──いやー曲の話となると余計に緊張しますね。
久我:僕もこの当時の曲の話だと、どこまで出来るか分からないですよ。
──それも怖いんですよ。「忘れちゃったなぁ」「それも忘れちゃったなぁ」ってなると(笑)。
久我:そうそうそう。だから、「このアルバムの話するんだなぁ」って分かっているんですけど、特に自分のなかでは復習しないで来ました(笑)。
──ハッハッハ(不安だなぁ…)
LIPHLICHのファーストアルバム『SOMETHING WICKED COMES HERE』ですね。これを初めて聴いたとき、本当にびっくりしたんですよ。作品の異質さに。
久我:うんうん。
──で、初っ端からこんなこと言うのもあれなんですけど、音質が良くないんですよね。
久我:良くないですね。うん、良くない。ゼンゼン気に入ってないですもんコレ。
──だからやめてくださいよそういうの(笑)。
でも、個人的にはそこがすごく良いんですよね。くぐもっているというか、全体的に埃をかぶっている様な音が作品にとても合っていると思うんです。その後、『STUMP+』で本作の収録曲が再録されて、それももちろん格好良いんですけど、「ちょっとクリア過ぎるかなぁ」って。だから、この音はこの音で大好きですね。
久我:まぁ思い出補正みたいなものがあるならー……あぁでもどれだけ聴いてないんだろうソレ。
──CDをですか?
久我:そう。CDを。
出来上がったときは嬉しくて嬉しくてすごい聴いてましたけどね。
──久我さんのバンド人生で初めてきちんとパッケージされた作品ですもんね。
久我:そうですね。
──ちなみに当時、親御さんには聴かせましたか?
久我:え~~どうだったかな~~。いや、これは聴かせてないと思いますね。多分その頃、あんまり親と仲良くなかったんじゃないですかね(笑)。
──意外ですね。久我さんってあんまり人と揉めるイメージがないんですよ。
この時期は特にですけど、久我さんがメインでバンドの舵を取られていたじゃないですか。サウンドワーク的な意味でもレコーディングのときに自分のなかにある音をメンバーさんに伝えて、「こう弾いて!こう弾いて!」って、ひとりひとりに指示しているイメージがあって。ワンマンバンドとまでは言わないですけど…
久我:あぁ、でもその時はそうだったと思いますよ。
──やっぱりそうなりますよね。渉さん(前任のベーシスト)も久我さんに声を掛けられるまではそこまでベースを本気でやる気はなかったみたいなお話をされていたので。外から見ていても、バンドの方向性やサウンドの正解が久我さんの頭の中にしかない時期っていう印象があったんです。
久我:うん。だって、その頃はたしかギターも自分で弾いているので。
──そう、ギターも久我さんなんですよね。それこそ会場限定盤で売られていた頃の『月を食べたらおやすみよ』のギターも久我さんだったじゃないですか。あの曲のギターがまた本当に格好良くて、ボーカリストが弾くギターじゃないっていう(笑)。
久我:元々ギタリストになりたかったんで(笑)。
──作品クレジットまで見ない方からすると、「あぁこれ久我さんが弾いてるんだ!?」って改めて驚かれると思うんですよね。久我さんのギターって変じゃないですか。それこそこのアルバムの曲でいうと『グルグル自慰行為』とか。Aメロの裏で鳴っているリフが歌のメロディーに寄り添うようでありながら、全然違う方へ行っちゃったり、またこっちに戻ってきたりみたいな感じで、総じて音の運び方が「変」なんですよ。
久我さん:そうですね。そういうギタリストになりたかったんです(笑)。
──正統派なギターヒーローじゃなくて、トリッキーなギタリストを目指されていたんですかね。
久我:そうですね。
──そこは、パートが変わっても変わらない部分なのかもしれませんね。
久我:まぁ格好良ければなんでもいいんですけど、まだボーカルをやろうと思っていなかった頃に考えていたのは、清春さんの様な絶対的なボーカルがいることを前提とした、残りのサウンドの部分なんですよ。例えば、黒夢とかSADSとかだと僕の中で結構ストレートなギターというか、激しいサウンドなんですけど…
──ちなみに久我さんが影響を受けていた頃の清春さんって、時期的にはどのあたりなんですか?ドヴィジュアル期を抜けたあたりですかね?
久我:あぁ僕はSADSの方だったので。『BABYLON』が一番好きでしたね。『THE ROSE GOD GAVE ME』とか。
──まさに思春期ですね(私と久我さんは一歳違い)。
このアルバムがリリースされた当時もアー写とかライヴでの煽りを見るたびに「めっちゃ清春さんだな」とは思っていたんですけど、こと曲や歌詞に関していうと全然清春さんっぽさを感じなかったんですよ。「清春さんはこんな歌詞書かないよなぁ…」って。
久我:それはもう、同じことやっちゃダメだなと思っていたんですよね。
歌詞はねぇ……(脳内遊泳)
──歌詞は本当にどこでも聴いたことがないというか、完全に「脚本」の世界で。
久我:うーん…でも思い出せないですけどね。「このとき何を考えて書いたんだっけなー」って。少しずつこのアルバムを聴いてくれる方が増えていって、ファンの方からお手紙をいただいたときに「歌詞が物語調なのが良いです」って言われて初めて「そうなんだ?」って思ったくらいですからね。「え〜?そうなの~?」みたいな。
──ちなみに当時の久我さんはどんな戦略を考えられていたんですか?このアルバムひとつ取っても「こういう世界観で今後もずっとやっていこう!」と思っていたのか、とりあえず今できているものを詰め込んで、ライヴのテキストとして「こういう曲がありますよ」っていうのをお客さんに提示したかったのか…
久我:あぁーいやいやもう何の考えもなかった(笑)。
ただただ「素晴らしいものができた!こんな音楽やってる奴、他にいないだろ」っていう感じでしたね。ライヴの経験もそんなにないので、「こんだけ良い音楽作ってるなら、もう俺たち無敵でしょ」っていう勘違いみたいなものがあって。音は悪いですけど(笑)。
──音は最高ですよ(笑)。
じゃあ当時はイケイケだったんですね。でも、それは観ていても伝わってきましたよ。”猪突猛進”じゃないですけど、勢いのままにずっと駆け抜けている状態っていうのを私が特に感じたのは『GRATEFUL NONSENSE』が出たときなんですよ。もう本当に「ヤバいな」って思って。「このバンドもう…どうしちゃったんだろう…」みたいな。
久我:どうしちゃったんだろう(笑)?
──FFでいう「バーサク」みたいな状態ですかね。完全に××ってる状態だったんです。
久我:バーサク状態(笑)。
──ファンが全く見えていないというか、「君らはたまたまそこにいるから聴いているけど、別に君らに聴かせるために作ってるんじゃないよ」っていうスタンスがこの『SOMETHING~』から『GRATEFUL~』までの期間、ずっと続いていたと思うんです。あの当時ですらそんなバンドっていなかったので、それがすごく格好良かったんですよ。
久我:うーん、割とでもキャッチーに作った作品ですけどね。
──全然キャッチーじゃない(笑)!
なんなら、LIPHLICHのなかで一番キャッチーじゃないですよ。
久我:あれぇ(笑)?
──実際にあの頃のLIPHLICHのイメージがガンッと頭に残っている方って多いと思うんですよね。特にライヴで観ていた方は、「なんかすごいバンド出てきたな…」って。激しいだけ、楽しいだけのバンドはいくらでもいると思うんですけど、観た後唖然とさせられるというか、「なにを観たんだか分からない」っていう。しかも、あのときの久我さんって、煽り方がめっちゃヤンキーだったんですよ
久我:えええええ?そうでした?
