が最終的に手に取るしかないマガジン」

 

ただこれだけで、キテる!

第一印象こそ面白さが勝るコンセプトですが、よくよく考えてみるとちょっとコワイですよね。
だって、「最終的に手に取るマガジン」でなく、「手に取るしかないマガジン」ですよ。
「我儘なあんたを満足させられるものは、残念ながらここにしかないよ」というメラメラの自信はさながら暗示。恐る恐る手をかけるべしよー。

私は、本誌の編集長を務めておられる水野しずさん(イラストレーター…というか私のなかではポップな概念言語化屋さん)の愉快痛快な考え方が大好きで、正直な話、購入の動機はただそれだけでした。
なので、正確に言うと「どれもこれも気に入らないというほどではない人が最初に手に取ったマガジン」。
言葉の威力が大分落ちちゃいますが、あくまでも私にとってはそういう雑誌だったのです。中身を読むまでは。ね。

 

『imaginary』の特異点は、しずさん以外にもうひとり編集長が存在すること。
言わば、ダブルエーサイドシングル的な人員配置になっていて、その共犯者はゆっきゅんさんという岡山出のDIVA。
しずさんの言葉をマイルドに翻訳してくださる凄腕の概念翻訳屋さんでもあります。

「どう言ったら頭のなかにあるこの概念を人に伝えられるのか」という迷いと常時戦われているしずさんの言葉を丁寧に拾い上げては、我々凡人に「しずちゃんは、こういうことを言いたいんだよ」と優しく伝えてくださるゆっきゅんさんの言語処理能力はもはやホラー。
年齢にして7歳差、更に岐阜と岡山という通常交わることのない場所で育ったお二人のハートにはきっと強力なマグネットが仕込まれているのでしょう。
そう思わなければ納得できないくらいの必然を感じずにはいられないのです。

私はお二人のことを個々に好いておりますが、双方が手を組んだときの直列つなぎ高発電な生き様が特に好きなので、そういう意味でもこの『imaginary』は「手に取るしかないマガジン」でした。

「さっきから何を言ってるんだお前は」と迫られそうですが、お二人を全く存じ上げない方よりも、少しは知っている私の方が余程御両人のことを分かっていない自信がありますのでご容赦を。
知れば知るほど分からなくなる。でも、すんごく興味深い。
わかった気もするけど、何にも分かっていない様な気もする。
そんな「愉快な困惑」を永遠に楽しませてくれる、とっても不可思議な魅力をお持ちの方々なのです。

肩書なんて明日には変わる。
見りゃわかる。何をって。成りを。井出達を。ドンッ

めちゃくちゃマジなロケット団

ね。分かんないでしょ。
下手なこと言ったら紙越しに一瞬で殺られちゃいそうなこの感じよ。言葉には気を付けよう。

 

先月発売された『imaginary』は、記念すべき創刊号。
発売前のトークライヴやブログ記事などから並々ならぬこだわりと思い入れが感じられ、いや、そもそも「この二人が作る」という時点でとんでもないものが出来るという確証があったので、発表された日から発売をとても楽しみにしていました。

「自分たちが見たいものを作りたくて、二人の頭のなかをそのまま形にした」という至極純粋な動機は、本誌に閉じ込められた記事・写真・イラストたちからも痛いほど伝わってきます。
「そりゃこんなん自分で作るしかないわな」と、制作の必然性がダダもれなところも最高。
そして、読めば読むほど、あの強烈なコンセプトも裏を返せば彼らの欲求そのものであったことを思い知らされるのです。

「どれもこれも気に入らなかった二人が最終的に作るしかなかったマガジン」

作るか殺すかの世界。
これが世に言う「マジ」ってやつよ。

 

imaginaryって何なのさ

まずは『imaginary』という言葉の意味から。
私は語感や字面から「イマジネーションの仲間みたいなものかな」と思っていたのですが、実はこれ「虚数」という意味なんだそう。

「目の前に形としてない」ただそれだけの理由で、”ないもの”とされてしまう概念や想像を「本」という”あるもの”に起こすことによって可視化し、永遠に保存可能にした。
私のなかでは、ある種の歴史書のような認識だったりします。

ひとつのジャンルに固執するのではなく、号ごとに大きく特集が変わっていくとのことですが、創刊号となる本号のテーマは「2020年代のファッション」
多く見積もって地上に6人はいるとされる「私の趣味嗜好をご存知な方」はさぞかし驚かれたことでしょう。
なんせ本にもファッションにもまるで無関心な私がファッションをテーマにした雑誌を探し回り、手に入れた日から今日に至るまで、何度も何度も読み返したというのですから。

全部が全部を紹介すると例の如く文字数が馬鹿になるので、中身をかいつまんで手短に紹介しますね(追記:大嘘)。

 

