解体新悟

【解体新悟】第二審『6 Degrees of Separation』篇

あざらし
あざらし
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──今日は、ファーストシングル『6 Degrees of Separation』の回ですね。

久我:そっからですね。

──(鞄がさごそ)まずは、CDを持っていないという久我さんに……

久我:お、現物ですね。懐かしい~~。

──この時期にしてはすごい凝ったジャケットですよね。表に金の箱まで入ってるじゃないですか。これは、久我さんの希望ですか?

箔押しは高いのよ

久我:そうです。ちょっとハイブランドのロゴっぽくしたくて。

──あぁーたしかに。CHANELっぽいですよね。

久我:そう、シャネル!みたいな。
事務所に入って一枚目だから、最初は「この金箔は予算が~」って言われたんですよ。でも、「そこをなんとかァ~」って言って(笑)。

──箔は高いですからねぇ。
あとクレジットを見てびっくりしたのが、ドラムのテクニシャンにSADSのGOさんが入っていて。

久我:あ、そうでしたね。そうですそうです。

──レコーディングスタジオお抱えのテクニシャンだったんですか?それともオファーした…?

久我:これは、オファーしたんですよね。「(事務所に入って)初だし~」っていうので、見てもらおうって。

──お会いしたときは、「オオッ!」って感じでした?

久我:「おおGOさんだ〜」って感動しましたよ(笑)。優しくて、すっごい良い方でしたね。

──一枚目の『SOMETHING WICKED COMES HERE』の回で、「これ、あんまり音質が良くないですよね」ってお話をさせていただいたんですけど、今回で一気にグレードアップしましたよね。ここから先はもう安定って感じで。

久我:ちゃんとした方にやってもらいましたから(笑)。
まぁ今にしてみたら、「やっぱり10年前の音だな」って感じはありますけどね。この頃は特に修正とかもしてないから、若干ボーカルの音程がフワフワしているんですよ。生々しい。

──でも、その感じも良いですよね。

久我:うん。これはこれで良いですね。

──って言っても、あんまりこのバージョンは聴いてないですよね?

久我:最近は聴いてないですね~。

──リリースされたのが2012年の2月2日なので、もう10年と半年前……

久我:早いですねぇほんと。だって俺、「ついこの間まで中学生だったのになぁ~」って思えますもん。

──親戚のおじさんじゃないですか(笑)。

久我:ハッハッハ

 

『VESSEL』

──一曲目は『VESSEL』。これ、私がLIPHLICHでイッチバン好きな曲ですね。不動の一曲です。

久我:これですか?一番ですか?

──はい。私以外にもこの曲が好きで好きでしょうがないっていう方多いんじゃないですかね。世紀の名曲ですよ。

久我:そ、そうなんですかね?

──ご本人的にはそうでもないですか?

久我:いや、今は気に入ってますよ?良い歌だなと思うんですけど、出したときは「これで良いのかな?大丈夫かな?」って思ってましたね。『VESSEL』を作るときは、「事務所の人の言うことも聞こう」と思っていて、「どういう方向性を求めているんですか?」って、意見を聞いてみたりもしたんですね。最初に「これがいい!」って出した曲が見事に「ちょっとこれは…」ってボツになったので(笑)。

──結構アバンギャルドな感じの曲を?

久我:そう、アバンギャルドな。若干聴きづらい曲だったんですよ。だから、「もうちょっとキャッチさもあったものを~」って。結構ディスカッションしながら作りましたね、これは。

──一枚目のアルバムで既に世界が出来上がっていたじゃないですか。あの作品で「リフリッチってこういうバンド」っていうイメージが完全についちゃったと思うんですよ。で、次の一手はどう出るかってなったときに全然違う方向から来たなって。あの埃を被った世界を抜けて、うーん……ポップでは絶対にないですけど、すごく聴きやすいというか。

久我:あ、これポップじゃないのか。

──ポップじゃないですよ。

久我:ポップじゃないッ!?

──ポップじゃないですねぇ。
私は、アコースティックバージョンの『VESSEL』が好きで、そっちをずっと聴いちゃってるせいもあってか、久々にこのシングルバージョンを聴いてびっくりしたんですよ。「あれ?この曲ってこんなにロックだったっけ?」って。聴きやすさはありますけど、じゃあシングルっぽいかと言われたらそうでもない(笑)。アルバムの中盤に入ってそうなコアな曲というか。

久我:まぁシングルっぽくはないかもしれないけど……
でも面白いですよね。ヴィジュアル系然としているバンドのシングルと世の中のJ-POPのシングルって、毛色が全然違うじゃないですか。ヴィジュアル系の場合は若干「盛り上がってこそ」っていうイメージがあって。で、たまにバラードを出して、ちょっと方向性の変化を見せるみたいな。

──あぁーたしかにそういうイメージはありますよね。
ちょっと話は変わるんですけど、昔ZEAL LINKが新宿のマルイワンにあって、このCDがリリースされたときにそこで30分店員イベントをやっていただいたんですよ。

久我:あぁ〜はい、やりましたやりました。
ニッチもサッチも分からず、インストアイベントとかそういうのも初めてで。あ、インストアイベントじゃないか。30分店員。

──そうですね。LIPHLICHのお客さん以外の方が来ても対応していただくようなイベントで。レジにもメンバーさんに一人立っていただいて。

久我:うん、懐かし〜。

──でも、この当時のガチガチに尖ってる久我さんは、「そういうのやりたくないんですけど」って言いそうなイメージがあるんですよ。「バンドのブランディング的にちょっとそういうのは……」っていう。

久我:言ってましたね!
ただね、やっぱりある程度は必要なことなのかなって。結構それも話し合って、「じゃあやるか」って。

──とりあえず、一回大人の言うこと聞いてみるかと?