──はい。焚きつけるというか、勢いが物凄かったんです。暴言とまではいかないですけど、「聞かせろオラァァアアア」って感じで、ずっと客席を煽っていたんですよね。どんどんキャラが鋭利になっていくというか、暴力性を帯びてきている時期。『GREAT NONSENSE』のMVの久我さんって、表情がなくて、すごく淡々と歌っているので冷たい印象があるじゃないですか。でも、実際ライヴに出てみるとドーンッ!みたいな。
久我:そうだったかなぁ〜。でも、あのときは多分余裕がなかったんじゃないですかね。必死だったんじゃないかなぁ。
──でも、当時ってお客さんがボンッて増えた時期だと思うんですね。『MANIC PIXIE』が完全に浸透しきったあたりで。ファンのノリとかも異常でしたよ。
久我:たしかにその辺から少しずつ増えたような気がしますね。
──『ユマニテ』の様なアッパーな曲でワーッとフロアを沸かせるだけ沸かせて、最後に『MANIC PIXIE』で全部さらっちゃうみたいな。
久我:あぁ〜そうでしたそうでした。
──まだ久我さんが『MANIC PIXIE』に飽きていなかった時代ですね(笑)。
久我:そうですね(笑)
だから、あの頃は必死なのと「やってやるぞ」っていうので、ほんと”猪突猛進”みたいなときでしたね。たしかに。
──はい。っていうのもあって、『GRATEFUL NONSENSE』までが私の中でLIPHLICHの「第一幕 -初期衝動-」っていう認識なんですよ。
久我:たしかにたしかに。そうかもしれないです。
『リフリッチがやってくる』
──それにしても、この曲の「一曲目感」すごいですよね。やってくる感じというか。
久我:まぁ「やってくる」だから。そのまんまですね(笑)。
──アルバムのタイトルとなっている『SOMETHING WICKED COMES HERE』は「邪悪な何かがやってくる」という意味ですけど、「じゃあその”邪悪な何か”ってなに?」ってところで、1曲目にいきなりネタバレする感じじゃないですか。「リフリッチがやってくる」って。「”邪悪な何か”って、僕らのことだよ~」みたいな。
久我:うん、そうですね。
──そういえば、この間、幼稚園か保育園で鼓笛隊をやっていた頃のお写真をTwitterに載せられていたじゃないですか。
久我:あぁ載せましたね。
──私は、それを見たときに『リフリッチがやってくる』を思い出したんですよ。「もしかしたら、この頃の血が今でも流れているのかも」って。思い返せば『MANIC PIXIE』も『PAPIPUPE行進曲』もそうですけど、マーチングっぽいリズムのなかで唐突に笛が鳴って一気にテンションが上がる構成の曲が結構あるよなぁって。
久我:あ!ねぇ!そうかもしれないですね。
──「”秩序が保たれているなかで、確かに狂っているもの”を外から描く」というのが久我さんのキャラクターだと思うんですね。2曲目の『猫目の伯爵ウェンディに恋をする』もですけど、現代社会を俯瞰から描いているじゃないですか。組織のなかの一人として書いているというよりも、その人たちにとっての常識を外から見て、ちょっと笑うみたいな。
久我:まぁそうですね。性格悪そうですよね、この伯爵は(笑)。
──その性格の悪さというか、斜に構えた感じ。ニヒルっていうんですかね。そういうものに久我さんらしさを感じていたので、このアルバムでその印象が染みついちゃったんですよ。
久我:あぁなるほどね、でもそうだな。ちっちゃいときに見たり聞いたりしたものに影響されている部分はあるかもしれない。やっぱり記憶に残るじゃないですか。トラウマだったりとか、「あれ面白かったな」とか。
そうそう、この作品を出す前に曲作りをしていたんですけど、やっぱり何かに似ているというか、パクったような曲しか出来なくて困ったんですよね。元々ギターをやっていたので、結局練習で他のバンドのコピーをするじゃないですか。例えば、14歳から18歳までに4年間ギターをやって、そこで作曲をしようとしたら、この4年の内の情報量からでしか曲を作れないので、ほんとにどこにでもある曲しか出来ないんですよ。そこで「これじゃマズいな」と思って、4・5歳頃に観た映画とかで、(記憶に)すごく残っているものを「あの映画なんだっけ?」って母親に聞いて、また見返したりとかして。あと、ちっちゃいときにアンデスの音楽が好きだったので、実家に帰ってそういうのも引っ張り出して、「あぁこんなんだったなぁ」みたいに、当時好きだったものを一回意識して聴き返す様にしたんです。そうすると、4歳ぐらいから今現在までの積み重ねになるじゃないですか。そこにギターが途中から入ってくるだけ。そうしたら、結果この作品になったって感じですね。だから、鼓笛隊をやっていた頃の記憶も無意識に出ていたのかもしれないですね。
──ちなみに鼓笛隊の記憶は良い思い出ですか?
久我:もうダイッキライでした(笑)。
──(笑)
いやでも、この幕開けは素晴らしいですよ。今でも『リフリッチがやってくる』ってライヴで演奏されるじゃないですか。そこでファンが未だに掴まれている感じが観ていて分かるんです。1曲目がこれだったときの「あぁ…これから始まるんだ…」っていうあのワクワク感は特別ですよね。あとは節目というか、LIPHLICHにとって境になるライヴで1曲目に選ばれる印象も強くて。それこそ竹田さんが加入されたWESTのライヴもそうでしたけど。
久我:「リフリッチがやってくる」ですからね。
──そうそう。何度でもやってくる!みたいな。
久我:まぁスーッと出来て、「あぁ1曲目っぽいじゃん」っていう感じだったんですけどね(笑)。
──そうだ。ずっと気になっていたんですけど、『リフリッチがやってくる』って、歌い出しのちょっと前に久我さんが「ニャニャニャニャニャァ~~♪」って叫ぶじゃないですか。あの部分って歌詞はあるんですか?
久我:あぁ、あれ?「ほらあな」って言ってるだけですよ。「ホラーな」と「洞穴」のダブルミーニングで。
──あ!ホラアナって言ってるんですか!?多分それって誰も知らないと思いますよ。歌詞にもないので。
久我:歌詞にはないですね。載せるものでもないなっていうだけですよ。
──ホラアナかぁ……へぇ~~~(大納得fes.2022)。
久我:滑舌わるいですからねぇ~(笑)。
──いやいや(笑)。
このアルバムの印象として、例えば『猫目の伯爵~』もそうなんですけど、花園神社の「酉の市」ってあるじゃないですか。日本に残ってる唯一の見世物…ってあれ?まだ酉の市ってあるのかな?