「実力のブーム」×神田恵介(keisuke kanda)

「あ!このロゴ見たことある!」と、ファッションシラーズな私ですらそう思ったのですから、おそらくめちゃ有名なブランド『keisuke kanda』の主宰&ファッションデザイナーであられる神田恵介さんのインタビュー記事です。

テーマはズバリ「実力のブーム」
実感も動機も伴わない軽薄なバズりや広まった途端あっという間に新鮮さを失ってしまう偽物なんかじゃ到底太刀打ちできない、圧倒的な信念と信頼によって育まれた「実力」こそが、今後勝ち続けていくためには必須であるという理論が力強く語られています。

初めてこの見出しを目にしたとき、私は「”実力”と”ブーム(流行り)”ってそもそも対極にあるものだし、それがくっつくと違和感あるなぁ」と思っていたのですが、そこで交わされる実体験を基にした説得力まみれの言葉たちに圧倒されて、「なるほど。これはたしかに実力ブームの到来なのかも!」と頷かざるを得ない首になってしまいました。

企業アカウントのみならず、個人のアカウントですら「バズる運用」「炎上しない運用」を強いられるようなった現代。
このインタビューでは、その考えに縛られた者がやりがちな「SNSでの努力」がいかに無駄なものであるかを指摘しています。
とはいえ、SNSに心がヒッタヒタになっている人たちは「語弊ゆるすまじ」な外圧によって無意識にその努力を続け、己の身を守るために順応力を上げつづけてしまう。
結果、その均質的な土壌で育った若手デザイナーからはぶっ飛んだ発想が生まれづらくなってしまったと。
流行り廃りを血眼で追い続けることで失われてしまう「実力に根付いた確かな価値の希少性」がいかに儚いものであるかを教えてくれる記事です。

神田さん曰く、90年代後半のファッション業界はファンタジーな思想に溢れていてとにかく面白かったそうで、ファッションデザイナーという職業に夢を見て業界に飛び込む若者も多かったんだとか。
その時代の余韻が20年経った今も感覚として鮮明に残っているくらい、それはそれは特別な雰囲気だったとお話されています。
そんな美しい思い出話の先に待ち構えていた「そもそもファッションデザイナーってなんですか?」というしずさんからのド根本な問いに少し戸惑われていた様子がことの深刻さを物語っていますね。
何十年と第一線で戦われている方でもその定義に悩まれるんだなぁと。

ただ、神田さんはそんな現状を憂うだけでなく、世間を騒がすような若手ファッションデザイナーの登場に心から期待されているとのこと。
SNSに対しても拒否反応を示さず、『keisuke kanda』のこだわりのひとつである「リボンの在り方・シルエット」の些細な変化ひとつに価値を見出してくれるコアなファンの方と同様に、気軽に「いいね」をしてくれる方の気持ちも大切にしたいという考えを持たれていて、お人柄含めて大人な方だなぁという印象を受けました。
「独自性の追求」と「排他的な思考」はセットになりがちなので、神田さんのような器が大きく包容力のあるベテランデザイナーがいるということは、若いデザイナーさんにとっても救いなのではないかなと思うのです。

そんなことを書いていたら、先程の「本誌はヴィジュアル系とはまったく関係ない」という発言を撤回したくなってきました。
「90年代は面白かった」「バズるか否かが勝負で、実力があまり重要視されない時代が続いてきた」という部分では、こちらの世界にも少なからず通ずるものがありますよね。
現に90年代至上主義な方も多くいらっしゃいますし、「一年目で売れなければ(バズらなければ)もう無理」という空気感は業界内に収まらず、今やファンにもバレているものですから。

 

このインタビューに限らず、本誌でしずさんがやたらと連呼している「バズり貧乏 鍵垢富豪」というキラー造語。
一旦ここでスクロールするその指を止め、先程の神田さんのインタビューを踏まえつつ、その言葉の意味を予想してみるのもまた一興。
はてさて、「バズり貧乏」と「鍵垢富豪」とは、いったいどんな状態を指すワードだと思われますか?