久我:うん。

──前回お話したときにも思ったんですけど、久我さんって意外と柔軟に人の意見を取り入れる方なんですね。

久我:うん、そうですよ?

──私のなかでは頑なに自身のこだわりを貫いている方っていうイメージがあったんですよ。もちろんそういう部分もあるとは思うんですけど、例えば前回ベンジーさんやスティーヴ・ヴァイの発言を参考にして曲を作ってみたっていうお話もあったじゃないですか。そういうのが意外だなって。

久我:うん、そういうのは昔から変わらないですね。ちゃんと事務所の人の言うことも聞きますよ(笑)。まぁ「これはちょっとダメだけど…」って、譲れないところはありますけど、そこまで多くはないかな。だって、実際に曲の方向性とかも事務所とちゃんと話し合って、「じゃあそうしましょう」って決めてますからね。

──むしろ、「ちょっと嬉しいな」っていうのもあったんですかね?言ってみたら、一枚目って本当に「久我さんのプロデュースした作品」っていう印象があるんですよ。作詞・作曲もギターのレコーディングも久我さんが全部やられていたじゃないですか。なので、今回事務所に入ったことで大人からの客観的な意見も聞けて、さらにギタリストとして明人さんも加入されてっていう、そのあたりの変化が嬉しかったみたいなことはありませんでした?

久我:あ、たしかに!
事務所的にも「こういう曲で売り出していきたい」っていう意見があるじゃないですか。そういうのが初めての経験だったから意外と楽しくて。「なるほどね。ポップね、ポップね、オッケー♪」って、そうやった結果がコレで、自分のなかではポップなんですけどね(笑)。

──これがまた全っ然ポップじゃないんですよねぇ(笑)。なんなんですかね、その辺のズレというか。

久我:ズレと〜、まぁでもやっぱり「何かしら違うものを入れたい」「別の色付けをしたい」っていうのはあるので、そこで抵抗したりするんですけどね。

──『VESSEL』も心地よくサラっと聴けちゃう曲ではあるんですけど、歌詞をじっくり読むと「ちょっとヤバいな」って。

久我:たしかに歌詞はポップではないですね。

──リリースされた当時と今とで聴こえ方が違うっていうのは、前回『RECALL』のときにもお伝えしたんですけど、昔はもっと捻くれてるというか皮肉っぽいというか、あんまり「愛情」みたいなものを深く信じていない人間の唄っていう印象が強かったんですね。素敵なロマンス映画の様にも見えるけど、「実は相手のことを想っているのは自分だけなんじゃないか」っていう不安も滲んでいるといいますか。

久我:あぁー……愛情ねぇ(苦笑)。
たしかにそういうのは多かったかもしれないですね、このときは。

──ちなみにこの曲は久我さんのプライベートな感情が入ってるタイプの曲ですか?それとも、他人の物語として脚本を書いていった様な感じですかね?

久我:いや、これは自分の感情が入ってますよ。

──あぁ……入ってるとしたら結構ヤバいなぁ……

久我:そうですか?考えすぎじゃないですか?考察しすぎですよ(笑)。

──前の『GREAT NONSENSE』のドブネズミのくだりもそうでしたね(笑)。
でも、やっぱり久我さんの歌詞って抽象的な表現がすごく多いので、聴く人によってどうにでも取れますし、その時々の状況によっても印象が変わっていくと思うんですよ。そういう余白がすごく良いなぁっていう、その代表格だと思うんですよね、『VESSEL』は。

久我:そうなのかなぁ……どの辺が?

──もう全体的にですね。歌い始めからさっそく分からないんですよ。

あれから動けない本当の理由
お気に入りの靴を無くしたから?
「裸足で行けるほど子供じゃない」
そう言う君は裸足が好き

──「これは一体何のことを言ってんだろう?」って、自分なりに考えてはみるんですけど、本当にいろんな捉え方ができてしまうので、その度にいちいち立ち止まってると先に進めなくなっちゃうんですよね。

久我:ああ〜~。

──この「お気に入りの靴」っていうのは、「過去に愛した人」のことなのかな?とか、単純に気に入っていた「物」を失くした悲しみによって塞ぎ込んでしまった人のことを歌っているのかな?とか。

久我:それでもいいですしね。
これは、大人と子供の間で揺れ動く感じですよ。まぁそのままで言ったら、子供のときは裸足でも駆け巡れるけど、大人になるとそういうことはしないじゃないですか。俺は海には行かないですけど、たまに海に行って裸足になって「ウェッホー!」って騒いで童心に帰るみたいなのは、やっぱりみんな好きだと思うので、そういう感情なのかな。これを書いたときの気持ちはもう覚えてないですけどね。

──なるほど。でも、凡人の感覚では理解できないんですよね。この詩もどの部分から書かれたのか分からないんですけど、開始一行でこの言葉が出てくるっていうのが……

久我:あ、でも大体歌詞は一行目から書きますよ。たまーにサビから……『マズロウマンション』はたしかサビからだったかな?

──そうなんですね。うーん……でもこの詩は、むずかしいなぁ。

久我:ウフフフ

上手くなったのは パンをたぐり寄せる右手
得てして失った旗を掲げる左手

──ここもよく分からなくて。

久我:そのまんまですよそのまんまそのまんま!