久我:まだあるんですかね?一回だけ見たことあります。
──ああいうのとか、あとは丸尾末広さんの『少女椿』とか。そういった「見世物」のイメージって分かりやすいと思うんですよ。レトロでちょっとグロテスクというか。でも、LIPHLICHの歌っている「見世物」ってそれとは全然違って、すごく現代的というか…
久我:もうちょっと洋風なのかな?昭和レトロ、エログロナンセンスとかそういうのよりは。
──あぁそうですね!だから、そういう小奇麗さみたいなものがすごく新しいなって。
『猫目の伯爵ウェンディに恋をする』
『リフリッチがやってくる』
サーカスがやってくる 退屈さらいに
たとえ抗おうとも きっとその心ばらばら
サーカスがやってくる 退屈さらいに
また一人捕まった あなたは逃げ遅れないでね
──1曲目の『リフリッチがやってくる』には「サーカスがやってくる 退屈さらいに」って歌詞があったんですけど、ここで私は「見世物小屋が東の街からやってきたよ~」って情景を頭に植え付けられたんですね。でも、この『猫目の伯爵~』へ流れたときに「実際に動かされているのは自分たちの方だった」ということに気付かされたような印象を受けたんです。「見世物って俺たちのことだったのか」みたいな。
猫目の伯爵はその目から好奇の舌を出す
東の街から人間どもの見世物小屋が来る
麗しいウェンディ羽付き帽子を取ってくれないか
本日の目玉は『IT社長が火の輪をくぐる』さ
久我:なるほど。たしかにたしかに。
──ちなみにここに出てくる「ウェンディ」というのは、のちにLIPHLICHファンの総称になるんですけど、この当時から「ファンの呼び名ほしいな」とは思われていたんですか?
久我:いや、なかったですね。それでずっとやっていますけど、今にして思えば「どうせいなくなるんでしょ?」って歌ですしね。なんとも複雑な…
ウェンディ何処に行くのだね
どうしてそんな目で僕を見る
何にも言わずに出て行くのかい
しょうがないか だって君も 人間だから
──たしかにファンからすると複雑ですよね(笑)。
久我:「おぉ?」っていうね(笑)。
まぁでもウェンディは、ピーターパンに出てくる女の子ですしね。
──ピーターパンから離れていっちゃうあのウェンディですか?
久我:そうそう。それも掛かっています。猫目の伯爵は大人になれないので、ずっとピーターパンなんですよ。だから、「(ファンに対しても)きっとみんないなくなるでしょ」って。そういうことは当時からぼんやりと思っていたんですよね。例えば引っ越したりとか結婚したりとかで生活が変わって。「でも、そういうものだから」みたいな。
──じゃあこれはバンドマンとしての思考がそのまま出ている…?
久我:うん、それも入っていますね。
多分『猫目の伯爵~』を作ったときにはまだファンの方なんていないのに、いる前提で書いていますからね。で、「どうせいなくなるものでしょ?」って。
──わぁー…分かります。私なんかは未だに人様に対してそういう考えを持っていますよ。
久我:ピーターパンシンドローム(笑)。
でも同じですよ。僕もそう考えていたんです。歌詞でも「どうせいなくなるじゃない」って言ってますもんね。
──最後に言ってますね。まだ(ファンなんて)出来てもいないのに(笑)。
久我:そう、できてもいないのに(笑)。
──付き合ってもいないのに、もう別れたときのことを考えてるみたいな(笑)。
久我:そうそうそう!とんでもないですよコレは(笑)。
見てごらんウェンディ
顔だけセレブが玉から落ちた
ほらその上では絵描きが綱から足踏み外した
これは痛そうだ ひきこもりが投げたナイフが教師に刺さった
手慣れたもんだね 『危険がお好きなIT社長が火の輪をくぐる』さ
──でもやっぱり久我さんの歌詞って面白いんですよね。
「危険がお好きなIT社長が火の輪をくぐる」っていう、この日の目玉の演題があるじゃないですか。これ一つ取っても普通に考えたらこんなワード出てこないんですよ。当時の私は歌詞カードを見ないでずっと聴いていたので、完全に空耳扱いしていたんです。「この部分、何回聴いても”IT社長が火の輪をくぐる”って聞こえるな」って。
久我:そのまんまだった(笑)。
──久我さんの歌い方は独特なので、「まぁそういう風に聞こえることもあるだろう」って聞き流していて、それから半年くらい経ってから歌詞カードを読んでみたら、「あ!合ってたんだ!?」って。
久我:これはでもちょっと失敗しましたね。「IT社長」っていう言葉は。
──そうなんですか?
久我:「IT社長」なんて、今はもうあんまり言わないじゃないですか。そのときだけにしか通用しない言葉って、なるべく使わないようにしているんですよ。
──あぁ「着メロ」とか…
久我さん:とかとかとか!
昔のアイドルの歌とかだと、いっぱい出てくるじゃないですか。「その頃を思い出して懐かしい」っていう良さもあるんですけど、自分はなるべく使いたくないなって思っているので、失敗しましたね。ちょっとここだけ。
──それでいうと、LIPHLICHってアレンジ力がすごいじゃないですか。「もう原曲とどめてないんじゃないか」ってくらいに既存曲をアレンジすることも多くて。
久我:そうですね。
──そのときに「ちょっと歌詞変えようかな」とは思われないんですか?やっぱり歌詞はそのまま活かしたいっていう感じなんですかね。それこそ現代バージョンとして、「IT社長」の部分を変えても良いと思うんですよ。
久我:あぁ~それは特にないかな。でも、『MANIC PIXIE』だけちょっと変えましたよ。『MANIC PIXIE-RERUN-』で録り直したときに。
──じゃあこれに関しては頑なに変えないってわけじゃなくて、たまたまこのままでいるだけっていう状態ですかね。
久我:(歌詞の)ハマリがねぇ……変えるとしたら何社長でしょうね次は(笑)。
──あとそうそう、私は伯爵とウェンディの関係性もいまいちよく分からないんですよ。
久我:あぁ~~~どうなんでしょうね(作者不在笑)。
──私のなかではですけど、伯爵がウェンディの隣に座ってショーを案内している様な映像が浮かぶんです。「見てごらんウェンディ」と言いながら、「顔だけセレブが玉から落ちた」「絵描きが綱から足踏み外した」って案内しているので、「ほらアッチ見て!コッチ見て!」って、ウェンディの視線を誘導しているというか。元々仲が良いふたり、顔見知りな二人なのかなって。でも、その距離感が上手く掴めないんですよね。
久我:あぁ~僕のイメージだと、猫目の伯爵がサーカスを仕切っている支配人で、そのサーカスでは人間が動物の様になってショーをやっているんですよ。それを外視点から猫目の伯爵が見ている。その頃のウェンディはまだ10歳くらいのちっちゃい女の子なんですけど、そんな子供に人間どもの世界を見せて調教しているみたいな。悪い方向へ悪い方向へ教え込んで、自分の理想に育て上げようとする伯爵っていう感じですね。光源氏のような。
──思ってたよりもヤバい奴ですね。
久我:っていうのを想像しながら書いていましたね。でも、人間はいずれ大人になって絶対離れていくからっていう。そういう「悲しい伯爵」みたいな歌詞ですかね。
僕はジブリが好きなので、当初は『耳をすませば』に出てくる猫の置物の「バロン」をイメージしたんですよ。でも、そいつはすごい紳士で「お嬢さん、さぁ行こう!」みたいな感じのキャラなんですね。それだとちょっと普通なので、「もう少し性格悪い奴が良いなぁ」って思って考えたのが猫目の伯爵なんです。
──へぇーーー。ちょっと気になったんですけど、それって久我さんご自身の元々のキャラクター性からくるものなのか、それともキャラクターとしてそういう性格の奴が好きだから演じているのかでいうと、どちらの方が強いんですかね?