 

 

どうでしょう。
私は読解力に乏しいので、なにが正解かは分かりませんが、それらは「”なんとなく”のRTが重なったことで、実力を大きく上回る拡散が成された結果、すぐに価値の嘘が暴かれてしまい、真実味のない空っぽな数字だけが手元に残った状態(バズり貧乏)」と、「意識的に確かな体験を積み上げることによって”実力”を得た者が、人知れずコアで良質なファンを獲得しつづけている状態(鍵垢富豪)」を指すものだと思っています。

有形無形問わず、どの分野の芸術にもその類の現象は起こっていて、強い光を浴びた途端に痛んで褪せてしまうものが「ブーム」。
誤って世間から強烈な視線を浴びたとしてもビクともしないものが「実力」といったところでしょうか。
ここで言う「貧乏・富豪」というのはいわゆる金銭によって区分けされるものではなく、それまでに培ってきた「信頼(資産)の豊かさ」を指すものだと思っています。
クリエイターの想いが息づいた作品の豊かさと、それを宝物のように抱えて生きるファンの豊かさはイコールで結ばれるものだと、私もそう信じたいからです。

わぁ。マジで「マジ」な雑誌の性質にひっぱられて、私もついついマジめなことばかり書いてしまっている。
若干照れつつも、次のページへと歩を進めましょう。

 

「かつてイマジナリーだったものたちへ」×millna

永久薔薇創造主・ファッションデザイナー・人形作家という3種の肩書を持つmillnaさんとの「ロリータファッション」にまつわる魂の座談茶会。
このインタビューには我らがバンギャルな方々の中にも興味を惹かれる方がいらっしゃるんじゃないかなと思います。
ロリータを愛する30歳以上の方なんかには特に刺さりそう。

周りの全てを置き去りにするための、着る者の魂の速度に並走するための、そして他者との明白な離別を果たすための「ロリータ」。
それがどんどん普及して、「あぁ、あなたロリータとか好きなのね」ってな軽い認識で済まされる様になった昨今。
強くあるために着ていた「ロリータ」というあの強靭な概念はどこへ行ってしまったのか、という喪失感と怒りに苛まれた鼎談になっています。

空虚な「kawaii」の一言に丸飲みされてしまうことへの危惧が、相も変わらずマックスな実感を伴った言葉たちで語られており、ロリータの知識が皆無な私にも「かつてのロリータファッション」がいかに最強な鎧であったかを教えてくれました。
尖り続けること、異形でありつづけること(一般化しないこと)がいかに難しいか。
バズりの弊害がやはりここにも悪影響を与えているようです。

最低限の社会性は保った上で「私はあなたと同じではない」という主張を強く誇示するための服が、かつてのロリータであったとmillnaさんは語ります。
「可愛いから着る」というより、「こうあらなければ自分でいられない」という強迫観念…っていうとちょっと違う気もしますが、そういった攻撃的な面も感じられるほどの圧倒的な動機の居様に『imaginary』を感じました。

「ロリータとはなにか」
「何故その服を纏うのか」
人間は親切だからそのすべてを説明しようとするけれど、説明したところで誰も聞いてはくれない。
だったらもう「見りゃ分かる」状態にすれば良いと。
そのためにあらゆる思考を尽くながら、独自の哲学を貫いてきたmillnaさんのお話を聞いて「ロリータってこんなに強いのか!」と戦いたものです。
というのも、私は単純に「ふわふわで可愛らしいロリータを着ると違う自分になれたみたいでテンションあがる~」くらいの動機だと認識していたので、あのフリルの内側にそこまで鋭利な信念が宿っていただなんて思いもしませんでした。
違う自分になるための魔法というより、むしろそれは本当の自分でいるための術だった。
少なくともmillnaさんにとって「ロリータ」とはそういう存在である様です。

可愛いファッションのひとつとして扱われてしまうと根幹にある魂の鮮度が急速に落ちて、「いいね」程度の感情のエネルギーで勝手に権威化されてしまう。しずさんとmillnaさんはその状況を「地獄」と呼んでいます。
そんな地獄が一般化してきたことによって、millnaさんのなかには、ロリータを着るだけでは表現しきれなくなってしまったものへの憤りが膨らみ続けているんだとか。
そこから先のお話は、私の理解力では到底追い付けないレベルの「マジ」で白旗!
millnaさんの苦悩と、それを打開すべく編み出された斬新な策については、実際に記事でご確認くださいまし。

びっしりと敷き詰められた思想に「それめちゃくちゃ分かる!」と賛同される方、同意こそしないけれど「言いたいことは分かる」という方、どちらの意見も伺ってみたいなぁと部外者ながら野次馬根性丸出しでそんなことを思います。
悲しいかな、どうしても私には分からない世界なので。

「他人を変えるよりも自分を変える方が圧倒的に楽」という考えからか、「いちいち我慢しなくても耐えられるように精神を鍛えろ。心のダイヤを磨け。バズってる場合じゃないぞ!孤立しろ!」というしずさんの爆裂理論には軍歌めいたオーラを感じましたね。

 

「名前がついたら終わり。知れ渡ったら終わり」

独創的な発想もファッションも音楽も絵も言葉も、世に公開した途端にあっけなくコピペされて誰かの人生に取り込まれてしまうSNS社会。
サブテーマとなっている「あとは存在するだけ」という文言もイマジナリー的な皮肉が効いていて色々と考えさせられます。