──この「パン」って単語ひとつとっても、そのままの意味と隠語(パン屋=売春宿)としての意味があるじゃないですか。

久我:まぁねぇ〜。でも、そこまでは言ってないですよ。
「パン」っていうのは、「生きる為に最低限必要なもの」のことですね。例えば、「働く様になった」とか、「生きるための立ち回りがある程度分かってきた」とか、そういうものの代表として「パン」。大人になることで、そういうものをたぐり寄せるのは上手くなったと。次の「旗」っていうのは反逆・反骨精神みたいなものですね。ジャンヌ・ダルクが旗を持った有名な絵があるじゃないですか。大人になると、ああいう風に旗を掲げる(反抗する)こともしなくなる。そうやって世の中の歯車のひとつになっていくっていう様な。

──おぉ、すごく純粋な歌詞ですね。

久我:そう。ほらシンプルじゃないですか(笑)。
まぁたしかに「パンを」って言ったときに、その隠語も分かるので、「そういう人はそっちの方に考えるかな」っていうのも想像してますよ。「そのまま混乱するがいい」みたいな(笑)。

──「なんか深く考えてるみたいだけど、そっち方面じゃないよ」みたいな?

久我:そうそう。そっち方面じゃないよっていうのはよくありますね。

──例えば、『RACE』(Album『蛇であれ 尾を喰らえ』収録)でもパン屋・花屋って出てくるじゃないですか。

『RACE』
どこかの花屋が転んだ
助けずに放っておけ 先に行け
気になるパン屋がケガした
さあその手 差し伸べろ 巻き起こせ

──どうしても頭がそれに引っ張られちゃって、「パン屋」っていうとそっちにいっちゃう……

久我:もうちょっとぉ~汚れてしまってぇ~(笑)。

──だって、「生きる為に必要なもの」というテーマで何か言葉を出そうと思ったときに「パン」は出てこないですよ。

久我:そうですかねぇ。
でも、「一切れのパンを与えてくださって、神様ありがとうございます」って言うじゃないですか。

──あぁーそういうのはありますね。

久我:そういう題名としての「パン」。まぁ日本じゃなくて、向こうの主食ですけどね。

──前回のお話にもあったんですけど、やっぱり久我さんが何かを描くときに思い浮かべるのは洋っぽい雰囲気なんですかね?

久我:それもあるかもしれないけど……
だって、ここで「上手くなったのは 米をたぐり寄せる右手」って言ったらなんかちょっとあれじゃないですか(笑)。

──たしかにたしかに(笑)。
農家の手伝いをしてる娘がだんだん慣れてきた、みたいになっちゃいますよね。

久我:そうそうそう(笑)。

──で、ここからサビに入るんですけど。

宛てがう愛が 蜂の巣のような 君という容れ物から
流れていくのを ふせぐにはこの手じゃ足りない
だから流れてしまうものでも ずっと注いでいるよ
渇かないように

──タイトルの『VESSEL(器)』という部分も含めて、ここで歌われる「容れ物」が肉体なのか、それとも心なのかっていうのも考えたんですよ。これって、久我さん的にはどうですかね?

久我:これはね、両方とれるようにしていて。片方は心の問題ですよね。「心はみんな穴だらけだから、それを防ぐのは難しいよね」っていう。多分そう考えた方が分かりやすく読めると思うんですよ。あとは肉体の方でいうと、銃弾で穴だらけになってしまった遺体のことですね。穴だらけの体から流れ出ているものをなんとか手で塞ごうとするけど、もうどうしようもないっていう状態の歌でもあるんです。

──なるほど……
この曲を聴いたことがない方もいらっしゃると思うので、私が思っている全体のテーマをお話しすると、まず前提として「人間」という器があると。ただ、それには無数の穴が空いているから、どれだけ想いを注いでもどんどん流れていってしまって、いつまでも相手を満たすことはできないっていう、すごく虚しい唄っていう印象が一番にあったんです。

久我:うん、そうですね。

──もう既に歌詞としてあるものだからこんな風に話せていますけど、やっぱりこの「人間という器は穴だらけである」っていう、その着想が凄まじいと思うんですよ。この「容れ物」であったりとか、「蜂の巣の様だ」っていう部分は割とサラッと出てきた感じですか?

久我:そうですね、うん。

──いやーあんまり乱発する言葉じゃないですけど、マジモンの天才ですよね。

久我:ハッハッハ、そんなことないと思いますよ(笑)。

──いやいや、これは本当にすごい。

久我:だって、「心にポッカリ穴が空いちゃった」とかよく言うじゃないですか。

──それはそれですよ(笑)。その場合は、単純にショックを受けている状態のことなので、分かりやすいじゃないですか。現に「心が穴だらけになっちゃって満たされないのワタシ」っていう曲は世の中にたくさんありますし。ただ、『VESSEL』はそうなっている状態の相手に対して、自分はどう接するかっていう歌じゃないですか。その視点で書かれた曲って、私はそんなにないと思うんですよね。

久我:あぁ~なるほど。
でもそういうのはあったと思いますよ?今言われた通り、穴だらけになってしまった人の歌っていうのはいっぱいありますから、「そうはしたくないな」と思って、別の視点から書いたのかもしれないな。

──ここに出てくる二人の関係性ひとつとっても色々考えられますよね。家族だったり、恋人だったり、夫婦だったり。そもそも男女に限った話でもない様に思えますし。

久我:まぁそうですね。男女にこだわらず、大切に想っている人のことですね。

──(まじまじと歌詞カードを見る)いやァ、これはほんっとにいい歌詞だなぁ。

久我:そう言っていただけると嬉しいですけど……そうなのかなぁ。
まぁでも穴空いてるし、入れ続けないとなくなっちゃいますからね。人間ってそういうもんじゃないですか。例えば、ライヴでの満足があったとしても、しばらくするとそれも無くなって、また行きたくなるとか。水や食べ物もそうですよね。やっぱり常に満たされることっていうのはないですから。

──そういう意味でいうと、記憶も割とそれに近いですよね。「忘れられることが救い」というか。物凄く悲しいことがあったときに、その感情をその大きさのまま抱え続けて生きていたら、もう辛くてしょうがないじゃないですか。