久我:あぁ~どっちが強いかなぁ……伯爵に関しては演じてる方かな。あの頃は素を出すのがただ恥ずかしかったんだと思いますね。歌で「I LOVE YOU」とか「今年も桜が綺麗だね」とか歌う様なもんで(笑)。とにかく「人と違うものを歌いたい」という想いが強かったっていうのもあるから。
──なるほど。やっぱり個性第一という考えが強かったんですね。
私はジブリが分からないのでそのバロンという猫を知らないんですけど、この伯爵ってスマートに見えて結構どんくさいイメージがあるんですよ。歌詞の情景を思い浮かべたときの映像の感じっていうんですかね。例えば、「ひきこもりが投げたナイフが教師に刺さった」っていう部分があるじゃないですか。これもイメージ上の映像が8bit的というか……ファミコンの『魔界村』って分かりますか?
久我:分かりますよ。
──あのゲームでナイフを投げて敵に届くまでのスピードがあるじゃないですか。あのぐらいの感じ。スピード感がないというか(笑)。
久我:スピード感(笑)。だって僕もスーファミ世代ですもん。『超魔界村』やってましたもん。
──スーファミで言うと、『ストリートファイターII』のガイルが出すソニックブームの速度ですね。あんなの普通に避けられるじゃないですか。
久我:遅いですよね(笑)。
──あの感じのレトロ感って、個人的に大好きなんです。昭和独特のじっとり具合。そこに音の悪さも相まって「いいなぁ~」って思うんですよね。この当時のヴィジュアル系って、AメロBメロがギャウギャウシャウトで、サビになったら一気に開けるみたいな曲が多かったんですよ。
久我:あ~~多かったですね。
──そのなかで異質だったんです。ゆっくりしている世界というか、全然急いでいない世界っていうのが珍しかった。
久我:たしかにねぇ。
『グルグル自慰行為』
──これも結構××ってる曲ですよね。歌詞はなりゆきまかせというか、思い浮かんだものをワーっと書いたものですか?
久我:これはね、なりゆきまかせで、たしか徹夜したんですよ。スティーヴ・ヴァイっていう有名な変態ギタリストが「3日間寝ないでギター弾いたら良い感じになった」って言っていたのを真に受けて、「3日間寝ないでやってみよー」って。3日までいけたかどうかは覚えてないんですけど、徹夜して寝不足で作りましたね。
──シラフで書かれたんですか?アルコールは入ってない?
久我:入ってない入ってない。
──今改めて思い返してみて、「そうしなきゃ書けなかったな」って感覚はありますか?
久我:うん、ありますね。だってよく分かんないですもんねコレ(笑)。
つまらない予定調和 ブーンと突き抜けるような
カラフルなパラソルを差して回して行くよ
暗いガーデンの空と君とかがり火焚いて廻る
アジテーターが笑う 試されても廻る
──たしかにほぼ意味不明(笑)。
「ハーメルンの笛吹き男」ってあるじゃないですか。あれっぽさはちょっとありますよね。
久我:あぁなんかありますね。でも、この曲に関しては、そんなに深い意味はないかな。感覚派な歌詞。
あれですよ、あの~『ねじ式』っていう漫画。浅野忠信さん主演で映画化されていて、最初にそれを観てから原作を読んだんですけど、あの作品も作者が夢の中に出たものをそのまま描いたらしいんですよ。ストーリーもよく分かんないけど、それが妙に有名になっちゃったみたいな。この曲も多分そういう感覚で書いたものですね。ぐにゃぐにゃしたものがそのまま書き連ねられているみたいな。
──頭がグニャグニャした状態で作ったのは歌詞だけですか?曲も?
久我:歌詞だけですね。
──むしろ曲の方も大分イッちゃってますけどね。
久我:たしかにそうですね(笑)。
──この曲を聴いて思ったのが、Bメロの前(0:54~)にこの曲を象徴する様なフレーズが流れるじゃないですか。あの部分を聴くと、頭の中に『ファイナルファンタジー』のモーグリとかチョコボが出てきちゃうんですよ。RPGの音楽っぽいというか。
久我:あぁ~わかりますわかります!
RPGの音楽には大いに影響を受けていると思いますよ。
──RPGお好きなんですか?
久我:うん、やってましたよ。『ドラゴンクエスト』も『ファイナルファンタジー』も。
──そうなんですね。この曲に限らず、LIPHLICHの音楽を聴いていると「ケルト音楽っぽいな」って思うことがあるんです。RPGでいうと、「さぁ冒険に行くぞ!」っていうときに流れる雄大な曲があるじゃないですか。それとは違って、怪しいエリアに潜入したときに流れる様な、そういう音楽を彷彿とさせられるというか。
久我:あぁ~~~でもやっぱりそうなんじゃないですかね。『ファイナルファンタジー』でも爽やかなフィールドの音楽じゃなくて、洞窟の怪しい音楽とかがすーごい好きだったんですよ。だから、やっぱりそういうのが出ているんでしょうね。
──久我さんが幼少期にお好きだったという「アンデスの音楽」というのが私はよく分からないんですけど、それは爽快感がある曲なんですか?
久我:LIPHLICHの曲で言うと『コンドルとクインテット』とか、『LOST ICON’S PRICE』の感じっていうのかな。あの民族感は、日本人の琴線に触れやすいイメージがあるんですよね。
──たしかにRPGの音楽ってそうですよね。
LIPHLICHはああいうポップでちょっと不気味で可愛いフレーズを使うところが本当に面白いと思っていて、言ってしまえば、AメロからBメロへ自然と転調させることも出来るわけじゃないですか。そこに敢えて「ん?どっから聞こえてきたんだ?」って音が飛び込んでくる感じ。
久我:そうですね。だからこれは「感覚派の曲」としか言えない(笑)。
だって、暗い……ガーデンの……「ガーデンの空」ってなんでしょうね。庭の空ってなに?
──たしかによく分からない(笑)。
それでいうと『GRATEFUL NONSENSE』に入っている『ピンナップ・タンバリン』もそうですよ。私は未だにあの曲をイントロから終わりまでまったく意味不明なまま聴いてますから(笑)。
ただ、「パラソル」とか「タンバリン」とか、久我さんはそういう単語がお好きなのかな?とは思いますね。普段そんなに頻繁に触れるものではないけど、誰しもの頭にのこっているものというか。パッと物のイメージは湧くけど、どこか感覚的なモノ。感覚的な物体っていうんですかね。
久我:あぁ~でもそういう歌はいくつかありますね。
あれですよ、ベンジー(浅井健一さん)にも「よく分かんねぇなぁこの歌詞」みたいな曲がよくあるじゃないですか。「分かってもらおうというよりは感覚で思いついたものを並べて書いている」って、昔インタビューで言っていて、それを読んだときに「あ!それでいいんだ」って思ったんですよ。で、「それでいいんだ」と思ったら、こうなるんですね(笑)。
両の耳から入ってきて
頭の中に上ってきて
グルグルリ グルグルリと
案外気持ちよかったりして
──感覚的とはいっても、この「両の耳から入ってきて~」のくだりは、「LIPHLICHの音楽」を指しているのかな?と思いましたけどね。LIPHLICHの曲って、当たり前に耳から入ってくるものですけど、頭のなかに映像が浮かびあがってくる曲が多いんですよね。だから、その一連の流れが「案外気持ち良かったりしてね」みたいな。そういうイメージが私のなかであったんですけど。
久我:あ!いいじゃないですか。
──それにしましょうか(笑)。
『淫火』とかもそうなんですよね。「これ、LIPHLICHのライヴのことなのかな?」って。
久我:あぁ~『淫火』はね、歌詞の出来上がりが決まっていますよ。成り上がりというか、出来た理由が。
──じゃあそれは『淫火』のときにじっくり聞かせてください。
『僕らの使い捨て音楽』
──もうこれは単純に性格の悪い歌(笑)。
久我:たしかにそうですね(笑)。
君らの使い捨て音楽
そろそろ賞味期限が切れそうなんじゃないか
手を加えて騙しましょか
誰もくわえても気付く程 舌が肥えちゃいない
──「君らの音楽、使い捨てなんじゃないの?」っていう問題提起の曲ですね。
この歌詞もある程度LIPHLICHが認知されて、「久我さんはこういう人」というイメージがシーンに広まったうえで歌うなら分かるんですけど、「はじめまして」の段階でこれですからね(笑)。
久我:フフフ。
──百歩譲って、「君らの音楽はそろそろ賞味期限切れなんじゃない?」って言うならまだしも、もうハナから「使い捨て音楽」って言ってるじゃないですか。その上で更に「賞味期限切れなんじゃない?」って、皮肉のレベルでいったらかなり高いところにありますよ。
久我:でもこれ、結構事実じゃないですか?