 

「バズり貧乏 鍵垢富豪」×山下陽光

古着屋さんを営みながら、『途中でやめる』というなんとも不思議な名前のブランドを立ち上げられた山下陽光さんとの対談…の予定だった様ですが、なんでも打ち合わせの段階で頑固者しずさんと頑固者山下さんが両者譲らぬバチバチを見せたことにより対話が成り立たなかったとかで、今回はインタビューでなく、公開式の文通をするという形式をとられた様です。

「誰も考えたことのないことを考えている人 VS 誰も考えたことのないことを考えている人」によるモンスターバトルのようなやりとりだったという事前の打ち合わせ模様が大変気になるところですが、実際に掲載されている御手紙でのやりとりはとても穏やか。

まず構成自体が面白くて、一通分の文章で丸々1ページを使い、しずさんからの往信→山下さんからの返信→しずさんの返信という一往復半のやりとりがそのまま掲載されているのですが、「私はこう思うんですけど山下さんはどうですか?」という往信に「それについてはこう思います」と端的に返すのではなく、その問いを題材にしたコラムを起こして回答にかえるという…なんというか非常にふわふわとした空中戦が繰り広げられています。

だいたい「私は幼少の頃から金に飽きていました」の一文から始まる文通って、ちょっと飛び過ぎですよね。
このコーナーに限らず、全ページ助走皆無なところも『imaginary』の持ち味。
社会人的な探り合いや遠慮のし合いが一切ないので、ド頭の一行で笑ってしまうことも多いです。

「金を儲けようとすることによる損」「センスのない金持ちの滑稽さ」についてズラズラーっと辛辣に綴る先攻のしずさん。
個人的には、「グッチのロゴTの写真をストーリーに載せてもパパ活にしか見えない。センスじゃないのがバレるから」という言葉が強烈で「おぉ…」と唸りました。
「どれだけ自分を良く見せようとしても、あんたの適正価値は周りにバレてるよ」という見抜きの鋭い眼光は紙面を突き破らんばかり。
第三者に公開されることを前提としていない秘密の手紙をこっそり盗み見ているような高揚感が楽しめる魅惑の3ページになっているので、はやいとこ見てください。

 

「最前線ファッション当事者インタビュー」×Barrack Room・HEIHEI・椿座

オシャレな人はファッションで語るから大体が寡黙。
だけど、だからこそ、「最先端にいる当事者の言葉を聞きたい」という欲から実現した熱烈取材記です。

御相手は、一点ものの古着や、それをリメイクしたオリジナルの洋服、家具、ヴィンテージ品などが多く並ぶ渋谷区道玄坂のショップ『Barrack Room』の店主さん。
ロリータ・パンク・ストリートなど、「原宿カルチャー」と呼ばれるものを踏襲しながら、独自のファッションを創造・提唱する『HEIHEI』のこれまた店主さん。
そして2020年2月に原宿のキャットストリート裏にオープンした「普通じゃない人御用達」の遊び心満点なセレクトショップ『椿座』のこれまたまた店主のゆみさん、といった濃い濃い面々とのやりとりが記されています。
「小さな規模からでもお店をスタートしてみたい」という夢をお持ちの方には特に学びのある内容なのではないでしょうか。なんせ全員マジなので。

 

「パフェライク」な真実の発表会×東佳苗(縷縷夢兎/rurumu:)

『縷縷夢兎/rurumu:』のデザイナー東佳苗さんとの鼎談です。
この雑誌は造語があちこちに表れるので、「そもそもパフェライクってなによ」って話から始まるのですが、これまたとても面白い定義なのです。

パティシエの独創性を頼りにして「ここにしかないもの」を作り上げるのがケーキ。
一方、構成するひとつひとつの食材こそありふれているものの、その重ね方・取り合わせ方によって独自性を構築していくのがパフェ。
「パフェの魅力が”集積した地層の断面の現れ”にあるように、ファッションも思想を持った引用の集積でなければ今日日何も示せない」というしずさんの考えによって生まれたのが、この「パフェライク」という新定義です。

「動機と実感の大切さ」について度々論じられる『imaginary』ですが、それは決して「自分にしかないものを作れ!やれ!」という押しつけがましい理論ではなく、「主体性を大切に抱きしめて生きれば、あなたの選んだものは自然と独自のものになるよ」というなんともまろやかで優しい手解きだったりします。
「好きなものは好きって言え!」ってな脅迫めいた提案は高圧的で嫌だなと思っていた私にとって、『imaginary』のスタンスは本当に心地良い。
そのスタンスを決定づける「RTされても尚 私の物語であり続ける強度」というサブテーマも素敵ですよね。