久我:うん、壊れちゃいますよね。

──だから、「絶えず流れていってしまう」っていうことがある種の救いでもある。

久我:そうですね、記憶とかはまさにそう。やっぱり時間が解決するものってありますしね。……うん、読み返すとたしかに良い歌詞かもしれない(笑)。

──これは本ッ当に良い歌詞ですよ!素晴らしい。
で!私には「久我さんの詩のこういうところが好き」っていうポイントがいくつかあるんですけど、この曲の中にはそれがいっぱい入っているんですね。そのなかのひとつっていうのが、次の「何気なく誰かを悪く言うのは~」というくだり。

何気なく誰かを悪く言うのは 割と簡単な事だし
律儀に返ってくる痛みにもう 慣れてしまったかもしれない

──さっきまでの詩は、言ってみたら他人の物語を「悲しいなぁ」ってぼんやり眺めている感じだったんですね。でも、ここにきていきなりカメラが自分の方を向くというか。言葉が急に日常的になるじゃないですか。

久我:あー、たしかに。

──前半の歌詞に比べて、「何気なく誰かを悪く言うのは 割と簡単なことだし」って、すごく現代的なんですよね。それこそ、その辺の街で今も溢れているような言葉なので、この「物語」と「現実」との落差がすごいなって。『VESSEL』に限らず、久我さんの歌詞にはこういうのがたくさんあるんですよ。『星の歯車』とか、あとは『キーストーン』もそういう印象がありますね。

久我:キーストーン?そう?

──はい。「膝つくくらいには~」のくだりですね。それまでに歌われていたことから、一気に言葉が近くなる。

『キーストーン』
時には信じたら 膝つくくらいには
傷つくことあったね
でも起き上がれないほどじゃない
まだじゃない

久我:ああなるほど!身近にね。

──そうですそうです。すごく迫ってくる。いきなり自分の手元にピントが合うっていうんですかね。

久我:な~るほどねぇ。
……っていうのが?いい?ですか?

──イイ!そこが久我さんの良いところですね(笑)。
ちなみにこの「誰かを悪く言うのは簡単なこと」っていうのは、久我さんが普段からよく思われることですか?人に対してでも、他人から自分に対してでもいいんですけど。

久我:うん、これは昔から「まぁそうだよな」って思ってましたね。まぁ未熟だから、「あーあ、言っちゃいけないこと言っちゃったな」っていうことはありますけど。でも、そういうことをやってると後で返ってきますから、ほんとに世の中良く出来てますよね(笑)。

──あぁーそれはある程度歳を取ると感じることですよね。20代の頃はそこまで分からなくても、「子供の頃に言われていたことって、案外その通りなんだなぁ~」っていう。

久我:そうそうそう。合ってますよね。

──ここで歌っている「律儀に返ってくる痛み」っていうのも、まさに「言ってる側」の視点ですもんね。

久我:うん、そうですね。

──歌詞を読んでいて思うことなんですけど、久我さんは「人の痛み」について考えることが多いのかな?って印象があって。

久我:あぁそうですね、人間の本質みたいなものを書くのが好きなので、人の痛みはよく考えるかな……
うん、でもこの頃はたしかに色々もがいてたかもしれない。プライベートでもどうしようもない友達がいたんですよ。本当にどうしようもない人なんですけど、施設で育ったって生い立ちで「住む場所がない」っていうので、うちに住ませていて。

──え、この時期(2012年)にですか?

久我:うん、多分この時期じゃないですかね。
で、うちに住ませていたんだけど、やっぱりね、良くないことをして捕まっちゃったりするんですよ。自分の過信なのかお節介なのか分からないんですけど、このときは「なんとかしてあげたいな」って気持ちがあったんですね。でも、やっぱり人っていうのはそこまでできないと。「どこまで他人を支えられるか」っていう話もよくあるじゃないですか。例えば、鬱病の方の看病をしていた家族がその病に引っ張られちゃうとか。そういう状態でしたね。期待しても駄目だし、期待することが相手にとっては良くないことなのかもしれないって思ったり。そういったことを色々学んで体感している時期だったような気がしますね。

──そのお話を伺ったからっていうのもあると思うんですけど、そういう悲壮感というか、「自分の思うように人は動かない」っていう考えは歌詞にもよく書かれていますよね。それこそ『猫目の伯爵ウェンディに恋をする』もそうですけど。

久我:うん、そうですね。

──もうこの頃にはそういう部分での諦めをちゃんと持っている。でも、どこかで信じたい気持ちもあるっていう葛藤は伝わってきますね。

久我:あぁーでもこのときはまだ諦めてないんじゃないですかね。やっぱり期待して、信じていたんじゃないかな。「人間は変わらない」っていうのは頭のなかでは分かっているけど、「でもそうじゃないよね」とも思っている。そういう矛盾の部分が歌になってるのかな。

──これは私が勝手に感じていることなんですけど、『VESSEL』も『RECALL』も背景として戦時中っていうイメージがあるんですよ。スラム街とかソドムの様な秩序があまり保たれていない場所での愛の物語というか。

久我:あぁでもそう思ってくれると嬉しいですね。たしかにそういうのはちょっとイメージしています。

──おぉー(当たることもあるんだな…)。
で、次の2行!この部分が好きだっていう方、絶対多いと思いますね。

言葉は君にとってシガーの先につけた火で
ほんの少し時がたてば消えて後は 灰になるだけだから

──ここも私の中で久我さんが書かれる詩の好きなポイントなんです。
この「自分がすごく大切に思ってるものなんて、実は大したものじゃないのかもしれない」とか、「誰かに言ってもらえた宝物のような言葉も、それを口にした当人からすれば単なる気まぐれに過ぎなかったのかもしれない」っていう様なことをふと思ってしまうときの寂しさというか。「マイナスなポジティブ」って言ったらちょっと矛盾っぽいですけど、久我さんの詩にはそういう切なさがあるんですよね。例えば、『一輪』の「何に涙し何に喜ぶ〜」のくだりとか、『GREAT NONSENSE』の「必死に探そうとしてるものは〜」の部分もそうで。