──たしかにたしかに。でも早いんですよ(笑)。
久我:はやいか(笑)。
──いきなり幕が開いて出てきてこれって。
久我:だから自虐も込めて「僕らの」にね「”僕らの”使い捨て音楽」になっているわけですけど。
──でも、これもちょっと卑怯ですよね。最初に「僕らの」と言うことで免罪符になっているというか、後半で「はい、じゃあ次は君らの番ねぇ~」って腕まくりしてる感じがあるじゃないですか(笑)。
久我:そうかもしれないですね(笑)。
──『嫌いじゃないが好きではない』もそうなんですよ。これが「好きではないけど嫌いじゃない」だったら、ちょっと良いじゃないですか。
久我:そうですね。
──「あんたのこと好きよ」と「あんたのこと嫌いじゃないよ」には違う良さがある。でも、「嫌いじゃないが好きではない」って、もう救いがないんですよ(笑)。
久我:(笑)たしかにな~…
──こういう言葉の順序付けも面白いんですよね。久我さんは無意識にやられているのかもしれないですけど。
久我:うん。これは「音楽なんてそんなもんだ」と思っている事実をそのまま書いただけですね。世に出ている人でこういうのを歌う人って結構いるじゃないですか。それをまだね、始まったばかりで…
──まだ産声の段階ですからね。首すわってないですから(笑)。
でも、このあたりのメッセージって、久我さんがずっと歌ってきたものではありますよね。
久我:うん。そうですね。
──「君らに僕らの音楽が分かるのぉん?」って、ちょこちょこくすぐってる感じというか。それこそ『My Name Was』にもそういうイメージがあるんですよ。
久我:ん?マイネームワズ?
『My Name Was』
人の数だけ答えもあるし
そんな事よりも君の名は?
名前も顔も知らない人の指先が問う
君の名は?
──「ごちゃごちゃ言ってるけど、そもそも君だれ?」みたいな(笑)。あくまでも私の勝手なイメージですけどね。あとは『飽聴のデリカテッセン』もですし、もっと言うと『ミズルミナス』『特例Z』もそうですけど、「分からないんだったらいいよ」っていう精神がずーっと昔から続いているというか。
『ミズルミナス』
口で言わなきゃ分からないのね おバカさんよね
ついに口で言ってあげたのに 分からないのね
『特例Z』
特例じゃない 私に星になれと言わないで
どうしたらいい 分かるはずないじゃない
あなたのその偶像にも勝てないなら(終わり)
今すぐに豹になって お帰りください
『飽聴のデリカテッセン』
飽聴のデリカテッセン 飽調のレトロエッセンス
予期できる君の範疇もはや 千切りにして
美味しい思いがしたいならば 他当たれ
まだ耳が空いているなら 他当たれ
久我:あぁそうですね。たしかにそうだなぁ。
──『特例Z』は割と直接的っちゃ直接的じゃないですか。「君の思い描いている偶像に私が勝てないんだったら、もうどっか行って」みたいな。
久我:そうですね。ほんとにそうです。
──そういうメッセージが一番キツく、直接的に出ているのが『僕らの使い捨て音楽』だと思うんですよね。なんのオブラートにも包まれていないというか。
久我:ほら、やっぱり若いからですよ(笑)。
──あと、これも先走ってる感じがあるじゃないですか。「まだファンいないのに」みたいな(笑)。
久我:そう、まだいないのに(笑)。
──でも、この被害妄想が今になってちょっと映えるというか、キャリアを積んできたからこそ聞こえ方が変わってくる部分があると思うんですね。それこそ、この後の『RECALL』もそうですけど、この曲って私のなかでめっちゃ悲しい曲だったんですよ。
久我:うん。
『RECALL』
貴方はそう 見ていなかった あれも これも 何も
私は ただ 見て欲しかっただけ ただ それだけ
さよならは届かないね 何も 何も 感じないの?
少しだけ 悲しくなるかもね ただ それだけ
──でも、ライヴで聴いたときに久我さんがすごく気持ち良さそうに歌われていて、そこで印象が変わったんです。歌詞のメッセージとはまた別で、純粋に「良い歌」だなって。
久我:あぁ~たしかに歌詞はね……
書いた当時のままで歌うとなると、歌いづらいですね今は。ただ、歌いづらいけど、曲は良いから歌うみたいな……あれですよ、カラオケで歌ってて「気持ちいいな~」ぐらいの感じ。
──大分重いですけどね。
久我:そう。作ったときも重~い気持ちだったので、そのままでいるとこの曲はできなくなっちゃうんですよ。今。
──でも、『RECALL』が『僕らの使い捨て音楽』と『淫火』の間になかったらって考えると結構恐ろしいんですよ。ただのヤバいバンドみたいな(笑)。
久我:そうなのかなぁ(笑)。
──だって、『グルグル自慰行為』→『僕らの使い捨て音楽』→『淫火』→『嫌いじゃないが好きではない』ってヤバくないですか?一般道からどんどん外れていってるというか。
曲のメッセージは悲しいですけど、『RECALL』は歌モノなので聴いていると「わぁ素敵~」ってなるじゃないですか。これがなかったら本当にマニアックなままアルバムが終わっちゃう(笑)。ちなみに曲順って、かなり考えられましたか?
久我:うん。結構考えましたね。「聴きやすい並びに~」って。物語性とか歌詞のこととかは考えずに聴きやすい流れで。まぁ1曲目は『リフリッチがやってくる』って決めてましたけどね。
『淫火』
今にもしゃぶりつきたい 香りに侵されて
淫火に飲み込まれた play you play me
境目の上に立っている偉そうな門番がこうほざく
『何度でも味わいたいならまたおいで』
──先程お話したことではあるんですけど、この曲は「LIPHLICHのステージみたいだな」って思うんですよね。「何度でも味わいたいんだったら、また此処に来て」というライヴへのお誘いというか、「此処に来たら何度でも魅せてやる」という気概を感じたんですけど。
久我:これはね、歌としては「LIPHLICHのライヴに何度でもおいで」っていう風にもしているんですけど、当時なにかのアングラなパーティーショーへ遊びに行ったんですよ。いろんな出し物をやっている人たちがいて、主にフェティッシュな……ブタさんになってる男性とかもいたからSM要素も入ってるのかな……
あれですよ、よくある「フェティッシュイベント」みたいなのってあるじゃないですか。
──(知りません……)
久我:ドレスコードまであって、「こ、こ、こ、こんなエナメル着ろって言うの?なんでこんなもの着なきゃいけないの!?」ってなって。その場でビッタビタのエナメルのなにかを買わされて(笑)。そこには「これを着なきゃ入れない」って言ってくる門番みたいな人もいてですね。
──それ、夢じゃないですよね?