 

「ラグジュアリーブランドを着ていても、ロゴが歩いているようなはりぼての人がたくさんいる。タグ付けする前提で服を買っている時点で自由だった時代とは基準が変わってきてしまっている」という東さんの嘆きは、山下さんとの文通でしずさんの書かれていたパパ活のくだりともリンクしていて、「ファッションに根付いた不満と危惧って、実はすべてが繋がっているのかもしれない」と思わされました。
自意識の過多と欠如が一辺に起こっていることによる収拾のつかなさというか。

他人に評価の軸を握られて、「誰かが言ったこと・やったこと」を何の動機もなく引用することで、さも自分が何かをやり遂げたかの様な錯覚に陥ってしまう人。
そんな人間たちと常に隣り合わせでいなければならない世界のことをしずさんは「80億総泥棒社会」と呼んでいます。
この言葉ひとつとっても大分笑えるのですが、これに関して言うと私も超理解にして超同意なので笑ってる場合じゃなかったりもして。
というのも、このブログや動画でも何年と言い続けている「共感の順序」への疑問と不快感がまさにそれなのです。

きっとそこかしこで起きていること。
誰かの論じたハッとさせられる言葉に寄生して、「私の言いたいことを全部言ってくれた」的な同意をする方を見掛ける度に「本当に?今そう言われてその気になっただけじゃなくて?」と勘ぐってしまう例のやつ。
その人の人生に一切関与していなくても、「それでいいの?」とついつい心のなかで問いかけてしまう癖は抜けません。
一言で済ませれば「大きなお世話」なんでしょうけど、思ってしまうのだから仕方ない。

丁寧に紡いだ個人の考えを「わかる」の一言で雑にラッピングする人に覚えるモヤモヤは、私の場合「怠け」への嫌悪から成るものです。
私がそれについて書くと表現が必要以上に暗くなってしまっていたのですが、そういった「自分で考えて話すことを怠ける人」のことをしずさんは「泥棒」と呼んでいて、そのポップセンスにただただ激痺れでございます。
これに関しては私も泥棒したいと素直に思いましたね。
どろぼう。なんか可愛いし、そっちの方がいいなって。

「引用」と「泥棒」の圧倒的な違いは、「経験」と「体験」の差。
足りない頭では辿り着けなかった納得の回答にようやく出逢うことができて、「買ってよかったイマジナリ~」と胸中で叫んだものです。

「実感と動機なき共感はただの泥棒」
2022年はこの考えで生きていくことにします。
長年抱えてきた高濃度モヤモヤが大分除去されてスッキリしたー。

 

個人的には「自分の基準を大切にしている人は自分の言葉を持っている」というゆっきゅんさんの言葉も沁みました。
ライヴレポや音楽の感想、ファンレターなんかを書きたいけど書かない人があげる理由のひとつとして、「自分には上手く書けないから」というのがあります。
でも、それって上手く見せようとしなければ精神的な問題は解決しますよね。
これに限らず、就職面接とか恋人の親との顔合わせなんかもそうですが、緊張状態にあるときの人間って、結局のところ自分のことしか見えていないケースが多いと思うんです。
文章でいうと、「これを読んだ人をこういう感情に向かわせたい」「こういう人だと思われたい」というオレガオレガ精神が強ければ強い程、紡ぐ言葉がどんどん本来の自分から離れてしまう。
更にその思惑にプラスして「誰とも被らない言葉(表現)を使いたい」とまで欲を張ると、最終的には「なんかユーモア出そうとしてるけどずっと滑ってる上に肝心な中身が何も伝わってこない文章」の出来上がり。
思っていることと伝えたいことのバランスを取るのって何十年人間やってても難しいものですが、バランスを取ることに意識を向けすぎると何も楽しくなくなっちゃいますし、結果的に何も成さない無意味なものが生まれるだけだと思っています。

例え過去に誰かが言っていたことであっても、それを引用しているという自覚を持ってさえいれば、そこに自身の感情を混ぜ込んだ言葉もれっきとした「自分の言葉」になる。
というか、私の例でいうと悲しいくらいに作るものすべてがアーティストや楽曲からの影響によるものなので、そういう意味でもゆっきゅんさんのこの言葉には救われた気持ちでいます。
記事内で語られている「引用の在り方とセンス」についてのくだりなんて、「わぁわぁ!それだ!」と思わず指で文章をなぞってしまったもの。
いやー素敵。この見開きも今後何度となく見返すんだろうなぁ。

 

そして、その「引用(影響)」を言葉でなく、絵で表してみよう!というのが次頁です。

 