『一輪』
何に涙し何に喜ぶ ちっぽけな居場所
たとえば君の世界のミルク
それくらいのもん

『GREAT NONSENSE』
必死に探そうとしてるものは
落としたら割れるティーカップ
くらいなものかもしれない

久我:あぁたしかにたしかに!そういうのは多いですね。価値の大きさというかね。

──そうですそうです。
『VESSEL』の「言葉は君にとって〜」ってところでいうと、これは割とマイナスな感情じゃないですか。

久我:うん、そうですね。

──「君はそのぐらいの気持ちで言った言葉なのかもしれないけど、僕にとってはそうじゃない」っていう気持ちが強く出ていると思うんです。でも、それとは逆で、この「ちっぽけなもの」というマイナスがポジティブに働く歌もあるんですよ。『夜間避行』の「モノクロのページは〜」のくだりなんかがまさにそうですね。

『夜間避行』
モノクロのページは
破れてなくなってしまったんじゃない
たとえばコーヒーを
こぼしたように滲んでるだけ

──「過去のものは、別に君から離れて無くなったわけじゃなくて、今は見えづらくなっているだけだよ」っていう。これはどちらかというとポジティブで。

久我:まぁそうですね、ポジティブですね。
『VESSEL』はポジティブじゃないかぁ〜(笑)。

──そうなんですよ。「言葉は君にとってシガーの先に〜」って詩は、「誰かを悪く言うのは、割と簡単なことだし」の後に続いているので、「主人公が相手からそういう言葉を言われたのかな?」って印象があるんです。相手に傷つくことを言われて、だけど、相手にとっては時間と共に消えてしまう、その程度のものに過ぎないっていう。

久我:うんうん、そうねぇ。たしかに。

──「悲しいけど、いいな」というか。じわっとするというか。

久我:言葉ってそういうもので良いんですよね。「おやおや?」って、本当はどういうことなのか分からない抽象的な文だけど、「なんかこの言葉って素敵だな」っていうのがあるじゃないですか。そういう風になっていたらいいなと思いますね。
あと、ここの「シガー」は単純に「煙草」としてもとれるんですけど、これは「葉巻」でもあるんですよ。煙草だと何もしなくてもそのまま燃え続けて根元までなくなりますけど、葉巻って吸い続けないと途中で消えちゃうんですね。だから、どっちのシガーかによって意味合いが変わってくるっていうのも良いなぁ〜って当時考えていた様な気がするなぁ。
うん、たしかにここの歌詞はちょっと気に入ってたかな。

──この一節はもう鉄板というか、久我さんっぽいなっていう印象がありますね。

久我:ただ、たしかにちょっと暗いですよね(笑)。

──暗いですね(笑)。
でも、そのミスマッチ感も良いんですよ。この曲に限らず、LIPHLICHにはリズムの熱さとメロディーの冷たさの差が激しい曲が結構あるので、久我さんはあんまり曲に引っ張られない方なのかな?とも思うんですよね。

久我:歌詞がってことですか?

──そうですそうです。

久我:あぁそうですね。他のアーティストでも明るい曲調ですっごいドス黒いことを歌っている曲が好きなんですよね。そのギャップというか。

──へぇーーー。
いやぁでも本当に素晴らしい詩ですよね。この一節は何回聴いても良いなって思います。

久我:うれしいですねぇ。

──実際のところ、久我さんにもありますか?「自分が大切に想っているものなんて大したことないのかも」っていうので、ちょっとしょんぼりしちゃうというか、がっかりする様なことは。

久我:ありますあります。それは永遠のテーマかもしれないですね。
自分のことでいうと、LIPHLICHでやっているこの音楽はものすごい価値があるものだと思っていますし、その価値を「素晴らしいね」と言ってくれる人ももちろんいますけど、最終的にそれがどうなるかっていったら母体数の話に絶対なるわけですよ。
だからね、最近よく考えるんですよ。「音楽をやっている人の引退ってのは一体いつなんだろう?」って。格闘家の引退ってなると、年齢や肉体的な問題があるじゃないですか。でも、僕らの場合は違いますよね。応援してくれている人が年齢と共に少なくなっていってしまっても、声はあるから歌うことは出来るじゃないですか。例えばですけど、最終的にお客さんが一人しか残っていないって状況になったとき、「それでもやりたい」と思うのか、「もういいや」なのか。そこでの感情が音楽に対する一番純粋なものだと思うんですね。

──うんうん。

久我:20代の頃はね、自分のために歌うんですよ。永遠と「自分のため」っていうのはもちろんあるんだけど、途中から「人のため」っていうのが入ってくるんですね。僕の場合だと、それは「メンバーのため」でもあるし、「応援してくれる人のため」でもあれば、「頑張りなさいよ」って言ってくれる「親のため」でもある。「じゃあいつまでやるんだろう?」「いつまで出来るのかな?」と思ったときの……そのー……なんの話でしたっけ?

──(まじか)……分かんなくなっちゃいましたね(笑)。

久我:わかんなくなっちゃった。ごめんなさい(笑)。

──ただ、今のお話に出てきた「ひとり」っていうのは、アーティスト側から見て、「お客さんが一人しか残っていなかったら自分はどうするだろうか」という意味での「ひとり」じゃないですか。それとは別で、ちょっと気になったことがあるんですけど、久我さんが今までLIPHLICHで書いてきた100以上の曲のなかで、「特定の一人」とか、「特定の日」のことを想って作った曲ってあったりしますか?

 

………(頭上を見上げ、たっぷりの間)

 

久我:あぁ~~~なんか1・2曲ぐらいは、「すっっっごいイヤな奴だな」っていうので。

──そっちか(笑)!