久我:いや夢じゃないですよ!行ったんですよほんとに(笑)。
──『グルグル自慰行為』の徹夜後に見た夢じゃないですか?
久我:ちがうちがうちがうちがう(笑)。
歌詞にも出てきますけど、その門番が偉そうにほざくというか、「なんだこいつ…」って感じの人で。
──(想像中…)
久我:ハマりはしないんですけど、こうなんか病みつきになる「非日常感」がすごく漂っていて、面白いイベントだったんです。「心に残るものだったなぁ」っていう。その体験談からの歌ですね。だから、そういう非日常感を自分たちのライヴでも味わってもらえたらいいな~っていう様な歌詞かな。
──この「香りに侵されて」の”香り”っていうのは、実際にその場で嗅いだ香りが印象的だったわけではなくて、こう会場全体的に漂っている雰囲気というか…
久我:そうです。全体の香りって感じですかね。
だからあれはね、渉君が好きなハマるような世界ですかね。
──一緒には行かなかったんですか?
久我:そのときはね、一緒じゃなかったと思うんですよね。
──すごいなぁ…まったく想像がつかないですね…
ちなみにそれは新宿とか繁華街でやっている…?
久我:あれはたしか渋谷だったと思うんですよね。友達の紹介で「おもしろいよ~」って言われたので、「いってみよ~」みたいな軽い気持ちで行ってみたら、すっごい世界だったなぁ~みたいな。
──ほぇー……
これもすごくリフが印象的じゃないですか。たしか久我さんが新井さんをLIPHLICHに誘う際に一番最初に聴かせた曲がこの『淫火』で、そのときに新井さんが「こんなギター聴いたことない!」ってすごく興味を惹かれたというエピソードをインタビューで読んだんですけど、これは「次のライヴでやるから聴いといてね」という意味で渡したのか、久我さんがチョイスして「LIPHLICHはこういうバンドです」と紹介する意図で聴かせたのか、どっちだったか覚えてますか?
久我:「こういうバンドです」っていう方ですね。
──じゃあこれが推しというか、LIPHLICHの世界が一番出ているかなっていうような…
久我:うん、そうですね。あとは、「ギターに興味持ってもらえるかなぁ」っていう(笑)。
この曲ができたときは、「いやぁ~良いもの出来たなぁ~」って、気に入ってましたね。
──たしかに当時ライヴでやっていたときの久我さんも相当溺れている感じで。
久我:そうですね。入り込みやすかったのかな。
──獅子舞みたいな舞をやっていた覚えがありますね。真っ赤なライトが後ろから差していて、首をグネグネして(笑)。
久我:グネングネンね(笑)。うん、これは気に入ってましたね~(アイスティーの氷カランカラン)。
──この曲をやるときは今でも当時と同じ熱を感じるんですけど、これはやっぱり今でも割と…
久我:うん、これは今でも好きですね。残飯ではないですね(笑)。
──久我さんがこの当時、LIPHLICHの世界を一番分かりやすく表しているのが『淫火』というお話をされていたのを受けて、今回「本作で、あなたにとって一番LIPHLICHの世界が出ていると感じる曲はなんですか?」というアンケートをしたんです。で、私は『淫火』が1位か2位に入るんだろうなって思っていたんですけど、入らなかったんですよ。
久我:あ、でもなんかそれはそんな気がするな。え!当ててみようかな(笑)!?
──そうしたら、TOP3を当ててもらってもいいですか?
久我:だいたい自分で思っているのと外れるんですよねぇ……
TOP3か。このアルバムの中で、ですよね。
──そうです。じゃあまず3位を…
久我:3位は……
※久我さん予想と結果の詳細は、動画版でご覧ください(おもしろい)
久我:(1位は)やっぱり猫目なんだ。
──ですね。やっぱりMVになったっていうのもあれば、「ウェンディ」というファンの名称がついたっていうのもありますし、なによりこのアルバムを聴いたときに一番最初に「おっ」ってなる曲じゃないですか。私も実際そうだったんですけど、「なにこの曲!?」って驚かされるんですよ。
久我:あ、でもそれはありましたよ。この頃はアルバムを盤でちゃんと聴いてもらえる時代ではあったので、印象付けたかった1・2曲目を『リフリッチがやってくる』『猫目の伯爵~』にしたっていうのはありますね。僕もやっぱりアルバムをリピートしていくと、1・2曲目が一番印象に残るので。後の曲はだんだん味が出てくるようになっているじゃないですか。
──たしかに今出てるLIPHLICHのアルバムも全部そうですよね。2曲目でいきなり強烈なやつがドンッて。
久我:印象付けたいのを持ってきますよね。
──そういえば、以前ライカエジソンさんの主催か何かでリクエストワンマンをやられていましたよね?ああいうときは、やっぱり普段聴けないような曲が入るものなんですか?
久我:そうですね。やっぱりマニアックなのが多かったですね。そういうところに『MANIC PIXIE』なんて入ってこないですよ。「もう私たち聴き飽きたわ!」みたいな(笑)。
でも、こうやって(アンケート結果を)見ると結構思い通りになっているのかなぁ。『SOMETHING~』を作ったときに、導入として『リフリッチがやってくる』で(聴き手を)捕まえて、自分のなかでのキャッチーさとして次の『猫目の伯爵~』があって、本当にコアな部分でやりたいものっていうのが『淫火』だったので、この3つが上位に入っていると嬉しいですよね。曲を印象付けるのって、僕ら側の意思で出来ることではあるじゃないですか。でも、たまにそれが分からなくなることもあるんですよ。「なにがLIPHLICHっぽいのかな?」って。そういうときの参考になりますね、これは。
──(時計チラ見)
って、時間が……これ、『嫌いじゃないが好きではない』の話をしたら絶対タイムオーバーですね。
久我:もう3時間半くらい喋ってますよ(笑)。
──もう『嫌いじゃないが好きではない』はとばしますかね。この曲に関しては山の様に言いたいことがあるんですけど、絶対時間オーバーしちゃうんで。
久我:他の場面(前回の記事)でも結構喋ってましたからね。とばしちゃいましょう!
『メリーが嫌う午後の鐘』
──これは久我さんの描く「THE 物語」って感じですかね。
久我:こーれーはー……そう……ですねぇ……
これがね、正直ね、あんまり覚えてないんですよ。どういうつもりで作ったのか。
──(笑)
でも、完全に独立した物語ですよね。
私見ですけど、私の中では『メリーが嫌う午後の鐘』で一区切りついているというか、ここまでで一枚のアルバムでも良かったんじゃないかな?ってちょっと思ったんですよ。
久我:え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛
──その後の3曲はスピンオフじゃないですけど、本筋から外れたすっごい濃いもの三部作っていうか…
久我:もう一回曲順を見てもいいですか?
(歌詞カードお渡し)
久我:うーん……
──『メリーが嫌う午後の鐘』は、伯爵の世界のなかにギリギリあるのかなって思うんですけど、その後の曲たちはちょっと外れてい…
久我:ほんとだ…たしかにこうやって曲順を見返すと…なんかしっくりこないな(笑)。
──ショーが閉演して、劇場から大多数のお客が出ていった30分後くらいに、その場に残っていた人だけが観れちゃう特別編みたいな。
久我:うん、しっくりこない!ほんとだ(笑)!