あなたのパフェを見せてください

しずさんとゆっきゅんさんに選出された6名の「パフェライクな人々」が集結。
実際に自身を構成する要素をパフェにして披露しよう!という突飛な発表会のはじまりはじまりー。

あんたのパフェを頂戴よ

このように読者用の白地パフェも用意されているので、自分という人間を作るに必須な要素を整理しながら、独自の層でパフェを作ってみてはいかがでしょう。
お二人も読者のパフェに興味津々らしいので、@ツイートで公開すればリアクションをくださるかもしれません。
内容とは無関係ですが、めちゃ塗りやすい紙質です。

 

「振り向けば、イマジナリー」×益子杏子(SHEEP)

「2010年代のファッションにまつわる座談会」
びっくりするほど普通なサブテーマで逆に驚き。
通常が異常に思えてくるあたり、大分毒されてきました。

ファッション業界でバリバリなキャリアを誇るディレクター兼バイヤーの益子杏子さんのインタビュー。
「今まで日本のファッションを背負うつもりでやってきた」その熱い想いを大解放すべく、ラフォーレ原宿に『SHEEP』というショップをオープンされたばかりのスターが語りに語っておられます。でもって、文面から察するにとても穏やかで優しいお人柄。
テキストからも取材現場の柔らかい雰囲気が伝わってきて、本誌のなかでは冒頭の神田さんのインタビューに並ぶ癒しページです(北欧カラーの背景とひつじも可愛い)。

2004~2005年頃に人気を博していたストリートスナップ誌『TUNE』『FRUiTS』の話から、当時と令和の今に至るまでにファッションのブームがどう流れていったのか、そして、あらゆる意味で「こういう自分でいたい」という夢が叶いやすくなった今、ファストファッションが一周して、手仕込みのクラフトにみんなの意識が向かいつつあるといったお話をされています。
テンプレートに沿って量産化される「良い物」には留まらないクラフト独自の「無駄な面白さ」についてのトークがとても興味深かったです。

「個性的でしょ?」というアピールではなく、「私の宝物!」という感覚で洋服を愛してほしいという益子さんの願いは、『imaginary』の願いとも重なるんじゃないかなと思ったりして。

掲載されている方々は皆確固たる「個」を持っているにも関わらず、そこにはなにかしら決定的な共通項がある様に感じられます。
編集長のお二人はそれを「イマジナリー信頼関係」と呼んでいましたが、そうとしか呼べない特殊な繋がりがここにはあるんですね。

 

「かわいい」について考えすぎた人の話×清水

『おまけ星』の屋号でイラストレーター・デザイナー・雑貨屋さんとして活動されている清水さんによる、一見ナンセンスに見えてそうじゃない気がしなくもない爆悩葛藤コラムです。
もうタイトル通り、兎にも角にも「かわいいとは何か」について考えすぎて脳がマグマの様に沸騰しつづけているご様子で、語調こそ冷静ですがとても正気には思えない熱狂度。

「いくら好きなこととはいえ、こんなに考えすぎて苦しくならないのかな…」と思わされながらも、「なるほど…なるほど…」と読み進めていった先の最後の章の見出しが「あなたも何かについて考えすぎてください」というまさかの共謀依頼であったことも含めて、とても面白かったです。
苦悩だけでなく、そうまでして向き合って向き合って向き合ったからこそ見えてくる新しい喜びや楽しみ方についても教えてくれる愉快な悲劇でした。

 

「旬を無視!私が語らねば誰が語る」

「世に残っている古の名画・音楽は、何故現代まで残されたのか。それは評論の権利を与えられたお偉いさんに高く評価されたから。でも、たまたまそこにノミネートされなかっただけで消されてしまった幾多の作品のなかに、”これ、私のためにある作品じゃん!”と大興奮するようなものがあったに違いない。そういった不条理な悲しみを減らしたいから、「サブスクで楽しめるもの」「現状それを容易に楽しめるツールがあるもの」に限らず、とにかく好きなことを好きなだけ目一杯書いてほしい」というゆっきゅんさんの想いに4名のクリエイターさんが全力で応えたコーナー。

「好きなものを好きに書く」
あまりにもシンプルかつ、最も熱伝導率の高いスタンスから自由に繰り出される言葉の波がザアザアでございます。
読み手の心臓をやっちまいかねない極端な狭さと深さはヒヤヒヤもん。
「好きにしていい」と言われても、人はやはり気遣いの生き物なので、なんとなく他人から求められたものを汲んで形に起こしてしまいがちですが、『imaginary』においては要求より欲求が最優先。
当たり前に許されるべきことが許された瞬間に解き放たれる文光の瞬きはまさに「余所では見られないもの」です。