久我:ムカつきを歌にしたのはね、あった気がしますね(笑)。なんの曲だったっけなぁ〜。

──じゃあ、しんみりというか、「今思い出してもあの日は本当に悲しかったな」っていうのをそのまま書くっていうのは、今のところは……

久我:すくない……あ、『RECALL』ですね。

──あぁ!だから、「今はあの歌詞の想いのまま歌うのは結構しんどいかな」っておっしゃっていたんですね。

久我:そう、だからあんまり歌詞は……曲は好きなんですけどね。歌うのは難しいかな。

──なるほどそういうことだったんですね。以前にもお話したんですけど、私は『VESSEL』もそういうタイプの曲なのかなって勝手に思っていたんですよ。ここに書いた日のことを思い出すと辛くなってしまうからっていうので、のちに優雅なアコースティックアレンジで歌うようになったのかなって。でも、これは違うと。

久我:これは違いますね、違います。
だって、この歌ってすごい救いがあるじゃないですか。

──あるんですか?

久我:ないですか(笑)!?

──あるんですかねぇ、私にはちょっと分かんないですね。もしかしたら、希望の部分の歌詞が誤植で消えてるのかもしれない(笑)。

久我:いやいや、「いつか満ちるまでずっと注いでいるよ」って歌ってるじゃないですか。

──あぁたしかに。でもなんかなぁ……
私のなかで、サビの歌詞がちょっとずつ変わっていくのもこの曲のポイントだと思っているんですけど……

だから流れてしまうものでも ずっと注いでいるよ
渇かないように

だから流れてしまうものでも ずっと注いでいれば
枯れはしないだろう

今は流れてしまうものでも ずっと注いでいるよ
いつか満ちるまで

──始めは「流れてしまうものでも、渇かないようにずっと注いでいるよ」っていう、「変わらない愛」の様なものを歌っていますよね。でも、2回目は「流れてしまうものでも、ずっと注いでいれば、枯れはしないだろう」になる。最初の「決意」から「推測」に変わって、ちょっと想いが小さくなっているのを感じたんですよ。

久我:あぁ、なるほど。

──で、最後には「流れてしまうものでもずっと注いでいるよ。いつか満ちるまで」ってなるじゃないですか。私はここにちょっと狂気を感じてしまうんです。

久我:フフフ、そうですか(笑)?

──はい。主人公の狂気じみた愛情って言うんですかね。歯止めの効かなくなった愛みたいなものを感じるんですよ。相思相愛ではなくて、自分が一方的に相手を想っているだけで、相手は自分のことをそこまで懇意に思っていないというか。

久我:うんうん。

──そのせいでどんどん目的が変化していく印象を受けるんですね。最初は相手に依存していたんだけど、相手にその気がないと察した途端に今度は「注ぐ」という営みそのものに依存するようになったというか。

久我:アッハッハッハ、ひねくれてるなぁ~(笑)!
あぁーでもそういう人、いますよね。

──いるかどうかは分かんないですけど(笑)。
最初はメンテナンスみたいなもんだったと思うんですよ。渇かない様にちょっとKURE-556差すくらいの。それがいつしか相手を自分の想いでヒッタヒタにすることを目指すようになってきちゃってるというか。
ごめんなさい、こんな曲にしちゃって。

久我:いやー面白いですねぇ(笑)。

時の流れとともに1つ1つと増えて行った洞穴
埋めるのは時じゃなく 理想の中の不純物かもしれない

──この部分も、相手がもし自分に満たされようと思っている人間であれば、穴なんて増やさないだろうって思ったんですよ。で、この「穴」っていうのは相手を拒絶する気持ちによって空いたものっていうイメージがあって。

久我:ウフッフフフフッフフフ

──要は「満たされまい満たされまい!」として、どんどん自分のなかに穴を増やすことによって、相手の想いを逃がす様にしているっていう……感じ?

久我:コワッ!

──ウハハハ!でも、そういう見方をしちゃうんですよ(笑)。

久我:怖い人ですねぇこの人は。

──執着しているというか、苛立っているというか。「なんで俺の想いに応えないんだ」っていう怒りも感じる……

久我:俺はちょっとそういうタイプじゃないから理解できないけど(笑)。

──うわぁ、じゃあもう完全にミスですねこれは。

久我:いや、でもさっき「相思相愛」っていうワードが出たんですけど、相思相愛なのかって分っかんないじゃないですか。自分がそう想っているだけで、相手は違うかもしれない。だからみんな確証が欲しくて、「言葉にしてほしい」とか「何々してほしい」っていうのを求めるもので。そういうことを考え出すと、「愛ってなんだろう?」って思うんですよね。例えば、子供がいる方だったら子供への愛っていうのもそれは愛なんでしょうけど、じゃあそれが愛を知っている人なのかっていうと別にそういうわけじゃないじゃないですか。それはその人の愛であって、別の愛もある。だから、僕も未だに愛っていうのは何なのか分からないんですよ。だからね、こういう歌になっちゃうのかもしれないですね(笑)。

──でもあれですよね?私が今言ったような邪悪な歌ではないんですよね?

久我:そうですね。もっと綺麗ですよ(笑)!

──わぁもうこんなんばっかだなぁ……
今までにも
何度か「アコースティックバージョンが好き」っていうお話をさせていただいたんですけど、あのバージョンだと、この「時の流れとともに~」の部分って、久我さんの声がロー(低い)なんですよ。それまではファルセット気味のすごい優しい声だったのに、何故かこのCメロの部分だけはトーンが落ちるじゃないですか。だから、「ここは感情の声なのかな?」って思ったんです。

久我:いや別にそんな……そう??