──『浮世のはぐれ蝶』のはぐれ蝶感がすごいんですよね。
久我:なんだろう。この辺からもう考えるの面倒くさくなっちゃったのかな(笑)。
──でもたしかにこの3曲をどこかに入れるのって難しいですよね。
久我:『航海の詩』はね、最後の曲にしたかったんですよね。
『浮世のはぐれ蝶』
──そういえば、『浮世のはぐれ蝶』は曲を出して割と時間が経った頃に久我さんが三行半を突きつけていましたよね。「椎名林檎っぽ過ぎるから、これはなし」って。
久我:そうですね。
──ただ、その後にリメイクされて、さらにアコースティック盤にも入れていたので、その期間にこの曲への愛着というか、「これはこれでいいじゃん」って再評価されたのかなと思ったんですけど、今はどうですか?はぐれ蝶。
久我:うん、今はもう別に良いんじゃない?って思いますよ。だから、僕も「残飯」とかってこの間言った曲も、あと3年くらいしたら「いいんじゃない?」ってなりそうだな。
──新しい発酵でね(笑)。
久我:そうそうそうそう(笑)。発酵されていいんじゃない?って。
──そうそう、久我さんとのお話を思い返して、個人的に面白いなと思ったことがあるんですよ。歌詞もそうですけど、言葉のチョイスとかセンスって生きていればどんどん変わっていくものだと私は思っているんですね。
久我:うん、そうですね。
──ただ、12年前に出した『浮世のはぐれ蝶』のなかで、久我さんにとって「面白くないもの・くだらないもの」を歌うときに「残飯処理」って言葉が出てくるじゃないですか。
鬼畜が群がった後の残飯処理
不味いシャンペンに入れてみる角砂糖
あとは、さっきの『僕らの使い捨て音楽』で「賞味期限切れ」って言葉がありましたよね。で、なんですけど、前回取材させていただいたときも久我さんはその2つの言葉を使われていたじゃないですか。「賞味期限切れのものだから」「残飯だから」って。
久我:あぁ言ってました。そうか。
──一般によく使われる言葉であれば偶然も考えられるんですけど、どちらもあまり芸術に対して向けられる言葉じゃないというか、なんなら「残飯」なんて私は人生で使ったことがないくらいですからね。だから、「つまらないもの」を表現するときの久我さんの言葉のチョイスは、12年経ってもずっと変わらないんだなって、前回のお話を聞いているときに思ったんですよ。
久我:あぁ~~なるほどなぁ。
──でも、絶対に何かがないと「残飯」って出てこないと思うんですよね。だからどっかでなにか…
久我:なんでしょうね、残飯。ひどめの言葉ですもんね。
でも、「賞味期限切れ」「残飯」っていうのはすごい贅沢思想の言葉なので…
──たしかに。フードロス的なあれですよね。
久我:そうそうそう。実際そうですもんね。
話は変わるんですけど、「言葉って面白いなぁ」と思うのが、「ドブネズミみたいに 美しくなりたい」って歌うTHE BLUE HEARTSの『リンダリンダ』があるじゃないですか。でも、「ドブネズミって美しい」なんて、みんな思っていなかったわけですよ。そこでいきなり「ドブネズミのように美しく」っていう変な価値観をぶっこんでくる、ああいうのがすごい好きなんですよね。そう考えると、今度は「なんて残飯って素晴らしいんだろう!」って歌うのもありかなぁって思いました(笑)。
──「なにあんた、賞味期限内に食べてんの?」みたいな?
久我:そうそう、「バカじゃないの?賞味期限が切れてからよ?」みたいな(笑)。
──それで言うと『嫌いじゃないが好きではない』でもその片鱗みたいなものはありますよね。「腐ってからが初めて美味しく食べられるに違いない」っていうこの部分とか。
『嫌いじゃないが好きではない』
センシティブに振るまっていても 君は意外と長持ちするよ
でも腐ってからが初めて 美味しく食べられるに違いない
久我:あ~ほんとだ(笑)。
──まぁこれは皮肉なんでしょうけど、「腐ってから美味しくなるものもあるよ」っていう意味では同じですよね。あと、さっきのドブネズミの話でいうと『GREAT NONSENSE』もそう。
『GREAT NONSENSE』
ある日ドブネズミが美しくなることもある
問題は自分がそのドブネズミかってことさ
久我:あれはまさにそのことですね。ある日ドブネズミが美しくなることもある…
──「でも そのドブネズミが君とは限らないけどネ☆」っていうすっごい酷い……
久我:(カットイン)そこまで酷く言ってないですよ?「だから、自分の人生を生きようね!」って歌ですよ(笑)。
──「生まれた環境を憎むんじゃないよ★」みたいな感じですか(笑)?
久我:そんなこと言ってないですよ!明るい方へ明るい方へいってるのに(笑)。
──でもあれはそういうイメージありますけどね。「っていう美しい話もあるけど、君はその世界の人じゃないからただのドブネズミだよん」みたいな。
久我:そおお捉えちゃうかぁ~~(不服笑)。
自分では割と希望に満ちて書いているつもりだったんですけどね。
──あと、この曲でいうと、「多くを殺す様な人でも誰かを助けるような一面もある」といった、「二面性」じゃないですけど、「人は見る角度によって変わる」というメッセージもありますよね。
皆が信じる彼の受けた苦しみのこと どれくらいなのだろう
彼女が愛してる 僕らの悪い人はたくさん子供を助けた
息をするように殺し続けてた人もいて
それが今の僕らに関係あるかってことさ
久我:そういうことばっかり歌っているかもしれないですね。『7 Die Deo』とかもそういう歌ですし。二面性、多面体。
『7 Die Deo』
惑わすよ多面体 空間の意味は
どんな目で見ればいい どれでも同じことさ
転がすよ多面体 空間の意味は
好きな目で見ればいい どれでも同じことさ
──そうですね。常に人間をいろんな角度から見ている…でも、久我さんは歌詞のなかでパッと考えるのをやめる癖があると思っているんですよね。
久我:歌詞の中で考えることをやめている?
──考えることをやめているというか、「こういう風に考えてはいるけど、結局たどり着く場所は同じだろう」という結論に行き着くというか。
久我:あぁ~~。
──例えば、『キーストーン』『7 Die Deo』、あとは『イーカロス』とか…
『キーストーン』
ほどいた糸は笑えるくらいに あっけないほど単純だ
下っていく河が分かれ道になる どちらを選んでも一緒だ
『イーカロス』
神様すらろくに分かっていない
理想なんて矛盾させるものだから
お好きにしたまえよ中空で
上も下もあってないようなものだから
「上も下もあってないようなもんだ」とか「道が二手に分かれていても、たどり着く場所は一緒だ」とか。同じ環境に到達するかどうかというよりも、「結局そこにいる自分で在ることには変わりない」という着地点に向かうというか。
久我:そう、そうですよ。だ・か・ら!前を向いていこうね!みたいな。無理矢理言うならば(笑)。
──ドブネズミには成功のルートもあるんですね(笑)。じゃあ「考えるのをやめる」っていうよりも、「希望を残している」という方が正しいのかもしれないですね。
久我:うーん、『SOMETHING~』の頃は残してないかもしれないですけどね。『GREAT NONSENSE』あたりは「もうちょっと希望を残さなきゃな」みたいなことを思っていたような気がします。ドブネズミのあれはちょっとひねくれすぎですよ(笑)。
──(笑)
久我さんの歌詞って、なんだかんだ言って繋がっている部分というか、「あぁこの歌でもこういうこと歌ってるな」と思うことが度々あるんですよ。
久我:うん、そうですね。
でもやっぱり思うのはね、歌って実際に「なにが言いたいの?」っていうときに「何が言いたいのか分からない」ってぼやかせるか、なにか言いたかったとしたら、その「言いたいこと」って本当に限られていると思うんですよ。ぼや~んとさせて、「お好きに考えてください」といろんな解釈ができるようにっていうのもありますけど、そうじゃなくて「言いたいこと」ってなると意外とそんなにないよなって。
僕ね、ちょうど中学2年生の頃に『エヴァンゲリオン』が好きだったんですよ。
──(キャラクターの年齢が)たしか自分たちと同い年くらいでしたよね?