個人的にはシャンプーまゆみさんという方が書かれたファミコンソフト『オホーツクに消ゆ』のエピソードが大ヒットでした。
私には10歳と7歳離れた兄がおり、2人がこのソフトをプレイしていたのを隣でずっと見ていたものですから、タイトルを見た瞬間「オホーツクに消ゆってあの!?こんな話、私以外に誰が面白がるんだ」とつい声が出そうになったものです。
でも、その驚きや妙な独占感もまた、ゆっきゅんさんの狙い通りなのだと思います。

いやーでもびっくりしたなぁ。オホーツクに消ゆ。
ここで会わなければ、一生目にも耳にもすることはなかったと思うわ。助かったー。なにがー。

そして、この後には、そんなピンクの策士ゆっきゅんさんが読者をとある場所へと誘うべく認めた、特製の地図が待ち構えております。

 

「行こうぜ!国会図書館」×ゆっきゅん

「何かしたいけど、やりたいことが特にない。でも、今のままじゃイヤだ」という迷い人に救済をってなことで、彼の指さす先は「国会図書館」でした。
「これさえ読めば何も迷うことはない」というところまで事細かに施設の利用方法や利点について案内してくださっています。

「なにをしたらいいか分からないときは、とりあえず興味のあることから勉強して知識を得るのが一番」というもっともな意見と、知識のオアシスへ飛び込むまでの手順がセットになっている見事なエスコートDIVAっぷり。

「国会図書館」というなんとも仰々しい字面の聖地ですが、そこへ向かうことへの精神的なハードルを膝丈までガツンと下げてくれるものですから、私もちょっと興味が湧いてきました。
とはいえ、活字はやっぱりどうしても苦手なので、しばらくは『imaginary』で鍛えるとします。

本誌の質問回答コーナーを読んでいても思うことですが、ゆっきゅんさんは思い悩んでいる方に対して、頭の使い方(どう考えるか)だけでなく、具体的な体の使い方(どう動けばいいか)まで鬼丁寧にレクチャーされるので、「この人はちょっと優しさが異常だな」と感動させられっぱなしです。
「こう考えたらいいじゃん」でその通りにできるなら、人間は苦労しませんもんね。
なんというか、今の時代に一番求められている方なんじゃないかなぁ。

 

アンチグルメエッセイ「食べたい人は食べなさい」×首藤凛

絶賛上映中の映画『ひらいて』で、監督・脚本を務められている首藤凛さんによるコラム「何が食べたいのか分からない」が掲載されています。
サラッと言うようですが、本誌のなかで一番好きなページを選べと言われたら、私は迷わずこのページを選びます。

料理がとても苦手な首藤さんのお母様のお話。
なんでもない日常における小さな被害者のかわいいエピソードが大好きな私にとって、この一話はたまりません。
似たような母を持つ方にとっては少々心が痛む描写もあるかと思いますが、読後感はとても前向き。
「ハッピーエンドではないけど、ハッピーなエンドだな」という矛盾した気持ちに胸をあたためられる素敵なエピソードです。
個人的にお父様の言葉がツボで、文字を追いながらついニヤニヤしてしまいました。
日々の営みのなかで連続的に生まれるエラーって本当に面白い。読んで!

 

その他、バラエティーページも含めて超盛りだくさんなイマジナリー。
こうして結構な文字数を費やしても尚、かかとにすら手が付かないくらいの情報量なうえ、読む方によって「コレハ!」な部分が大分変わるかと思いますので、後生で一度は手に取っていただきたいです。

もし、すれ違いざまに近所の人から「あなたにとってimaginaryとは?」と唐突に尋ねられたら、私はこう答えますね。

 

「読む寝具」

 

ってのもね、これ大きいですよ。想いに比例してサイズそのものが。
おそらくB4版だと思うのですが、紙のサイズ言われてもよく分からんという方もいらっしゃるかと存じますので、ちょっと比較画像を。テイッ

ROCK AND READ 4冊分よ

「イラストも写真も作品として大きく見てもらいたいから、このサイズにした」とのことですが、かの有名な紀伊國屋書店もこれにはお手上げだった模様。
というのも、私が購入した際、レジのお兄さんに「上が閉まらないんですけど宜しいでしょうか…」と申し訳なさそうに言われたんですよ。
「内容のみならず、装丁の罪深さもなかなかにマジだな」と震えましたね。

ナンセンス紙袋

で、もうひとつ言いたいことがありまして。
それは良い意味で「めちゃ読みづらい」という点。
「良い意味で、を枕にすれば何言っても許されると思うなよ」と怒られそうですが、本心からの「良い意味で」です。

というのも、WEBにも雑誌にも共通してデザインの世界では守られるべき「トンマナ」というルールがあるんですね。
これは「トーン&マナー」の略なのですが、早い話が色味やレイアウト・テキストの段組みなどにある程度の統一感を持たせて、見る者のストレスを極力なくしましょうねという、作り手の親切から生まれた暗黙の掟です。