──はい。他のところは相手に対して猫なで声じゃないですけど、好きな女の子と接するときの男の優しさが出ているんですよ(笑)。でも、この部分だけは明らかに違うんですね。もうあまりにも自分の想いが成就しないからっていうので、内側に流れ出した黒い感情がうごめいているというか。

宛てがう愛が 蜂の巣のような 君という容れ物から
流れていくけど 今はもう少し 好きにさせて

──ここの「好きにさせて」っていうのも、そういうイメージに繋がっちゃうんですよ。「俺の気持ちに応えられないんだったら、もう好きにさせろ」みたいな。

久我:でたでたでたでたァ!!(変質者扱い)
そういう歌もありますけど、これは違いますよ(笑)。

──タァーー!もう最初っからやり直したいなぁ。

久我:いやぁいいじゃないですか(怪笑)。

宛てがう愛に たまに混じった嘘と欲と不安が
少し詰まって ほらまた1つ ふさがったね

──ここもそんな印象ですね。「理想の中の不純物だったら、こいつの穴も埋められるかもしれない!今だ!嘘だ!欲だ!不安だ!投入しろー!!」って(笑)。

久我:ハッハッハ!嫌な奴だなぁ~(笑)。
いやーもっと分かりやすく答えを言ってるじゃないですか。「理想の中の不純物が穴を埋めて、もしかしたら満たしてくれるかもしれないよね」って。

──でも、その穴を埋めるのはあくまでも嘘と欲と不安?

久我:うん。

──純度が高すぎると流れていっちゃう、みたいな感じなんですかね?

久我:あぁーそうそうそう、そういうのはありますよね。綺麗すぎるもの・純度が高いものだと多分流れちゃうんですよ。液体と同じで、言葉とか人間っていうのもきっとそうなんですよね。本当なら、穴の空いていない器に注がれて満たされるのが良いんですよ。それが理想ですよね。子供だったらそれで良いのかもしれないけど、やっぱりどうしてもみんな何かしら歪んでいっちゃって穴が空くわけですよ。そうすると、その人に突っかかるものっていうのは液体じゃなくて、そこの中にある「何か」なんですよね。

──あぁーそれで言うと、久我さんの音楽はまさにそういう感じですよね。「純度が高い」って、言ってみたら何の変哲もないラブソングで、耳馴染みも良いし、スッと体に入っていくけど、それ以上は何も残らない。でも、久我さんの曲って結構ヒネてる部分というか、突っかかる部分が多いじゃないですか。「これってなんなんだろう?」とか、「こんなこと言うんだ……」みたいな。そういう違和感を一個一個見つけながら聴くから、ずっと心の中に残り続ける。それこそ、この曲もリリースから10年以上経ってますけど、私は未だに大好きで、ほぼ毎日のように聴いてますからね。

久我:なるほどなぁ。そういうところなのかな~。
たしかに昔は分かりやすいラブソングを聴いて、それに感動してる人っていうのは、器で言ったら穴が少ない人なんだなって思っていたんですけど、逆に穴がありすぎる人はありすぎる人で、「もう歌でそんなこと聞きたくない!」ってなって、かえって分かりやすいラブソングを好んでいたりもすると思うんですよ。だから、なんとも難しいですよねぇ。

──たしかにそういうのはありそうですね。
じゃあ、この「嘘と欲と不安」という「不純物」によって穴が詰まって、満ちるまで一歩近づいたっていうのは、久我さんにとってプラスというか、希望的な経過になるんですかね?

久我:きぼう……うーん……でも、結局注ぎ続けなきゃいけないんですけどね。
人間の「安心したい・安定したい」っていう欲があるじゃないですか。人はそういうのを求めるんですけど、いざそうなると今度は退屈になったりとかで、欲を求め出すとキリがないので、結局は注ぎ続ける必要があるんですよ。自身の話だけで言ったら、自分の好きなものを吸収し続けていれば良いんですけど、対相手にだったら「何か」を注ぎ続けないとダメなわけで。だから、穴が埋まって一時的に満ちたとしても、果たしてそれで良いのか?とも思いますね。

──あぁーじゃあこの歌って、久我さんの中では、どちらかというと相思相愛寄りというか、「相手は自分の気持ちを求めてくれている」っていう前提でスタートしているんですかね。それともどっちでもある?

久我:うん、どっちでもありますね。だから、そういう精神的なことを歌った唄でもあれば、戦争を起こしている国の中でのすごく限定的な唄でもあるんですよ。そういう国での話ってなると、最初の「パン」が生きるために必至なもので、「旗」は戦うための旗っていう風にも見えてきますよね。内戦が起きている国とか。

──たしかにたしかに(大納得)!
なるほどなー-ーなんかすごくピュアな良い歌ダッタナーー-。

久我:ハッハ。そうですよ。それに仮にさっき言っていたような歌だったとしても、「そうですよ」とは言わないですよ。演奏するときに印象変わっちゃうじゃないですか(笑)。

──たしかにイメージが(笑)。
哲学者のパスカルっているじゃないですか。彼は「人間は考える葦である」って言ったんですね。じゃあ久我さんはそれに対してどう言うかっていうのが、この歌には表れていると思うんですよ。「人間は、嘘と理想と欲にまみれた器である」って。

久我:うん、たしかにそうですね。

──だから、すごく哲学的な一曲だとも思うんです。ちょっと一曲だけで喋り過ぎだろって感じではあるんですけど(笑)。

久我:まぁでもシングルですからね。大事な曲ですから(優男)。

──ほとんどの方が「そんな風に聴いてねぇよ」と思われるかもしれないですけど、私がお話したような邪悪視点で一回聴いてみると、「あぁーなんかそういう風に聞こえなくもないかな?」とも思っていただけるんじゃないかと……

久我:うん、良いかもしれないですね。僕も聞いてて面白かったです(笑)。

──いや、ほんとにごめんなさい。

 

『淫火 -6 Degrees ver.-』

──2曲目は『淫火』のリレコーディングバージョンですね。これは特にそこまで大きくアレンジが変わっているわけでもなくて。

久我:うん、変わってないですよ。1stが完売したこともありますし、当時この曲がバンドで表現したいことでもあったので、リテイクしたって感じですね。前のはギターも自分で弾いちゃってたんで、明人君(前任のギタリスト)に弾いてもらって。

──いきなりレコーディングでドンッてやるのと、ライヴでやった後に録るのとでは心境的に違うものですか?