久我:そうですね。あのとき14歳で、14年後にちょうど28歳だった様な…
で、原作がすごく訳分かんない状態で終わって、その後にテレビ版と映画版で分かれて更に訳分かんなくて、でも最終的に終わって良かったなぁとは思ったんです。でも、一番最後の『シン・エヴァンゲリオン』を観た感想が、綺麗にまとめてくれたんですけど、「やっぱそういうことだよね」って。あれだけいろんなものがバァアアっと広がったけど、これをまとめるっていうのは、結構普遍的なテーマで「そんなもんだよね」っていう。言いたいことを言わなかったから、最初の方の作品は考えさせられて、「一体なんなんだろう?」って興味が尽きなかったんですけど、それが提示されちゃうと「あぁそういうことだよね」「でもまぁ終わったし良かったよね」っていう風になる。そう考えてみると、もし僕が死ぬ前に最期の曲を書くとして、そこで言いたいことを言おうとしたらすごい分かりやすくなっちゃうと思うんですよ。だから、歌で言いたいことって、本当にいくつかしかないんですよね。
──どう表現するかの違いというか、回り道のルートが違うみたいな感じですよね。
久我:そうそう。「結局言ってることは一緒」みたいなものになるので。だから、昔から変わらないのも、同じようなことを言っているのもしょうがないかなって思いますね。
──同じことといっても言葉の遣い方がそもそも違いますし、曲自体もまったくの別物じゃないですか。だから、ぼーっと聴いていると気付かない部分なんですけど、ちゃんと歌詞を読んだりとか言葉を追ってみると、割と不変的なものがあったりする。さっきの「言いたいことは言わない」ってところでいうと、『saying』がそれですかね。あの曲も「言いたいことってなんだったの?」って疑問を残したまま、本心をぼやかして終わるじゃないですか。
『saying』
夢想の脆さなんかより
魔法の怖さなんかより
孤独の強さなんかより
言いたいことが一つあった
──「言いたいことってなんだったんだろう…」って。
久我さんが最期の一曲を作るってなったら、ここに入れちゃうかもしれないですね。その答えを。
久我:あぁ入っちゃうかもしれないですね。
……
久我:「言えよ!!」って感じですけどね(笑)。
──グハハハハ!!RGさんのあるあるみたいな感じですね(笑)。
久我:「モヤモヤするから言えよ!」みたいな。「スッキリしない!」みたいなね。
──いつかツッコミが入るかもしれないですね。ライヴでやったときに。
久我:いえよ!
──(笑)
久我:そのときに「I LOVE YOU」とか言ってんですよ。急に安くなるじゃないですか。「やっす!」みたいなことになっちゃう(笑)。
──たしかにたしかに(笑)。
でも、それが楽しいんですけどね。何を言いたいのかが分からないっていうのが。
『マディソン郡の橋の上で』
──これは映画『マディソン郡の橋』がモチーフになった…?
久我:う~ん…ですね。ただそれを書いたってわけじゃないですね。一回観てなんとな~く。
──さっきの『淫火』じゃないですけど、そこで得たインスピレーションを自分なりに落とし込んでみたら、こういう話になったみたいな感じですかね?
久我:そうです。だから歌詞の内容的には映画の内容にまったく関係ないっちゃ関係ないんですよね。
──暑い季節の歌じゃないなって感じはしますね。ちょっと寂しい…冬枯れの…
久我:そうですね。
──このアルバムは季節感が感じられない曲が多いので。
久我:そうですよね。たしかに。
──ずっと閉ざされた世界の中での歌っていうイメージがあったんですけど、この曲でちょっと冬の空気を感じて、一歩外へ出て『航海の詩』みたいな。一気に視界が広がる印象がありますね。
『航海の詩』
──『航海の詩』ですごく印象にのこっていることがあって、まだ小林さんがサポートドラマーだった頃にRUIDO K4でカウントダウンライヴをやったの覚えてますか?
久我:(記憶の旅中……)
──【Are you free tonight?】みたいなタイトルの…
久我:あぁ!覚えてます。
──そのライヴで最後にやった曲がたしかこれだった気がするんですよ。
久我:へぇ~。
これは僕ら『自由』の再生の詩
優しいことなど何処にも無い
これは僕ら『自由』の航海の詩
だからこそ決して終わりはしない
──演奏前に「この曲は自分たちがもっと大きいステージに立ったときに歌うことを想定して作った歌だ」って久我さんがおっしゃっていて。
久我:そうですね。
──「これは僕たちの人生の歌だ」って。
で、この曲って久我さんの声がめっちゃ活きるじゃないですか。フルパワーで声の出力値が高いというか。
久我:あぁあぁそうですね。
──その日の『航海の詩』がすごく胸に響いたんですね。
で、たしか年明けの2・3日あたりに「LIPHLICH 一日ジャック」っていって、メンバーさん一人一人が一部ずつ担ってZEAL LINKでイベントをやってくださったんですよ。
久我:あぁ~~なつかしい(笑)。
──そのときにメンバーさんと挨拶以外のお話をしたのが多分2回目だったと思うんです。たまたまその日出勤しちゃってたんで、バチッと出会うタイミングがあって…
久我:なにその「しちゃってたんで」って(笑)。いいじゃないですか。
──いつも逃げ回っていたので(笑)。
で、そのときにメンバーさんがゾロゾロっと来てくださったんです。そこで私が「カウントダウンライヴ、ものすごく良かったです」って感想を伝えたんですよ。そうしたら、開口一番久我さんが「そうかなぁ~(ニヤ)」って言ったんですね。「そんなに良かったかなぁ~あのライヴ」みたいな感じで(笑)。そこで「わっ!同調してもらえなかった!」って軽く心が折れたんですけど、隣にいた新井さんがすかさず「いやでもね!テンション感はよかったよね!テンションが最高だった!うん!すごく良かった!」って言ってくれて、「あぁやっぱりこの人だな」って(笑)。やっぱり新井さんだなって。
久我:ハッハッハッハ!そうですねぇ~新井さんですねぇ~(笑)。
総括
久我:このアルバムに関しては、一曲一曲が「良い曲だなぁ」っていうのを詰め込んだだけで、1・2・3・4曲目くらいは良いとしても、そこから後はあんまりまとまっているものではないなと。こうやって振り返ってみるとそう思いますね(笑)。
──じゃあもうバイキングみたいな感じで、「あとはお好きに~」って感じですかね?
久我:そうそう。「良い曲だけ並べて、揃えたから!」みたいな。
閉廷