厳密に言うと、かなり広義なトンマナの捉え方にはなりますが、この『imaginary』はそのあたりがちょい無視されています。
フォントも色使いもレイアウトもまぁまぁバラバラでね。
暗い色のページから一気に真っ黄色のページへジャンプしたときなんて、夜勤明けの空の眩しさを思い出しましたもん。

「この写真はこれ以上写真を隠したくない」という強いこだわりからか、その上に載っているテキスト背景色の透明度がめちゃ高く、さらに黒文字 on the 暗い写真というスーパー食い合わせの悪いページも2ページだけではありますが存在したりして、そんなところもルール無用で面白いなぁと思いました。

稲川淳二が怪談話をするときに聞き手の集中力を最大限に高めるため、緊張感を演出する際には敢えて小さな声で話すと言っていたのですが、それが視覚的に施されて…いや、そこまで考えてのことかは分かりませんが、結果的にそういう効果があるようにも思えるのです。

もっとも、そこに書かれている内容が面白くなさそうなものなら私も「なんか読みづらいからここは読まないでいいや」と飛ばしたのでしょうが、この雑誌においてはそんなことも言っていられないので、すんごく目を近付けて必死に読んでいます(あっちがマジならこっちもマジ)。

『imaginary』を「読む寝具」と呼んだのは、どうやったらそういうページも読みやすくなるかを試行錯誤した結果、「覆いかぶさって枕の様にして読むのが良い」という結論に至ったからです。

これでも半分近く隠れています

大きなページびっしりに敷き詰められた大量のテキストを流し読むのは至難の技なので、当然ながら立ち読みにゃめちゃ不向き。
書店でこれをじっくり立ち読みしようものなら、近くにいる立ち読みっ子から「この人何見てるんだろう?」と表紙を覗きこまれることでしょう。

ただ、どんなに取り回しづらいサイズであっても一度目を通せばその形である意味を知れますし、なんなら「もっと大きくても良いから好きにやってほしい!」という妙な煽り精神まで生まれてくるから厄介です。

しずさん・ゆっきゅんさん以外の登場人物を誰一人として存じ上げなくても一生懸命に読みたくなる。
何故なら、二人がキャスティングした方たちが面白くないわけがないから。
「だれそれが表紙だから」「なにそれ特集だから」という、本誌でいうところの「ブーム」で釣るのではなく、「この人たちの手掛けたものなら全部読みたい」という信頼こそが、お二人が声高に掲げる「実力」の正体そのものなのでしょう。

実際、取材を受けていらっしゃる方々の付け焼刃感ゼロな受け答えが超魅力的。
半端な思想やこだわりではまず打ち返せないような鋭い問いもなんのその。
それっぽい上辺の回答では絶対に満足しないであろう編集長二人をも唸らせるトークはさすがプロ!としか言いようがありません。
「常に自分の頭で考えながら感性を育みつづけている人はこうだから格好良いよなぁ」と、嫉妬すら覚えます。とにかく登場人物が全員清く強いのです。

 

『imaginary』創刊号。
「虚数」と呼ぶにはいささか実感がありすぎる最強な一冊。
もしお店で見掛けた際は、数ページでも良いので立ち読みしてみてください。
ビニールにも紐にも無縁なサイズ故、そのままの状態で棚にズドーンと置かれているのでね。
一部の取扱い店舗と在庫の有無は下のリンクから確認できるので、狙い撃ちで掴みに行くタイプの方はこちらも参考にしてみてください。

『imaginary』創刊号 取扱い店舗

 

「えー楽しい!これはすぐにでも感想を書きたいな」と思ってはみたものの、音楽と同様、私はじっくりと向き合ってからじゃないと何も書けないブタなので、手を付けるまでにここまで時間が掛かってしまいました。
もっとも、何周読み返しても読み尽くした感は一切なく、「まだ楽しんでいる途中」なんですけどね。
だいぶ子供じみたことを言うようですが、「寝て起きたら1ページくらい増えてないかなぁ」なんてことを思うくらい、早くも次の号を欲しています。
創刊号がここまで濃密だと次への期待も高まる一方ですが、お二人なら余裕で飛び越えてくださるかと思いますので、2号の発売も楽しみです。

いやーーーあまりのマジさに私までマジになってしまった。
でも、こんなに何度も読み返したくなる雑誌は初めてだったんだからしょうがないわ。
「イマジナリー」の「マジ」はマジのマジってことにしておこう。

というわけで、今日はこのへんでおやすみなさい。
私もいつか実力者になりたいわーーー。