久我:まぁ楽っていうのはありますよ。録ること自体はすぐ終わりますね。通常の「出来上がってから録る」って流れだと、一回録って聴いて、また一回録って聴いて、「やっぱ違うな」って止めて、「こういう方向で歌い直そう」って決めてまた録って~っていう感じで、探りながらになっちゃうんですけど、もうライヴでやっちゃってる場合はそれがないですね。

──あぁーでもそこまで大きな差があるわけではないんですね。なんとなく、もう正解が見えてるからやりやすいな~くらいの?

久我:そうそう。それくらいのもんですね。

 

『Thread of Salvation』

──3曲目は『Thread of Salvation』。意味としては「救いの糸」。

久我:そうです。「救済の糸」。

さあ糸が垂らされた 遥か頭の上のまた上の空から
選ばせてくれる自由への道が
切れる基準は人の何の重さだろう
例え神様の気まぐれでも行こう

──これは、「蜘蛛の糸」(芥川龍之介著)とはまたちょっと違いますか?

久我:いや、モチーフは「蜘蛛の糸」ですよ。それを現代風に……まぁでも普通に「蛛の糸」っぽいですよねこれ(笑)。

──そうですね。ただ、ちょっと違うのが「見上れば先を行く人もあって」っていうところで。

見下ろせば後に続く人があっても
見上れば先を行く人もあって

──「蜘蛛の糸」だと主人公の上に人はいないじゃないですか。

久我:あぁそうそう。あれは糸が一本だけで、「欲をかいちゃいけませんよ」っていう教訓みたいなものですからね。これは、どういうつもりで書いたんだっけなぁ。

──「人間の在り方」みたいなところですかね?

久我:うん、そうですね。でも、これは分かりやすくないですか?『VESSEL』よりは。

──そうかなぁ……

憂う期待の雨音 頼りなく揺れる1本の救い
掴んだ後で感じた 糸が切れたあの人の想い

──この「掴んだ後で感じた糸が切れたあの人の想い」ってあるじゃないですか。それが最後のサビでは「糸が切れなかったあの人の想い」に変わるんですけど、この「あの人」っていうのは……?

久我:別に特定の誰かってわけじゃないですよ?糸が切れて落ちちゃった人と、切れなくてそのまま上まで行けた人ってことですね。捻りも何もなくそのまんまですよ。糸のぼって~上にも人いるし~下にもいるし~見渡したら周りにもいっぱいいるし~大変だコリャっつって。でも、糸があったら登っちゃうんだよねぇ人間っていう歌なんじゃないかな(笑)。

──(か、軽い……)
このCDに収録されている3曲は「欲」がテーマ
なんですかね。

久我:うん、そうそうそう。人間の欲求というか、「人間ってこうなっちゃうよね」っていう。だいたい「蜘蛛の糸」もね、ひどい話だと思うんですよ。仏様が一本だけ糸を垂らしてね、試す様なことをして~また落として~みたいな。

──ゲームを楽しんでますよね(笑)。

 

総括

──今回『VESSEL』『淫火』『Thread of Salvation』が一枚にまとまったシングルのタイトルが『6 Degrees of Separation』(意:六次の隔たり)になっているんですけど、どうしてこの言葉に繋がったんですかね?

久我:あ、それはただ単純に「広まってほしいな」っていうだけですよ。

──あぁ!この作品が?

久我:そう、それだけですほんとに。ほんとそれだけ。

──あぁぁぁ……そっかぁ……

久我:あ、またなんか変なことを(笑)。

──いやいやいや!シングルのタイトルとリードトラックのタイトルが違うCDって、この後のLIPHLICHにはそこまで多くないじゃないですか。だから、すごい逸れた意味があるのかなと思っていたんですけど。

久我:広まってほしいなぁって。

──『ペイ・フォワード』的な感じですかね。

久我:うん、「みんな広めてね」って(笑)。

──でも、これはセールス的にも成功しましたよね。ZEAL LINKは発売から3日くらいで全部在庫が切れちゃって、追加発注しても来なくて、メールでの問い合わせも多かったんですよ。初回入荷からすぐメーカー完売の案内がきたので、「何のための淫火リレコーディングだったんだろう」って(笑)。

久我:たしかにそれを報告されたときは嬉しかったんですけど、びっくりしましたね。MVも撮ってないですし、これといって特にプロモーションをした記憶もないんですよ。

──そうでしたよね。でも、「次の作品を予約しよう」と思うのって、言ってみたら過去の作品への信頼じゃないですか。「まだ知らない曲だけど、このバンドの新曲だったら聴きたい」と思ってみなさん予約するわけですから。実際に予約分だけでほぼ完売だったので、前作の『SOMETHING WICKED COMES HERE』を溺愛されている方が心待ちにしていたっていう気持ちの表れだと思いますね。

久我:そっかぁ。でも嬉しかったですね、あのとき。「もう完売したよ」って言われて、「やったー!」って。

──やっぱりライヴでもそうですけど、ソールドアウトって気持ち良いですよね。

久我:うん、嬉しいですね。
そうそうそう思い出した。それで、「じゃあ次は倍刷っちゃおー!!」みたいなことを『Ms.Luminous』のときに言ってましたね(笑)。

──たしかに『Ms.Luminous』は割と後の方までありましたね(笑)。

 

閉廷